(あなた方がしてくれていることに感謝します。白黒ですが、少しでも明るくなればと思います)」

医療従事者に対する敬意の表明と解釈できるこの作品は、その後オークションで、1,600万ポンドを超える金額で売却され、医療現場で働く人々への支援金となった。

この他にも2017年にはドローン(無人軍用機)が子どもたちの家を焼き払う様子を描いた『Civilian Drone Strike』をオークションに出品し、20万ポンドを超える落札額のすべてを武器貿易反対運動に寄付するなど、この手の話には枚挙にいとまがない。

今回の旧刑務所買い取りの話を、この反権威そして慈善活動家としてのバンクシーの側面から見ると、何が見えてくるだろうか。

■買い取りを申し出た旧刑務所は、かつて同性愛者を収容していた

じつはバンクシーがこの度買い取りを申し出たレディング旧刑務所は、一つのいわくというか、社会がいまよりも無知であった時代の悲しい物語がある。

1895年、まだ現役だったこの刑務所は、イギリスの劇作家・詩人のオスカー・ワイルド(1854〜1900)を猥褻罪によって収容したことがある。「猥褻罪」とはいうものの、実際には同性愛者を逮捕するために当時よく用いられた罪状だったという。

要するに、性的マイノリティーだった一人の芸術家を社会的に殺そうとした施設が、このレディング旧刑務所というわけである。ちなみに、バンクシーによる『Create Escape』で描かれている人物像はオスカー・ワイルドとも囁かれている。

そんな芸術家を破滅させた旧刑務所を、バンクシーは「refuge for art(芸術の避難所)」にするというわけだ。なんとも皮肉な話だ。

これまで見てきた通り、バンクシーという覆面アーティストには2つの顔がある。社会における不条理を風刺するバンクシー、そして不条理の最中でも懸命に生きている者の側に立とうとするバンクシーだ。

ところで、世界でも当然そうだが、この日本でもバンクシーは大人気だ。それはどうしてだろう。例えば100年前の世界でも、バンクシーはいまほどの人気を得ただろうか。

むしろSDGsなどより良い社会を目指す傾向、権威に対する可視化の流れ、政治家や芸能人といった公人に清く正しくあることを求めるいまの時代に、もしかしたら彼はマッチしているのかもしれない。

露悪的で風刺的、権威を小馬鹿にしながら社会問題を白日のもとにさらし、一方では弱者に手を差し伸べ、かつそんな自分の活動をInstagramを使って公にするバンクシーは、この時代の求めるヒーローと言えるかもしれない。

(テキスト/奥岡新蔵、編集/岩見旦)