ビーチバレー
坂口佳穂ラストインタビュー(前編)

坂口佳穂(25歳/マイナビ)が12月1日、突然、現役引退を発表した。大学入学前にビーチバレーボールと偶然出会って、「楽しそう」と始めて7年。中学生までのバレーボール経験しかなく、苦しんだ時期もあったが、国内のマイナビジャパンビーチバレーボールツアーで4勝、FIVB(国際バレーボール連盟)ワールドツアーでも1勝を挙げる選手へと成長した。しかし、目標のひとつだった東京五輪への出場が叶わなかった今シーズン、ビーチを離れることを決断した。今回は、その理由をうかがいつつ、現役生活について振り返ってもらった――。

――引退を発表してから少し時間が経ちましたが、今の心境はいかがですか。

「とてもスッキリしていて、寂しさはありませんし、心残りもありません。『ビーチバレーをやりきったか?』と問われると、目標を達成できませんでしたし、ワールドツアーにももっと出場したかったので、『はい』とは言いきれませんが、悔いがあるとか、後悔するようなことはありません」

――引退を決めたきっかけ、経緯を教えていただけますでしょうか。

「代表決定戦(東京2020ビーチバレーボール日本代表決定戦/2021年5月)のあとにチームを解散して、次のパリ五輪を目指そうとなった時に、急に気持ちがガクッと落ちてしまって......。

 それでも、練習を続けていくなかで、目標へ向かう"熱量"や、『またがんばりたい』という気持ちが戻ってくると思って、新たなパートナーと組んで(2021年の)残りのシーズンを戦うことにしたんです。そうやって、また全力でやっていくうちに何か違うもの、新たな目標とか見えてくるのでは? と思っていました。

 ですが、かなりの"熱量"を持って目標に向かっていた自分というものが、なかなかとり戻せませんでした。練習や試合をこなしていても、その時以上でも、同じでもない"熱量"しかないことは、以前の自分を知っているのでよくわかっていて、その間は結構きつかったですね。

 かつての(熱量を持った)自分が戻ってこない。でも、戻さないといけない。そうした葛藤がずっと自分のなかにありました。『頑張ろう』と自分に言い聞かせても、根っこの部分の、モヤモヤした気持ちは消えませんでした。

 チームをイチから築き上げるとなると、覚悟も"熱量"も必要です。個人的には、自分の能力や技術だけではなく、"チーム力"がないと世界では勝っていけないと考えていますから、自らの"熱量"が欠けていてはパートナーにも失礼ですし、これから(誰と組んでも)戦っていくのは難しいと思いました。

 アスリートとして、そんな精神状態で続けていくことはできませんし、みなさんに『私を応援してください』とも言えなくなってしまうので、引退を決断しました」

――引退という決断を下すまでに、ご家族や周りの方に相談したりしたのでしょうか。

「これまで家族には何でも相談してきましたが、今回のことについては自分だけで悩んで、自分で決断して、自ら出した結論を報告しました。最後は自分のなかで迷いはなかったですから。周囲にも一切相談していません。身近な人は感づいていたかもしれませんが......。

 これまで応援してくれていた家族のみんなからは、『佳穂の人生だし、今まで楽しませてくれてありがとう』と言われて、自分が決めたことを尊重してくれました。(スポーツ少年団でバレーボールのコーチだった)父親も『セカンドキャリアも頑張りなさい』と言ってくれました。本心はわかりませんけど......」

――以前、なかなか勝てなかった時期にも「やめようと考えたこともあった」とうかがったことがあります。その時と今回とは違いましたか。

「全然違いましたね。以前そう思った時は、自分のなかで『私はもっとできる』と思っていましたから。今回はそう思うこともできませんでした。ビーチバレーは楽しいのですが、結果を求めると、楽しむだけではダメ。やらなければいけないことがたくさんあります。今回は、そこへの気持ちがついていけなくなっていました」

――さて、2014年からビーチバレーボールを始めて7年。改めて競技生活を振り返っていただきたいのですが、印象に残っている試合、大会などはありますか。

「振り返ってみると、不思議なことに楽しい思い出しかよみがえってきません。やっぱり試合に勝ったことは、心に強く刻まれていますね。

 なかでも、2018年のお台場の大会(マイナビジャパンビーチバレーボールツアー2018第2戦東京大会)で勝ったことは印象に残っています。ツアーのスポンサーをしていただいて、所属もしているマイナビの社長や社員のみなさんの前で初優勝できて、本当にうれしかったです。

 それから一昨年の、グランフロントのファイナル(マイナビジャパンビーチバレーボールツアー2019ファイナル グランフロント大阪大会)での優勝も印象深いです。思い出すと、胸が熱くなります。こうして改めて振り返ってみると、たくさんの観客の前でプレーできたことも、そのなかで優勝できたことも、本当にうれしく思います。

 同じく一昨年、ワールドツアーで優勝(イスラエル・テルアビブ大会)したことも忘れられません。準決勝でロシアのチームと当たったのですが、以前そのチームには、韓国テグ大会の決勝で悔しい負け方をしていたんですよ。その相手に勝てたことは、自分たちの成長の証だと思えて、とてもいい思い出として残っています」

――現役生活7年間で、いろんな選手と組んで戦ってきました。鈴木悠佳子選手(34歳)、藤井桜子選手(31歳)、村上礼華選手(24歳)、そして今年の夏からは辻村りこ選手(24歳)。それぞれどんなパートナーでしたか?

「先輩の悠佳子さんと桜子さんからは、いろいろと教えてもらいました。でも、おふたりは大変だったと思います。バレーボールをずっとやってこられたおふたりが言うことを、経験のない私には理解できなかったり、当たり前のことができなかったり......。

 私に向き合うことで、エネルギーをたくさん使ったと思います。だって、言われるほうよりも言うほうが大変じゃないですか。一緒にやっていた時はいろいろと言われて、ただ怖かっただけでしたが(苦笑)、今では理解できるようになりましたし、おふたりには感謝しかありません。

 礼華とのチームの時は、コミュニケーションを学んだように思います。私が教えてもらったことをどう伝えたらいいのか、コンビプレーをどう合わせるか。コーチも含めてうまくチームがいくように考えていました。個人的には、とてもやりやすいパートナーでした。

 りこちゃんは、強打をどんどん打っていくポテンシャルのある選手なので、それをどう引き出そうかと思っていました。それに、とても明るい子で、落ち込んで悩んでいた私も元気をもらって、毎試合頑張れました。こんな形になって、りこちゃんには本当に申し訳ないと思っています」

――大学生になってから、ほぼ初心者でビーチバレーを始めて、国内外の大会で優勝。東京五輪の代表決定戦にも出場しました。2018年には世界大学選手権(ドイツ・ミュンヘン)の日本代表にもなっています。こうした実績は誇れるものだと思いますが、ご自身ではどう捉えていますか。

「自分でもよく頑張ったと思います(笑)。最初は部活のような感覚でスタートして、ビーチバレーを仕事にするなんてまったく考えていませんでした。『日本一の練習をしたら、日本一になれる』という言葉を信じて練習していただけでした。

 Vリーグや春高(バレーボール高校選手権)を経験していなくても、勝つことができるのがビーチバレーのよさなんですよね。だから、練習した分だけ強くなれるんだなと今では思います。

 高校でバレーボールを経験していないのは私ぐらいですよね? 高校の先生にも『よく頑張ったね。バレーボールの経験がなかったから優勝するような選手になるとは思っていなかった』とメッセージをいただきました。

 でも、ビーチバレーはひとりではできません。パートナー、コーチらがいて、チームとして成立します。そのチームをうまく築いていったり、練習に集中できる環境を整えることも大切です。これまで携わってきたチーム、パートナーやコーチもみんな、いい人ばかりで、私のことを考えて接してくれました。私は周りの人に恵まれていたと思います」

(つづく)

坂口佳穂(さかぐち・かほ)
1996年3月25日生まれ。宮崎県出身。武蔵野大卒。身長173cm。血液型A