■成長を支えた家族観が揺らいでいる

5月31日、中国共産党は一組の夫婦に3人目の出産を認める方針を打ち出した。周知のとおり、中国は1979年以降、人口抑制策として「一人っ子政策」を展開し産児制限を強制してきた。しかし2016年に第2子を容認、そのわずか5年後には第3子を容認した。少子高齢化対策の裏には家族という社会の単位が危ぶまれている現状がある。

中国で今、何が起こっているのだろうか。

中国の経済発展を可能にしてきたもの、それはほかでもない“団結力”だ。社会主義国家特有の団結精神もあるが、中国には古代から脈々と続く、論語の思想を中心にした「家族観」がある。家族を最小単位にした結束があったからこそ、中国は異例の発展を遂げたといっても過言ではない。だが、その家族観も昨今は揺らいでいる。

■疑似家族のドラマが異例の大ヒット

2020年、中国で大ヒットした連続ドラマに「以家人之名(家族の名のもとに)」がある。青春ドラマに分類されており、家族問題を全面には出していないが、根底には、中国ではすでに血縁によるつながりがほどけてしまっているという示唆がある。

中国で2020年に放送された連続ドラマ「以家人之名(家族の名のもとに)」

このドラマの時代設定は90年代後半だ。中国のとある地方都市で、ふたりの父親が血のつながりがない3家庭の子どもを育てるという“疑似家族”の話で、ストーリーを簡単に紹介すると以下のようになる。

主人公の李海潮は妻を失い、男手で幼い長女を育てていた。ある日、同じアパートに一家(凌家)が引っ越してきたが、夫婦喧嘩の絶えないどこか影のある家庭だった。

凌家には息子と娘がいたが、娘は他界してしまったのだ。夫の凌和平は、精神的に病み半狂乱となる妻を必死になだめようとする。幼い息子の子秋は、両親の激しい喧嘩が始まるたびに外に出され、アパートの階段に座り込み本を読んで時間をつぶした。

■「ひとつ屋根の下」をどことなく彷彿とさせる

それを不憫に思って声をかけたのが李海潮で、子秋はいつの間にか李家で食事をするのが日常になっていた。やがて凌家の夫婦仲は限界に達し、ついに妻はアパートを1人で出て行ってしまう。

一方、李海潮には「後添いをもらったらどうか」という話が浮上する。相手は子連れの女性で、何回かのお見合いは順調だったが、ある日その女性は、李海潮に息子を預けたまま姿をくらましてしまう。

こうして、李海潮はいつの間にか3人の子どもの面倒を見るようになっていた。そこに凌和平も加わり、血のつながりのない家庭が出来上がっていくのである。

このドラマは日本で爆発的にヒットしたテレビドラマ「ひとつ屋根の下」(1993年)をどことなく彷彿とさせる。これもまた家族のつながりを問うドラマだった。30年遅れで中国の人々も「振り返れば、家族はバラバラになっていた」ということに気づき始めたということなのだろうか。

©FujiTelevision Network
1993年、フジテレビ系で放送された「ひとつ屋根の下」 - ©FujiTelevision Network

■「夫はいたけど、失踪しちゃったのよ」

こうした話は決してドラマの中に限った話ではない。むしろドラマのような現実の話はいくらでもある。

筆者は10年ほど前、上海で家具製造を営む女性経営者・馮さん(仮名・当時40代)の世話になったことがある。彼女は週末に上海の大学でMBAコースに参加し、平日はキャンパスで知り合った外国人留学生を家に招き一緒に食事を共にしていた。彼女が一人暮らしをしている理由を尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「夫はいたけど、失踪しちゃったのよ」

筆者にとって、「失踪」という言葉を身近で聞いたのはこれが初めてだった。彼女が言うには、夫は90年代に事業に失敗したらしい。今のように携帯電話が普及していなかった当時の中国で、一度別れれば消息不明になる。

90年代は、中国の国民全員が豊かになろうと目の色を変えた時代であり、物価が上昇する中で誰もが必死に働いた時代だったといえよう。“見栄”や“外聞”も作用した。他人に先を越される、あるいは置いてきぼりを食らうことを甘んじない人々は、どんな手を使ってでも豊かになろうとした時代だった。

■子を残したまま国を出る人も

そんな中国経済を、株価暴落・金融危機・住宅価格の乱高下が襲いかかった。こうした節目に、多額の借金に耐え切れなくなった事業者が次々と消息を絶った。そのとき家族は、夫や親を失った。

経済成長真っただ中の中国では、「出稼ぎ」も家族を分断した。多くの出稼ぎ家庭では、残された家族が犠牲になった。地方の農村から沿海部の大都市へ、沿海部の大都市から先進国の都市に向けて多くの人が流れた。「りんごを買いに行ってくるから」と幼い娘に言い残して、そのまま日本行きの飛行機に搭乗したお母さんも筆者は知っている。

中国の政治・社会に詳しい愛知大学名誉教授の加々美光行氏は、過去の中国の躍進を振り返り、こう指摘する。

「世界に席巻する中国の製品、飛躍する中国企業、それを支えてきたのは中国の大小の工場でしたが、さらにそれを底辺で支えてきたのは『家族』という単位でした。家族は父母を息子や娘が支え、それをまた子どもが支えるという逆三角形を成すのが典型ですが、昨今は中国でも逆三角形が形成されなくなっています」

■親と一緒に生活した記憶がない

中国では、幼い頃から親と別れて住んでいる子どもたちは少なくない。広東省に住む2002年生まれの王さん(仮名)は、両親が出稼ぎに行き不在だったため、子どもの頃から親戚に預けられていた。王さんは自分の生い立ちを次のように語っている。

「私は子どもの時から叔父夫婦に預けられていましたが、ほとんどの時間を幼稚園や学校の寄宿舎の中で過ごしました。寄宿舎から出られるのは週末だけで、毎週、金曜日の午後に叔父が迎えに来ました。一番つらかったのは夏休みや冬休みです。このとき、ほかの子どもたちはみな自分の家に戻りますが、私だけが幼稚園に取り残されました。毎日、自分の家に帰ることだけを考えてきました」

王さんは小学校に入学すると、今度はいとこの家に送り込まれたがなじむことができず、トイレにこもって泣くこともあったという。もはやこのときの王さんにとって、会いたいと思うのは父母ではなく叔父夫婦だった。親と一緒に生活した経験を持たない王さんは「父母の残像はありません」と語る。

現代の中国の中小都市は、多くの労働者の流失に悩まされている。労働者とはつまり、故郷や家族と遠く離れることを決意したお父さんやお母さんでもある。

「地方の中小都市はシャッター街、たむろしているのはもはや老人と赤ん坊だけ」(加々美氏)。過疎化が始まるのは遠い内陸の農村部だけではなく、上海に近い沿海部の中小都市でもいずれその日が来ると懸念されている。

■“子ども好き”な中国人に起きている異変

中国語で子どもは「宝貝(バオベイ)」という。まさに子どもを宝として、家族や社会が大事に育んできた。筆者も90年代後半に上海で子どもを育てた経験を持つが、公園や地下鉄や飲食店、その行く先々で1歳の娘は庶民に囲まれ大歓迎を受けた。中国人は子ども好き――そんな印象を深めたのもこの頃だ。

あれから二十数年がたち、世代交代が進んだ現在の中国では、子どもを欲しがらない夫婦が増えている。上海に住む劉さん(仮名)の一人息子・魏さん(仮名)もその1人だ(筆者注:中国は夫婦別姓で、子は父方の姓を受け継ぐ)。

1979年生まれの魏さんは、2013年に34歳で結婚した。魏さんは専門学校卒業、妻は上海の有名大学を卒業したキャリアウーマンだ。夫婦共稼ぎで、母親の劉さんにとって老後はもはや安泰であるかのように見えた。

その劉さんは意外にも「嫁がうちに顔を出すことはほとんどなく、嫁とはあまり話をしたことがない」とこぼした。息子の魏さんは今年で結婚9年目、年齢は42歳になるが、妻との間に子どもはまだない。劉さんは「息子は子どもを欲しいと思っていないのよ」と嘆く。劉さんはそんな息子に対して強い不満を抱いており、二言目には「気死我了(腹立たしい)」と繰り返していた。

■「自分が死ぬとき、誰が面倒を見てくれるのだろう」

中国の老人には「孫の面倒を見る」という社会的役割があるが、孫のいない劉さんにとっては肩身の狭い思いもあった。そして、それ以上に彼女にとって切実だったのは「自分の老後」だった。

実はここ数年、劉さんの夫は大病を患い寝たきりの生活だった。働き盛りの一人息子(魏さん)は仕事の忙しさを理由に、実家には週末に顔を見せるぐらいだった。上海では高齢者施設もあるにはあるが、寝たきりの夫は入所を嫌がったため、劉さんは自宅で夫を何年も1人で介護した。中国では今なお、本人も家族も「施設に任せる介護」を嫌がる傾向が強い。

夫は長い闘病生活の末に帰らぬ人となってしまったのだが、寝ずの介護をしながら、劉さんが筆者に打ち明けたのは「自分が死ぬ直前は、誰が面倒を見てくれるのだろうか」という不安だった。

写真=iStock.com/EllenaZ
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EllenaZ

■親の介護を拒否する若者たち

中国発展基金会の発表(中国発展報告2020:中国人口老齢化的発展趨勢和政策)によれば、中国の65歳以上の高齢者は2022年には1億8000万人になり、総人口の14%にまで増えるという。2050年には3億8000万人で総人口の27.9%にまで増える推計だ。この中国で一体誰が、老人たちの面倒をみるというのだろうか(ちなみに日本の65歳以上の高齢者は2020年時点で3617万人、総人口の28.7%)。

中国には「孔子の論語思想で結びつく中国の“家”という単位こそが、中国の莫大な福祉財政の必要性を回避してきた」と分析する学者もいる。しかし、中国の40代は、親の介護ができる最後の世代だと言われている。80年代、90年代、2000年代生まれは親の介護などしないという声もある。

■職場結婚や紹介が当たり前だったが…

前出の劉さんと夫(故人)は、国営工場時代に所属する工場の隊長(責任者)が縁を取り持ち1970年代に結婚した。当時は、従業員の仲まで工場組織が取り持った時代だった。個人のプライバシーへの介入という意味ではうっとうしいものがあるが、結婚適齢期になる若者を放っておかなかったことが、出生率を高めるのかもしれない。町内の世話役や友人が相手を探して紹介する、そんな“おせっかい”も都市部においては過去のものだ。

日本が大好きという上海在住の陳さん(仮名・32歳)は自分の生年を「平成元年生まれです」と自己紹介してくれた。コロナ禍に見舞われるまでは年に3回、日本を一人旅するのが趣味だった。陳さんは大学院卒業後、外資系企業で勤務する「高学歴・高収入」のキャリアウーマンであり、「現在、付き合っている男性はいません」という点以外は、自分の生活に不満はないという。

陳さんは「上海は子育てにふさわしくない場所」だと断言する。「住宅価格も物価も高いので、当然、教育費も高額になる」(陳さん)からだ。

■子を授かれば苦労の連鎖が産まれる

ひとたび子が生まれれば、「他人よりいい人生」を歩ませようと、熾烈(しれつ)な子育て競争が始まるのが今の中国の現実だ。前出の魏さん(結婚9年目・42歳)が子どもを持たない選択をしたのは、そんな競争を恐れたからでもあった。

教育費の高額化は上海に限った話ではない。陝西省西安市には、年間の学費が10万元(160万円)という国際学校もある。自分の収入をはるかに上回る教育費を目の当たりにすれば、誰でも子どもを産むのが怖くなるだろう。

子を授かれば、親子ともども苦労の連鎖が始まるという競争社会の現実こそが、出産にブレーキをかける理由なのかもしれない。中国は先月、「第3子を容認する」としたが、このような政策は今更焼け石に水だろう。若者たちはもはや「マインド」が萎え、第3子どころか第1子すら持とうとしない。それがリアルな中国の姿なのだ。

■米国も恐れた「家族の結束」は崩壊しつつある

ある日、筆者のスマートフォンに「深夜3時、ようやく宿題が終わった」とむせびなく小学校低学年のわが子を撮影した動画が届いた。親は子どもを不憫には思っていないようだ。中国は伝統的にエリート教育に対する信仰が強く、親も社会も「子どもは勉強して当たり前」という価値観を持っているからだ。

精神的にもタフな子どもたちは確かに「中国の競争力」となるべく、その歩兵として戦ってきた。だが、これから先は競争力ある子どもたちの数は激減する。前出の加々美光行教授はこう語る。

「中国は“家族で結束する”という伝統的な東洋の観念を持ち、これを原動力に急速に大国化してきました。中国のGDPは2028年に米国を超えると言われていますが、この急成長を可能にしたのが家族であり、企業であり、国家の団結でした。まさに米国はこの要因に強い危惧を抱いており、米中対立はここから始まっているのです」

一方で、この「家族」の観念に異変が起き、国家の礎となってきたその基層部分を成す家族が揺らいでいるのはこれまで述べたとおりだ。それは、世間でしきりに騒がれている人口問題や都市間格差問題をも内包する。加々美氏はこう続ける。

■人とのつながりも消えた中国の行く末

「中国の最近のテレビドラマは、直接的に家族崩壊を扱ってはいないものの、その根底には衰弱した家族観が見て取れます。もともと中国は“家族”をベースに、“人と人のつながりで支え合う人倫共同体”がありました。

しかし、これが90年代半ばから衰退を始め、国はついにその衰退を食い止めることができませんでした。孤独な群衆が生まれるとき、民主化を成功させることができなかった中国は、果たしてどのような道をたどるのでしょうか」

写真=iStock.com/Eugeneonline
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Eugeneonline

日本でも高度経済成長時代に大都市への人口集中や核家族化が進行し、従来の「親族」「家族」という概念や互助精神が希薄になっていった。中国でも90年代以降、親が子を育て、子が親の面倒を見るという「家族の基本的な形」が瓦解している。

もっとも、かろうじて残っているのは“人と人との情”だ。中国のコロナ禍では、実家が“避難場所”となり、仕事や家を失った息子や娘を積極的に受け入れた。昨今の中国人留学生は留学の本当の動機を「口うるさい親の干渉から逃れるため」だと明かすが、その割には家族との連絡を頻繁に保っている。

筆者が危惧するのは、この人情さえも失われてしまったときだ。そのときこそ、中国は本当の意味で内部崩壊を起こすのではないだろうか。(了)

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姫田 小夏(ひめだ・こなつ)
フリージャーナリスト
東京都出身。フリージャーナリスト。アジア・ビズ・フォーラム主宰。上海財経大学公共経済管理学院・公共経営修士(MPA)。1990年代初頭から中国との往来を開始。上海と北京で日本人向けビジネス情報誌を創刊し、10年にわたり初代編集長を務める。約15年を上海で過ごしたのち帰国、現在は日中のビジネス環境の変化や中国とアジア周辺国の関わりを独自の視点で取材、著書に『インバウンドの罠』(時事出版)『バングラデシュ成長企業』(共著、カナリアコミュニケーションズ)など、近著に『ポストコロナと中国の世界観』(集広舎)がある。
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(フリージャーナリスト 姫田 小夏)