千葉県市原市の養老川沿いにある地磁気逆転の地層。ここからチバニアンと命名された(写真:holyphoto/PIXTA)

日本の科学技術力の低下が懸念されていますが、歴史をたどると日本で発明された優れた科学や技術がたくさんあります。今回はその中から、日本の地名が由来となった地質時代の名前「チバニアン」の命名秘話についてRikaTan(理科の探検)誌編集長の左巻健男氏編著『世界が驚く日本のすごい科学と技術』から一部抜粋・編集してお届けします。

2020年に日本の地名を冠した時代が誕生

2020年1月17日。77万4000年前〜12万9000年前の時代名を「チバニアン」と呼ぶことが決定しました。地球の歴史に初めて日本の地名を冠した時代が誕生した瞬間です。

46億年の地球の歴史を示す時代を地質時代といいますが、「古生代」とか「中生代」のような「〜代」という名称がよく知られています。これをもう少し細かく示すときは「ジュラ紀」、「白亜紀」といった「〜紀」で表します。「国際年代層序表」では、これをさらに細分化して116の時代に分けられていて、それぞれ名称がつけられています。

この表は国際地質科学連合の国際層序委員会が作成し、時代の境目が世界でいちばんよく観察できる場所を「国際境界模式層断面とポイント(GSSP)」と指定し、「ゴ―ルデンスパイク」と呼ばれる金色の鋲(びょう)を打ってそれを示しています。

そしてこのGSSPが置かれた場所の名称が時代名となります。とはいうものの、GSSPや名称が決まっていない時代もわずかに残っていて、チバニアンも承認されるまでは、そんな時代の1つでした。

チバニアンを正確に記すと、新生代―第四紀―更新世―チバニアンとなります。第四紀は比較的寒く、「氷期(極地の他に北アメリカ北部やヨ―ロッパ北部も分厚い氷が覆った時期)」と「間氷期(比較的暖かくて極地のみが氷で覆われた時期)」が数万年周期で交互に訪れる時代です。


出所:『世界が驚く日本のすごい科学と技術』

そんな中で、チバニアンはわれわれの祖先である現生人類が生まれた時代でした。約50万年前に現生人類の近縁種であるネアンデルタ―ル人が現れ、それより少し後の30万年前に現生人類が生まれました。

ネアンデルタ―ル人は約4万年前に絶滅しますが、チバニアン時代の中ごろから終わりには、ネアンデルタ―ル人と現生人類が共に暮らしていました。チバニアンはわれわれ人類にとって、とても身近な時代なのです。

今回のGSSPおよび時代名の認定については、日本以外にイタリアの2地点が手を挙げていました。

当初、GSSPとして日本が認定されるのは難しいと考えられていました。それは新生代が始まる6600万年前からチバニアンの時代まで、GSSPはすべて地中海沿岸地域に置かれ、他の地域の地層が選ばれた例がなかったからです。つまり、この時代のGSSPは地中海に置くことが常識なので、そのまま行けばイタリアが圧倒的に有利でした。

それを覆したのは、松山基範(1884〜1958)の名を冠した「松山―ブルン逆転境界」の存在でした。

現在とは逆方向の磁気を帯びる溶岩を発見

京都大学の教授であった松山基範は、兵庫県の玄武洞の溶岩が現在とは逆方向に磁気を帯びていることを発見しました。

火成岩はマグマが冷えて固まってできますが、このときに含まれていた磁鉄鉱などがその時代の磁極方向を向いて固まり、岩石全体が弱い磁石になります(これを残留磁気あるいは古地磁気といいます)。

玄武洞の火成岩に残された過去の地磁気の記録は、かつての磁極が現在と反対だった、つまり方位磁針のN極が南を指していた時代があったことを物語っていました。

松山はさらに日本各地や朝鮮半島、そして中国北東部まで出かけ、溶岩のサンプルを多数採取して調べました。すると、最近できた溶岩は現在と同じ方向に磁化していましたが、古い溶岩は逆向きでした。

さらに古い溶岩も調べた結果、地球は地磁気の逆転を何度も繰り返してきたとの推論に達しました。そして1929年に論文として「時代の変遷とともに地磁気が逆転を繰り返してきた可能性がある」ことを世界で最初に報告しました。

しかし、松山の仮説は学会に受け入れられず、注目を集めることはありませんでした。日本で「地磁気逆転の発見者」といえば松山の名が挙がりますが、正確には松山が発表するおよそ20年前の1906年に、フランスの物理学者ベルナ―ル・ブルンが発表したのが最初です。

ブルンの発表も松山と同様に不評で、この後地磁気についての研究発表をやめてしまったので、おそらく松山はブルンの成果を知らずに独自の研究で同じ結論を得ていました。また、ブルンは磁極が逆転していた時代がかつて一度あったとの推論でしたが、松山はくり返し起きていたと指摘していたことが評価されています。

松山の発表から20年以上経って事実が受け入れられた

地磁気が逆転してきたという事実が受け入れられるのは、松山が発表してから20年以上経った1950〜1960年代になってからのことでした。このころ可能になった溶岩の詳細な年代測定により、世界各地の正・逆に磁化された岩石は、同時期のものはすべて同じ向きに磁化していることが判明したのです。

その後、地磁気逆転の歴史を記した「地磁気極性年代表」が作られ、地磁気の逆転は過去600万年の間に少なくとも22回起きていることがわかりました。現在では、ある程度同じ極性を持つ期間を「磁極期」とし、先人の功績に敬意を表して「ブルン正磁極期(現在)」「松山逆磁極期」「ガウス正磁極期」「ギルバ―ト逆磁極期」と呼んでいます(ガウスとギルバ―トは地磁気研究の功労者)。

話をGSSP認定レ―スに戻します。地質時代の区分はその時代に繁栄した古生物で決められるのが普通で、地層から出てくる化石の変化で判定します。しかし、チバニアンが含まれる第四紀(約260万年間)は、ジュラ紀(約5600万年間)や白亜紀(約7900万年間)と比べるととても短いので、出てくる化石の種類に大きな違いがありません。

そこで第四紀は気候の変化や古地磁気の状態で区分しています。チバニアンの始まる77万年前は松山逆磁極期がブルン正磁極期に切り替わる時期なので、GSSPはその境界(松山―ブルン境界)が明快なことが1つの大きな条件でした。

日本のGSSP候補地であった千葉県市原市の養老川沿いの地層(千葉セクションと呼ばれています)には、松山―ブルン境界が古地磁気として明瞭に残っていました。一方、イタリアの地層は磁鉄鉱がとけてしまったことで古地磁気が完全に失われていたのです。こうして新生代のGSSPとして、地中海沿岸地域ではない、異例のチバニアンが誕生したのです。

地磁気逆転は、プレ―トテクトニクスの証明に貢献し、新しい地層の年代測定法としても重宝されています。さらに、将来的な不安に対する備えとしても重要だと考えられています。というのも、地磁気が逆転する際に地磁気が極端に弱くなるからです。地磁気は宇宙からの放射線や太陽からの太陽風(電気を帯びた粒子の流れ)から地球を守るバリアの役目をしています。地磁気の逆転が生じる際、このバリアが薄くなってしまうのです。

太陽フレアによって起こった大停電

例えば1859年に太陽の表面で大規模な爆発(フレアといいます)が起こったとき、大量の太陽風が地球を襲いました。このとき、すでに電化が進んでいたアメリカやヨ―ロッパの送電線や変電所に過電流が流れ、電信ネットワ―クがダウンしました。


今日でも1989年のフレアによりカナダのケベック州で大停電が引き起こされた例や、地磁気の弱いエリアで人工衛星が故障する事例が数多くあります。地磁気のバリアが薄くなってしまえば、こうした事態が頻発する可能性があるのです。

地磁気は1830年代の観測開始以来、一貫して弱くなり続けています。このまま低下し続ければ、近い将来に地磁気の逆転が実際に起こるかもしれません。その際には地磁気のバリアが弱体化し、世界の送電網や携帯などの通信網、そしてGPSや気象衛星、衛星通信などがダウンして大混乱に陥るかもしれません。

幸い、過去の地磁気の逆転と生物の大量絶滅には相関関係が見られませんが、小さな絶滅や生命の進化との関係は今も調べられています。こうしたことを未然に防ぐために、松山らが開いた地磁気逆転の研究は、これからもより重要度を増しているのです。

(小林 則彦 : 筑波大学附属駒場中・高等学校教諭、気象予報士)