[画像] 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』監督・山賀博之が語る伝説の真相【4Kリマスター版上映】

今から35年前の1987年に、若き制作集団「GAINAX」が作り上げた『王立宇宙軍 オネアミスの翼』――のちに『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』などを世に送り出す若き制作集団GAINAXとバンダイ(後のバンダイビジュアル、現・バンダイナムコフィルムワークス)がタッグを組んだ長編アニメーション映画だ。

”戦わない軍隊” 王立宇宙軍に所属するシロツグは仲間たちと目的もなく怠惰な毎日を送っていたが、少女・リイクニとの出会いをきっかけに世界初の宇宙飛行士に志願。心配する仲間たちと共に、ロケット打ち上げに邁進することになる。数々のメカやガジェット、衣装、通貨や言語などの文化・風俗に至るまで、 すべてゼロから作り上げられた緻密な ”異世界” を舞台に、宇宙に賭ける若者たちのリアルな青春ストーリーが描かれていく。
監督を務めた山賀博之をはじめ、若き日の庵野秀明、貞本義行、樋口真嗣など、後に日本のアニメーション/映像業界を背負うことになるメンバーが集結して心血を注いで作り上げた映像は当時、多大なインパクトを与え、世界中のアニメファンから熱く支持された。
そんな伝説の作品が、山賀博之監督の監修のもと35mmマスターポジフィルムから4Kスキャン&4Kリマスター化を実施され、鮮やかに蘇る。
35年を経てもなお、観る者を圧倒する映像世界はいかに作られ、そこには何が描かれていたのか? リマスター作業を通じて改めて作品と向き合った、山賀博之監督に話をうかがった。。

【35年を経て感じた手応え】

ーー今回、4Kリマスター化された『王立宇宙軍 オネアミスの翼』ですが、山賀さんご自身で今の目でご覧になってどんな印象を抱かれましたか。

山賀 とにかく”リアル”なんですよ。”リアル”、そのひと言に尽きます。4Kということで映像のレゾルーション(解像度)があがることは想像がついていましたけれど、特に凄いのは「音」ですね。音のクリア度、粒立ちが素晴らしいです。無音のところは本当に無音になってくれるし。
当時のフィルム上映形式では、ダビングした音を一旦磁気テープに保存し、そこからさらに現像所でフィルムのサウンドトラックにしたわけですから、どうしても音質は下がります。封切り直後であっても音が籠もってノイズが乗ってくるし、あまりスピーカーの状態が良くない劇場で観ると、入れたはずの音が入っていないように感じることもありました。音量が小さいからではなくて、周波数によって消えてしまう音があったりするんですよ。

――当時の技術的な制限ですね。

山賀 だから、当時は完成品を観て「もっと(音に)表情があったはずなのに……」と感じていました。声優さんの声だけではなくて、効果音などにももっと表情があり ”演技” をしていたはずなのに、それが抜けて平板になっているという印象が、実は封切り当時からありました。でも、それは仕方ないことで、当時はまだプロとしてのキャリアも経験値もなかったですから、劇場でどのくらい”緩く”なるかを想定しながらの作業はできませんでしたし。スタジオで「これでOK」と思って、完成品を見るとちょっとアテが外れているところもあった……というのが当時の正直な印象です。

それが今回、ようやくスタジオでOKを出したバージョンにかなり近い音で観られるというのは、とても大きいですね。そういう意味でも”リアル”です。作品世界がより現実的に感じられるという意味での ”リアル” もさることながら、当時作業をした意図――ここにこの絵があり、こういう音が鳴り、こう話が展開するということを「良し」とした自分の仕事が、あらためてリアルに見えた気がしました。

よく「自分の作った作品は自分の子供みたいなものだ」と言う方もいますけが、僕の場合はそういう作家的なタイプではなく、「自分の仕事が終わりました、ご苦労様でした」と自分自身で区切りを付けたら、それ以降はあまり完成品に対して関心を抱かずにきました。今回の4Kリマスターで35年目にして初めて、自分が関わった作品で自分がどう働いたのか、あらためて自分で確認したというところはありますね。

ーー35年目にして手応えを実感した、と。

山賀 なぜそうなったかというと、やはりリアルに音が鳴っていたから。そしてもちろん映像も、筆のタッチまで見えるくらいの解像度になっていたからです。つまり「あの時、こうしたな」と思い出せるだけの材料が、4Kリマスターにあったということが大きいと思います。

ーー4Kで音の解像度もあがるというのは、確かに「言われて見れば」というポイントですね。そして、映像の解像度があがったことも大きい。リマスター版を拝見してあらためて、当時こんなにすごいものを見せられていたのかと驚きましたし、それは「あの頃は凄かった」というノスタルジーではなく、今観てもやはり凄いという感覚でした。

山賀 まあ、その「凄い」という意味で言うと、何というか……つまり上手くいったんですよ。非常に才能のある人たちが集まり、その人たちが変に「使われる」意識ではなく、自分たちの力を自分たちの仕事として自ずと証明していく。そういう作品として作れたというのが大きかったと思います。だから、スタッフたちの能力の高さがしっかり表現されているのだと思います。

ーーたとえば、庵野秀明さんが原画を描かれた、ロケット発射の場面がありますね。

山賀 そうですね。

ーー無数の氷の破片が手描きアニメーションで緻密に表現されている伝説的なカットですが、改めて4Kの解像度で見ると、これをすべてひとつひとつ手描きで……と驚愕します。

山賀 あのシーンも、実は上手に誤魔化してはいるんですよ。同じことをもし現在のCGで描いたらすべての破片が動くわけですが、もちろんあのシーンではそんなことはしていない。動かすところ、スライドで処理しているところ、引き写しのところ、上手く使い分けています。ただ、そこで重要なのはセンスですよね。CGの物理演算で再現したほうがリアルはリアルだけれど、それだけでは何らかの ”表現” にはなっていない。そういう方向でリアルにしていけばしていくほど、そこには自然現象があるだけで。

あのロケット打ち上げのシーンはそうではなくて、破片というもの利用して表情、情緒を表現している。庵野のあの破片はその意味で凄いんです。情報量をコントロールすることで「これは人間が作っている表現です」という主張が生まれている。

ーー手描きアニメ特有の省略やデフォルメの技法を、単なる省力化ではなく表現として活かしているわけですね。優れた手描きアニメ作品から感じる独特の味わいは、そういうところからも生まれているのかもしれないです。

山賀 今だったらあの氷片も、CGでもっとリアルに描けるかもしれない。でも、そこにどんな情緒が込められるかとなると、途端に手描き以上に大変な部分が実は出てきます。ピクサーなども現在の表現にたどりつくまでには、相当な苦労をしていますからね。つまり、上手かろうがそうでなかろうが、「人間がこう描いている」という意図や想いが手描きのアニメには込められているということなんです。

【関連画像】庵野秀明作画の、”伝説の氷片” ほか、『王立宇宙軍』珠玉の場面カット(写真8点)

(C)BANDAI VISUAL/GAINAX

【ロケット打ち上げがモチーフになった理由は?】

ーー参加したスタッフひとりひとりの意図、想いが作品に溢れているのが『王立宇宙軍』という作品だと思いますが、当時のスタッフがそこまで作品に”込める”ことができたのはなぜだったのでしょう? ストーリーや題材に惹かれたというのもあるのでしょうか。

山賀 いえ、それほど惹かれてはいなかったと思いますよ(笑)。まずは……これは自分のことなので控えめに表現にすると、僕が何も決めないからですね。

ーー決めない?

山賀 普通はいろいろ決める監督が多いと思いますが、僕は決めないんです。僕が抱いている監督のイメージは、オーケストラの指揮者なんです。指揮者って音を出さないじゃないですか。楽器を持っている人たちが音を立てますよね。そして楽器を持っている人たちのリーダーはコンサートマスターですよね。ということは、コンサートマスターがいて楽器の編成があれば音は出るんです。じゃあ、指揮者は何をしているのか? それが僕は監督(の仕事)だと思っています。

ーーそれぞれにやりたいことをやってもらうというか、の力を引き出すというか。

山賀 もっとも大事なのは彼らに”いちばんいい音”を出してもらうことなんです。”いちばんいい音”を採取できれば言うことはない。でも実際の所、仕事が動き始めると責任は取りたくないから、スタッフは必ず監督に「どうしたらいいの?」と聞いてくる。僕は「いや、特にどうとでも……したいことなどないですから」と(笑)。まあそこは、演出家というのは微妙に嘘をつきながら、抑えたり引っ張ったりして強弱はつけるわけです。指揮者のやれることって結局、強弱じゃないですか。クレッシェンド、デクレッシェンドを的確につけられるかどうか。自分は、そのテクニックは持っていると思っていますが、逆に言うと、そこは人があまり注目しないところで。多くの観客はそれぞれのパフーマンスに対して注目するし、音を立てている人たちは自分の立てている音にしか興味がないはず。それを上手くハーモニーに持っていくのが、僕はやはり指揮者=監督だと思います。それが自分の仕事ですね。

ーーつまり、この作品には集まったスタッフの、当時の”いちばんいい音”が記録されている。

山賀 僕はそう思っているし、それこそが自分の仕事として自負しているところです。「あの人からこんなものを引き出した」「この人からはこんなものをいただいた」という意味で、自分は仕事をしたと思っているのですが……ただ、あまりそんなことを言うと嫌われる(笑)。

ーーいえいえ(笑)。

山賀 やっていた側は「オレがやったんだ」と思っているわけで。「やらせた」なんて言うと怒られちゃう。

ーーでも、そういう風にそれぞれの人がベストなものを作り上げる場を、山賀さんが作り上げたのは間違いないのでは。

山賀 もちろん、それが仕事だと思っていますが。そのための脚本だし、そのための世界観の設定だし。たとえば「破片が美しい庵野がいる以上、破片の話だろう」と考えて。破片が美しい話って何だろうと探っていき、サターンロケット打ち上げの記録フィルムの破片(氷片)、あれを庵野に描かせたら凄いだろうな、と逆算で捉えていったわけですよ。

ーーロケットの打ち上げという本作のメインモチーフは、そこから出てきたということですか?

山賀 そこからですね。それと同時に、プロデューサーの岡田斗司夫さんが「SFでやってくれ」と言うので、「SFか。SF小説とかあまり読んだことないけど」と(笑)。何がSFで何がSFでないのかはよくわからないけれど、とりあえず宇宙は出そうというのもありましたね。で、宇宙で破片、宇宙で破片……と考えて、まあロケット打ち上げかな、と。

ーーSFという意味では、作品内にまるごとひとつ「異世界」が描かれるのも本作の特徴です。細かいガジェットのデザインから文化・風俗、歴史的な部分まで、現実世界と似ていながら異なる架空の世界を構築している。その膨大な作業に向けられた情熱にも驚きます。

山賀 でも、そこもみなさん「情熱」とおっしゃるんですが、意外と情熱じゃないんですよ。理屈でもあるんです。まず「SFを作れ」というオーダーがあり、それに対する応答が「異世界」だったんです。あの当時は「異世界」という言葉を使うとすぐに「剣と魔法の世界」でしたが……。

ーー今でもそのイメージは支配的ですね。

山賀 でも今は、「世界線」なんていう便利な言葉が出てきましたからね(笑)。あの当時は「世界線」なんて言葉は使えない。マルチバース的な考え方は一般的ではなかったですから、そういう意味では「異世界」と言っても通じなかったです。だから、この作品の微妙な異世界を人に説明するのは難しかった。「未来の話なの?」とか「『スター・ウォーズ』みたいに他の銀河の話?」とか。面倒臭いから「地球によく似たどこかの惑星の話です」って言ってました(笑)。そうなってくると、銀河系のどこかにある地球型の別の惑星を真面目に作るということ自体が「SF」なわけです。それは、やろうとすると確かに大変。でも、ある意味では物量勝負なので、とにかく作っていけばいいという意識でやっていただけなんです。

ーーそこで描かれるイメージが、われわれの現実を思わせるところもあり、でもやはり違うものであり……。

山賀 そう、ちょっと違うんですよね。そこはちょっと違うからこそ、逆に現実を見た時におもしろくなるじゃないですか。たとえば、こういう(手元にあった)ペットボトルに入ったお茶というのは、現代の僕らからしたら何ということもない。テーブルの上にこれが乗っていたことすら記憶に残らないと思うんです。でも、これってよく考えたら……たとえば僕の親の世代から見たら、お茶がこんなものに入って売っているということ自体、驚きですよね。「その茶色いのは何? 何でお茶がそんなところに入っているの? そんなものを買う人がいるの?」と、うちの親なら言うと思う(笑)。つまり、こんな何気ないペットボトルすら「おもしろいもの=ワンダー」になるわけです。世界中が「おもしろいもの」に溢れているわけですよね。
プロデューサーの岡田さんに「SFでやってくれ」と言われ、「SFって何ですか?」と聞いたら「センス・オブ・ワンダーだ」と返ってきた。うーん、センス・オブ・ワンダーって何だろうと考えて。その時の答えが、つまりそういうことだったんです。この世のすべては”ワンダー”でできている。それをどうすれば表現できるだろう、ということで生まれたのがあの世界です。

(C)BANDAI VISUAL/GAINAX

【とにかくただ、楽しかったから】

ーーデザインした人、それを描く人、人がイメージしたものがフィルムの隅々にまで詰まっていますね。「画面の中のものはすべて人によって描れている」というアニメーションの原点に気づかされる気もします。

山賀 さらに言えば、この目の前のペットボトルも誰かがデザインしたものだし、この座っているソファも誰かがデザインしたもので。プロのデザイナーがデザインして、いろいろな事情でこの大きさ、この形になっていますよね。僕らの身の回りのもの、この世界にあるものはすべて何かの理由によってその形になっているわけで、デザインされたものに囲まれて僕らは生きている。そういう意味では、僕らはアニメの中で生きているのと変わらないとも言えるんじゃないかと。
そして、現実では何から何まで作られているとは感じないのに対して、アニメはそれを手であらためて描いてみることでその感覚を惹起させる。「これを人間が手で描いているのか」と意識してもらうことができる。それがアニメの異世界のおもしろいところですね。

ーーそういった「デザインされた世界の妙」を改めて確認する上でも、4Kリマスターは画期的ですね。そして、解像度があがっても遜色がない画面が、当時から作られていたということでもあるのかなと思います。

山賀 でも意外と、今のアニメに比べるときっちり描いてはいないんですよ。そこもやはりテクニックです。特に美術のテクニックですが、物量があるように見えて意外と描き込んでいない。ほとんどがポスターカラーの溝引きで、スーッと直線で描かれている。昨今のCGで描かれた美術背景のほうが情報量は多いです。でも、この作品のようにポスターカラーで線を引いただけで描いた背景のほうが、なぜか密度感を感じる。人間が引いた線というのはそれだけ人の目を引きつけるし、情報量を気分としてあげていくんでしょう。今のアニメの美術はどんどんリアルになる分だけ、自然すぎて印象に残らないこともある気がします。それに対して、『王立宇宙軍』の美術はそれほどの情報量ではないけれど「ひとつひとつ手で描いていますよ」という主張があるから、情報量が多いように見える。描き込んであるように見える。実際は、直後に作られた『AKIRA』の背景のほうがちゃんと描いてあって遙かに情報量が多いです。もっと言えば『火垂るの墓』の美術のほうが……。そうそう、『王立』制作中に誰かがジブリから、撮影済みの背景を1枚もらってきて見せてもらったけれど、みんなで「いやぁ、オレたちとは人生観が違うな……」って言ってまいたよ(笑)。だって、土手の草の1本1本、何が生えているかわかるように描いてあるんだもの。それで、うちの美術スタッフと「これは人生観が違う。ここまで描く時間があったら、オレたちは飲みにいく」って(笑)。そのくらい、その後のアニメ映画のほうがきっちり描き込んであるし、情報量も破格に高かったはずです。『王立宇宙軍』の背景は飲む時間を差し引いてやっていた分(笑)、美術スタッフのテクニックで情報量をあげていたんですよ。

ーーそしてもう一点。見直してみると本作は、ことのほか青春ドラマとしても濃密に作られている気がしました。そこはやはり、当時まだ若者だったご自身たちの気持ちが反映されていたのでしょうか。

山賀 それは本当に毎回聞かれるのですが、意外とそうでもないんですよ(笑)。聞かれるたびにいつもお答えしているのは、当時の僕らは決してあんな感じじゃなかったんです。じゃあ、どんなだったのか言われると表現するのは難しいけれど。ただ、ひとつ自分の思いを反映させたことがあるとすれば……当時のアニメーター、アニメ関係者というのは、とにかく自分の職業を聞かれるのがいちばん嫌だったんですよ。女の子をナンパしても「何の仕事をしているんですか?」と聞かれたら「デザイン関係です」と答えていた(笑)。実写が本物の映画、TVがその次、もしかしたらその次くらいにエロ系があり、最後がアニメ、みたいな空気があったんですよね。映像業界自体が社会の中で下だけど、その映像業界の中でもいちばん下。アニメより下はない。まあ、卑屈にもなるよなというくらい、社会的にも認められていなかった。
でも、何となく自分なりに思ったんですーー実際に生きている感触として、そうじゃないだろう、と。たとえば、庵野なんてすごい作画をやっていて「この男は間違いなく世界一だ」と思っていました。世界一のアニメーターだと本当に思った。でも、世界一のアニメーターは、100m走の世界一の人と比べると明らかに扱いが悪い(笑)。ウィンブルドンで優勝するテニスプレイヤーやF1で勝つレーシングドライバーに比べても、あまりにも扱いが悪いわけですよ。世間で「この人の作画は世界一だよ」と訴えても、何のことやらという感じですよ。でも……それでも「これは凄いことだ!」と言いたい。そんな気持ちが、あの宇宙軍の描写に込められているというのはあります。それが青春ものということなのかも……というか、まず「アニメって青春ものだよね」という勘違いが自分の中にあって(笑)。いや、勘違いじゃないのかな? とにかく「アニメである以上、青春ものになりますよね」みたいな感覚があったんです。僕は『超時空要塞マクロス』というものでアニメを知ったので、何か若い男女がわちゃわちゃするのがアニメだと、どこかで刷り込まれているところがあったのかもしれない。でも、わりとそうでもないですよね。

ーー若いキャラクターが活躍する作品は多いですが、この作品の青春群像劇的な雰囲気は、アニメでは意外と少ないかもしれないです。

山賀 吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』という漫画がありますよね。当時、あのムードがいいなぁというのはありました。あの作品のような雰囲気はあまりアニメになっていなかったし。それ以降、たとえば2000年代以降だったらそういう空気感を持ったアニメもいろいろ出てきたと思いますけれど。単なる熱血ものでもない、何でもない若者日常だけど少し変というような感じですかね。

ーーそのムードがでも、どこか普遍的といいますか……。

山賀 まあ、逆に言うと普遍的ということは「とりたてて言うまでもない」というか、「よくあるパターン」というか(笑)。普遍的って格好いい言葉ですけどね。

ーー(笑)。でもさらに逆を言えば、そういう「よくあるパターン」を、時代を超えて楽しめて、なおかつ独自の手触りも感じさせる。それが『王立宇宙軍』の素晴らしさだと思います。

山賀 まあ、普遍というのはそういうことで、それをやっておかなければいけないという気持ちがあって……当時はアニメということがよくわからなくて、「青春ものでやらなきゃダメだ」とか「メカが出てこなきゃダメだ」と勘違いしていたけれど、だけど、実は勘違いではないといえば勘違いではない。普遍性を狙おうと思うなら、メカとして美しいものを描いておかないといけないし、青春ものとして成立させないといけない。そういうことだったのかもしれないですね。

――では最後に。2022年の今、この作品を観る意義、特に若い人に観てもらう意義について、監督としてはどのように感じていますか。

山賀 多分、今のほうが当時より、世の中が硬くなっている気がするんです。特に若い人が、仕事というものに対して硬いですよね。これは、オジサンの希望みたいなものでしかないのかもしれないけれど、この作品の「破れかぶれな空気」を今の時代、受け取っていただけるのであればいいんじゃないかなと思います。当時の僕らは、瞬間、瞬間が楽しいという気分で作っていた。もちろん先行きの不安がまったくなかったわけではないけれど、それよりは「今日が楽しい」ということを重視していた。何であれとにかく僕たちは楽しんでいました。今の若い人にも、もっと楽しんでいただきたいな。楽しむことは悪いことではもちろんないし、楽しむことで生まれる生産性というのは絶対にあるので。もっといい加減というわけではないけれど、もっと楽しむことを中心に据えてやっていくーーそういう世界を感じていただきたいです。

ーー実際、山賀さんをはじめとした当時のスタッフのみなさんが楽しみながら作った結果、これほどの作品ができあがった。

山賀 そうですね、毎日楽しかったです。「苦しさを情熱で乗り切った!」という伝説みたいな捉え方で見られがちですけれど、実はそんなことは全然なくて。とにかくただ、楽しかったからやっていただけなんです。

(C)BANDAI VISUAL/GAINAX