なぜ「ブラック部活」と呼ばれる過激なスポーツ指導はなくならないのか。早稲田大学スポーツ科学学術院の中澤篤史教授は「選手発掘を目的に民間団体が全国大会を次々と開催した結果、2001年までの55年間で大会数は10倍に増えている。生徒、先生の負担を減らすためには大会の数を規制する必要がある」という――。
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■現在の部活は全国大会を目指して行われている

全中、インターハイ、甲子園野球。部活の全国大会が、毎年、多くの競技で開催されている。こうした全国大会は、過熱化する部活問題の象徴とも言われる。

スポーツを1つの試合で終わらせないで、勝者が別の勝者とさらに試合を重ねる。そして各地域を勝ち抜いた代表選手・チームが集まって、「日本一」を決める。この全国大会という競技システムは,戦前の旧制中学校などで誕生した。典型例が甲子園野球で、これは1915(大正4)年に朝日新聞社が「全国中等学校優勝野球大会」として開催し始めたものだ。

現在の部活は、全国大会を頂点とした競技システムと一体不可分の関係にある。一般的に中高校生年代の競技大会は、市区町村大会・都道府県大会・ブロック大会・全国大会と階層的に組み立てられている。全国大会そのものに出場できるのは一握りの選手・チームだが、その予選大会を含めて考えると、ほとんどすべての選手・チームが大会に関わりを持っている。

■多すぎる全国大会がもたらす弊害

競技大会は、部活やスポーツの中心的なイベントだが、近年は勝利至上主義を助長するなどの問題もあると指摘される。

大会があると部活は熱を帯びて練習を休むことなどできなくなってくる。大会を勝ち進むとうれしいはずだが、ますます休みが無くなり、疲れも取れなくなってくる。結果、大会に振り回されて怪我や事故が引き起こされてしまう。部活を過剰にする引き金の1つが、この競技システムにある。

生徒たちがバランスを保ってスポーツを楽しめるようにするためには、大会の数を適切に規制しなければならない。

では、いったい、どのような全国大会がどれくらい開催されているのか。その数は、歴史的にどう変化してきたのか。さらに近年は、学校の部活ではない地域の民間スポーツクラブやユースチームも増えてきた。それらも含めたユーススポーツ全体の大会事情はどうなっているのか。

本稿では、全国大会の数を数えてみるというシンプルな計量分析から、部活とユーススポーツの歴史的変化を考えてみたい。

■1年間に全国大会はいくつ開催されているのか

筆者は部活やユーススポーツについて研究しているが、実はこれまでの研究では、「全国大会っていくつあるの?」という素朴な疑問は明らかにされてこなかった。そこで、1946年度から2001年度までの中学生・高校生年代の全国大会の展開を、各種資料を元に計量的に明らかにしようと試みた(詳細は、中澤篤史・星野映「中学生・高校生年代における競技大会の展開(1946−2001)」『スポーツ科学研究』19)。

日本体育協会編『日本アマチュアスポーツ年鑑』などの競技横断的な大会資料、各競技団体・学校体育連盟の周年史・記念誌や公式Webサイト情報、新聞記事・報道記録などをひたすら集めて、どんな競技で、どんな全国大会が、いつ開催されていたのかを一つひとつ調べてみた。

すると、1946年度から2001年度までに、年度ごとに延べ数で数え上げると、52競技で9029大会と多くの全国大会が開催されていた。

■競技ごとでは陸上競技、テニス、相撲、野球が多い

競技ごとに詳しく見てみると、全国大会数がもっとも多かったのは陸上競技(466大会)だった。

以下多い順に、テニス(429大会)、相撲(398大会)、野球(385大会)、サッカー(372大会)、スキー(340大会)、柔道(322大会)、剣道(297大会)、卓球(277大会)、ソフトテニス(264大会)、バレーボール(262大会)、自転車競技(254大会)、スケート(248大会)、水泳(245大会)、体操(245大会)、レスリング(245大会)、ボート(235大会)、バスケットボール(234大会)、軟式野球(233大会)、ハンドボール(223大会)と続く。

全国大会の数は競技ごとの違いも大きい。

陸上競技が多い理由は、古くから、多様な種目で行われてきたからだ。たとえば、高校のインターハイなどに加えて、中学では全中に先立って1955年度から「放送陸上競技大会」が開催されはじめた。これは各都道府県会場での競技結果を集計して「日本一」を決める特殊な全国大会だった。その他にも、駅伝大会、競歩大会、室内大会、女子大会など、いろいろなカテゴリでの全国大会が開催されてきた。

野球は、もちろん高校で春と夏の甲子園大会などがあるが、近年、中学での硬式野球が浸透して、全国大会も増えてきた。1971年度に始まったボーイズリーグの「日本少年野球選手権」を皮切りに、2001年度で見ると、リトルシニア、ポニー、ヤングリーグといった民間の硬式野球団体も全国大会を開催し、それらを統合したジャイアンツカップもできた。中体連(日本中学校体育連盟)は軟式野球の競技部しか持たないが、その外側で民間の硬式野球クラブの全国大会が急増してきたのである。

■2001年までの55年間で大会数は10倍に増加

では、歴史的に、全国大会の数はどう変化してきたのか。1946年度から2001年度までの推移をグラフにした。

出典=中澤篤史・星野映「中学生・高校生年代における競技大会の展開(1946−2001)」『スポーツ科学研究』19、から引用転載。

1946年度には32大会が開催されていた。その後、ほぼ一貫して増加し続けて、2001年度には324大会が開催されるに到った。1946年度から2001年度までの55年間で、10倍にまで増加してきたのだ。

こうした増加傾向には、2つの側面がある。1つは、全国大会を開催する競技数が増えたという側面だ。

グラフには、全国大会を開催した競技数の推移も示してある。1946年度には、19競技で全国大会が開催されていた。その後、ほぼ一貫して増加し、1999・2000・2001年度に52競技になった。1946年度から2001年度までで、全国大会を開催する競技が3倍近く増加した。

もう1つは、各競技が1年間に開催する全国大会の数が増えたという側面である。

各年度の全体大会数を開催競技数で割って、1競技あたり1年間の平均大会回数を求めて、その推移もグラフに示した。平均大会回数は1946年度の1.7回から増加していき、2001年度に6.2回になった。各競技が開催する年間全国大会の数が、4回分以上増加しているわけだ。

正直、これほど増加しているとは驚きだった。歴史的に見て、現状の全国大会は多すぎるのだ。

■なぜ全国大会は増えたのか

では、なぜ歴史的に全国大会は増えてきたのか。それは、国の規制が緩和されてきたことが関係している。

戦後、文部(科学)省は、対外競技基準と呼ばれるルールを作成して、大会のあり方を規制してきた。対外競技基準は、学校教育活動として実施される運動部活動の競技大会の範囲や数が過剰にならないよう抑制するために1948年に設けられた。特に全国大会の開催は、費用もかかるうえ、移動の負担もかかるため、学業との両立も大変になる。当時の取り決めでは、全国大会は中学校で原則禁止されて、高校では年1回まで許容された。

ただし、こうした国の規制は、競技団体の圧力を受けて年々緩和されてきた。1964年の東京オリンピック開催時など、競技団体は有望な選手を早期から鍛え上げるために、どんどん大会をしたいと要望し、学校教育活動“外”の全国大会を独自に主催し始めたりした。

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■不十分だった国の規制すら撤廃されてしまった

それを後追いするように、国は規制を緩めて、1979年には学校教育活動“内”の全国大会を、中学校で年1回、高校で年2回まで公式に認めるようにした。そして2001年になると、対外競技基準それ自体を撤廃した(これは大きな政策変化なので、データ分析は2001年までを区切りとした)。

こうした国の規制緩和の流れが、全国大会が増加してきた一因になった。

しかし、全国大会数のデータ分析の結果、実は、中学校で禁止されていた時代にも全国大会が開催されていたり、年1回、年2回と数値基準が定められていても、それを上回る回数の全国大会が行われていたことがわかった。また、学校の部活以外の地域・民間スポーツには国の規制がなかなか及ばないため、学校教育活動外の全国大会は独自に発展してきたことも明らかになった。

つまり、元々国の規制は十分ではなかったし、厳密に守られていたわけでもなかった。その上で、そうした不十分な規制すらも緩和されたり撤廃されたことで、さらに全国大会が野放し状態で増えていったのである。

■全国大会の増加は勝利至上主義を引き起こす

以上を踏まえて、この全国大会の増加が、部活とユーススポーツの競技性を高めて勝利至上主義を引き起こし、結果的に過熱化につながった可能性について問題提起したい。

全国大会を頂点とした競技システムでは、記録やパフォーマンスが競われ、日本一が決まるまで勝利が追求される。競技システムは、スポーツの競技性を高めたり、その競技性の高さを明示する機能を果たす。ここには勝利が至上価値となる構造がある。

そう考えると、全国大会が増加してきた戦後の歴史とは、部活を含めたユーススポーツの競技性が高まり、それが正当性を帯びて、勝利至上主義という価値観がじわじわと青少年世代に全国レベルで浸透していくプロセスでもあったのではないか。

と同時に、このプロセスは、単に競技性が高まっただけで終わらない。競技性が高まったことでそれに魅せられた人たちが参入し、競技人口がもっと増えて普及が進んだだろう。そして、普及が進むと多くの参加者が互いにさらに競い合い、全国大会の数もさらに増えていく、という循環もあったと考えられる。この循環が、部活とユーススポーツの全体を過熱化させていったのではないか。

■大会を減らして部活の過熱化を抑制せよ

部活とユーススポーツの過熱化が問題視される今だからこそ、全国大会のあり方を見直し、適切に規制することが求められる。

昨年12月にスポーツ庁と文化庁がまとめた「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン」では、「全国大会をはじめとする大会等の在り方」として、大会の主催者、中体連・学校設置者、校長・地域クラブ運営団体に、次のように求めている:

・[大会主催者]全国大会の開催回数について、生徒や保護者等の心身の負担が過重にならないようにするとともに、学校生活との適切な両立を前提として、種目・部門・分野ごとに適正な回数に精選する。

・[中体連・学校設置者]中学校の生徒が参加する大会等の全体像を把握し、週末等に開催される様々な大会等に参加することが、生徒や指導者の過度な負担とならないよう、大会等の統廃合等を主催者に要請するとともに、中学校の生徒が参加する大会数の上限の目安等を定める。

・[校長・地域クラブ運営団体]生徒の教育上の意義や、生徒や指導者の負担が過度とならないことを考慮して、参加する大会等を精査する。

(「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン」から抜粋引用)

部活やユーススポーツのやり過ぎを是正する上で、多すぎる全国大会を減らす改革は避けては通れない。はたして、大会の主催者、中体連・学校設置者、校長・地域クラブ運営団体は、上記ガイドラインに沿って適切な規制を実施できるか。子どもを守る責任は大人にある。

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中澤 篤史(なかざわ・あつし)
早稲田大学スポーツ科学学術院教授
1979年大阪生まれ。東京大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科修了。博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科講師・准教授を経て、早稲田大学スポーツ科学学術院准教授から現職。スポーツ・身体・人間に関連する社会現象を、社会学を中心とした社会科学的アプローチから探究している。主著は『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社)、『そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義』(大月書店)、『「ハッピーな部活」のつくり方』(内田良との共著、岩波ジュニア新書)。趣味はコーヒーと囲碁。
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(早稲田大学スポーツ科学学術院教授 中澤 篤史)