カボチャのスープをかけられたモナリザ(提供:AP/アフロ)

「モナリザ」の評価額は1200億円!?

フランスの環境活動家らが1月28日、パリのルーブル美術館に展示されているレオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作『モナリザ』にカボチャのスープを投げつけ、「健康的で持続可能な食べ物」への権利を訴えた。

『モナリザ』は16世紀の西洋絵画で、世界に存在する美術作品で最高の保険価値が想定され、市場に出回ることはないにせよ、その評価額は約8億6000万ドル(約1276億円)と推定され、1枚の絵としては文字通り世界で最も高額の作品だ。

『モナリザ』は来館者が酸をかけたことで破損した1950年代以来、ガラスで守られており、作品に損傷はなかった。

襲撃した環境活動家は作品の前で「どちらが大事ですか? 芸術と健康で持続可能な食べ物を得る権利と?」と主張した。Riposte Alimentaire(食べ物の反撃)と呼ばれるグループが犯行声明を出した。

折しもヨーロッパでは、欧州連合(EU)の環境規制をめぐり、農民が大規模な抗議デモを決行している最中だった。

年間1000万人を超える来館者を誇るルーブル美術館で、半数は『モナリザ』目的で来館するといわれている人気作品だ。ダ・ヴィンチの人気も高く、2019年10月〜2020年2月に開催されたダ・ヴィンチの「没後500年の特別記念展」の来館者数は110万人と、史上最多の動員を記録した。

当時は黄色いベスト運動の過激なデモが毎週末パリで行われていた。さらに2019年12月からはフランス政府の年金改革に抗議するゼネストが行われ、公共交通機関が1カ月以上機能不全に陥り、ルーブルの職員もストに加わって美術館は何度も閉館した。過去最多の来場者数はそんな中での記録だった。環境活動家は、『モナリザ』の前で抗議を行うことで、世界中から注目を集められると考えたのだろう。

襲撃を受けたのは今回だけではない

『モナ・リザ』が襲撃されたのは今回だけでない。その歴史をたどると受難だらけだ。

そもそも『モナリザ』が世界的に知名度を得るきっかけとなったのは、1911年にイタリアのガラス職人ヴィンチェンツォ・ペルージャによって盗まれたからだった。その年、ペルージャと他の2人は同作品を守るガラス設置作業に参加していた。クローゼットに隠れ、閉館後、当時ダ・ヴィンチのマイナーな作品とみなされていた『モナリザ』を持ち出し、パリのアパートのベッドの下で2年間保管した。

この盗難事件がフランス国内外で報道され、『モナリザ』の消えた展示室を見る人々が集まったという。当時、ピカソも盗難容疑者として浮上した。2年後、イタリアに戻ったペルージャの盗難動機は、ダ・ヴィンチ作品はイタリアにあるべきというものだった。作品の存在を知ったフィレンツェの古美術商が当局に通報し、逮捕された。

1956年、モントーバンのアングル美術館に『モナリザ』が展示されていたときには、来館者が酸をかける事件が発生した。作品は下部に大きな損傷を受けた。この時点でより頑丈なガラスの保護が決定したという。同年、ボリビア人男性が『モナリザ』に石を投げつける事件も起こった。幸運なことに絵はすでにガラスで保護されていたため、ガラスの破片で絵の顔料が1部剥がれたが致命的なダメージを与えることはなかった。

ルーブルをめったに離れることのない『モナリザ』だが、アメリカに次いで1974年、東京の国立博物館に展示され、150万人が訪れた。

そのうちの1人だった日本人女性が公開初日にキャンバスに赤いスプレーを吹き付けた。車いすやベビーカーの入場を安全上の理由で拒否したことへの抗議だった。『モナリザ』はガラスで保護されており、ダメージはなかった。

2009年、ロシア人女性が美術館のショップで購入したティーカップをハンドバッグに忍ばせ、『モナリザ』に向かって投げつけたが、損傷はなかった。女性はフランス国籍を与えられないことに憤慨し、行為に及んだとされている。2022年にはパリ近郊に住む男性が障害者の車いすに乗る女性高齢者を装い、クリーム菓子を投げつける事件が発生している。

フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』、クロード・モネの『干し草の山』、エドヴァルド・ムンクの『叫び』、ジョン・コンスタブルの『干し草車』と近年、環境活動家によって襲撃された作品は多い。

妥協を許さない完璧主義者だったダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチは晩年、フランス王のフランソワ1世の庇護を受け、フランソワ1世の居城アンボワーズ城近くのクルーの館で過ごし、生涯を終えた。

美術品収集家としても知られるフランソワ1世は、ダ・ヴィンチが持ち歩いていた『モナリザ』を入手しようと何度も懇願したが、ダ・ヴィンチは生涯拒否した話は有名だ。実は妥協を許さない完璧主義者だったダ・ヴィンチは、描いた作品に何度も手を入れ、依頼者に渡さなかったことでも知られる。

ダ・ヴィンチはフィレンツェの工房で育ち、仲間の職人たちの中で断トツの才能を発揮し、輪郭なしの自然な立体感と空気遠近法で当時としては対象物の立体表現や空間表現、肌を描いて右に出る者はいなかった。当時の彼の立場は職人だが、しばしば、依頼された内容を独自に変え、さらに納期を守らないことでも有名だった。ただダ・ヴィンチの作品を所有することは当時の聖職者、王侯貴族の権力者、大商人にとっての名誉だった。

ダ・ヴィンチの絵が後世に与えた影響

中世の人物画の表情は無機質、無表情だったが、ダ・ヴィンチの人物画、例えば聖母子像、最後の晩餐の弟子たちには、微妙な感情表現が見られる。『モナリザ』の微妙な微笑は500年以上、人々を魅了してきた。『モナリザ』の人物の肌に筆跡が見られないこと、背景にある風景の奥行、その完成度は、以降の人物画、風景画に大きな影響を与えた。

そうした観察眼は、昨今のビジネスツールとしての「アート思考」にもつながっている。

『モナリザ』への攻撃は、多くの美術関係者や美術愛好家に衝撃を与えた。なぜなら、今でも『モナリザ』は芸術の最高峰と考えられているからだ。その破壊を肯定する社会運動家たちによって襲撃された事実は決して軽くない。

フランスで1月に就任したばかりのラシダ・ダティ文化相は、『モナリザ』が標的にされることを正当化できる「大義」はないと述べた。

(安部 雅延 : 国際ジャーナリスト(フランス在住))