人生で成功するにはどうすればいいのか。24歳無職で、人にご飯を奢られて生計を立てているプロ奢ラレヤー氏は「この社会では、大金を稼いだり、社会的評価を得られる人はごく一部。だから大多数の人は『成功できる』と考えるより、人生を諦めたほうが幸せになれる」という――。

※本稿は、プロ奢ラレヤー『プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略〜お金に困らず、ラクに、豊かに生きるには』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

■基本、人は変われないと気づけ

僕が「人生がしんどい」という人に言っておかないといけないこと――それは「人は後天的に頑張ったところで、それほど劇的には能力が上がらない」ということです。

人にご飯を奢られて生計を立てている、24歳無職のプロ奢ラレヤー氏(撮影=上原朋也)

というのも、どうあがいたところで、生まれながらに体格・財力・能力・容姿等々に恵まれた超人と、それらを持たない凡人との差は厳然としてあります。

人によって人生における部屋の大きさ(=人としての能力、キャパ)は違うし、置くことができる家具の総量(=実現できる欲求の数)も違うわけです。

当然ですけど、部屋の広さ(能力)が4畳半分しかない人が、10畳分の家具(欲求)を置こうとしても無理ですよね。

受験勉強にしろ、資格取得にしろ、昇級試験にしろ、仕事の達成にしろ、4畳半しかキャパがない人が「お金」と「見栄」のために10畳分のことをしようとするのは不幸でしかない。絶対にどこかでひずみが生じます。部屋に入りきらない家具に押しつぶされて息ができなくなるのがオチでしょう。

でも、それでも「やればできる!」「お前の4畳半の部屋は10畳にできる!」「だから10畳分の欲求も実現できる!」と盛んに言ってくるのが一般的な世の中なのです。

果たしてそうでしょうか?

■お金や見栄は「一握りの猛者たち」の特権

僕が思うに、自分の4畳半の部屋を10畳にリフォームするなんて、現実的にはほぼ成功しません。もしそれが簡単にできるなら、ビジネススキルや自己啓発を謳うようなセミナーに参加した人は、みんな事業で成功していないといけないし、心理学を学んだ人は誰しもが感情をコントロールできないといけない。

プロ奢ラレヤー『プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略〜お金に困らず、ラクに、豊かに生きるには』(祥伝社)

でも現実がそんなにうまくいっていないことは、ある程度人生経験があればわかるでしょう。

つまり、資本主義の構造上、誰しもが極端に部屋を大きくすることなど不可能なのです。

だから部屋を大きくしてお金や見栄をゲットできるのは、「ランキングバトルで上位になった一握りの努力好きな猛者たち」と、さっき挙げた「生まれつきすべてを手に入れたような人間」だけに与えられた特権だと早々に割り切ってしまったほうが、自分を責めたり、誰かに責められたりせずに、よほど苦しまなくて済むようになれるでしょう。

とにかく「部屋を広くする」という選択肢は、誰しもが目指すべきものではありません。だから僕は夢を叶えて成功しようみたいな風潮に乗ることを推奨はしない(個人の自由ではあるのだけど)。身の丈に合った生き方を目指せばいいと思うわけです。

「いつか自分は変われる」などという幻想を持つことは、自分というものに対して、ずいぶん期待が過ぎるな、と思います。逆に「変われる」という考えそのもののほうが、甘えなのかもしれません。

でもだからこそ、開き直ってお金と見栄を「あきらめる」ことは、実は何よりも強い。「あきらめる」とは変化への安易な期待を捨てることであり、変わらない自分を受け入れつつ、それでもなお前進していくことなのです。

■特別な「何者か」になろうとしなくていい

「基本、人は変われない」と言いましたが、ある種その逆を行くものとして、特に若い世代で人生しんどそうな人は、壮大な「何者か」を目指そうとしすぎているように感じます。

「好きなことで稼いで成功しなきゃ」「死ぬほど熱狂して取り組まなきゃ」「平凡な自分は生きる価値がない」みたいに思いすぎているというか。だから理想と現実のギャップで苦しむ。

これも要するに、「お金とか見栄をあきらめられない」の中に含まれるんですよね。無自覚なのかもしれないけど、結局そこには世間に評価されたい、いい暮らしがしたいみたいなのがあるわけで(もちろん、お金と見栄に生きたい人は、それでOKなんですけど)。

でも、そんな大金や世間的評価を得られるのは、さっきも言いましたが、ランキングバトルを勝ち抜いた者や生まれながらの圧倒的実力者だけ。厳しい現実ですがその他大勢にはハードルがかなり高いわけです。

■足るを知る「餃子ニート」の人生は豊か

ただ、僕は思うんですけど、「何者か」を目指して自分の能力じゃできないものに手を出して、わざわざ疲弊しにいかなくても、その他大勢的な人生でほどほどに楽しむのでよくないですかね? 僕ならむしろそっちがいい。

歴史を振り返れば、表舞台に登場するのは権力者や有名人の話ばかりだけど、その陰には名もなき民衆がいっぱいいます。彼らは別に高望みはしない。足ることを知って、自分の階級の中でそれなりの楽しみを見つけて毎日を生きていたはずです。

ここでも部屋と家具のたとえをまた出しますが、自分のキャパが4畳半分しかないなら、10畳になることを目指すんじゃなくて、4畳半のキャパに合わせた楽しみ方を見つけるほうが、人生は豊かだと思うのです。

たとえば、あなたがアニメ好きで、周囲の友人と比べて格段にアニメに詳しかったとします。

とはいえ、その「アニメ好き」という個性を活かしたからといって、いきなりアニメ解説のYouTuberになって稼いだり、アニメのまとめサイト運営で儲けようとしても大概の人はうまくいきません。ネットの有象無象の中ではたかが知れているレベルだし、あなたよりアニメに詳しい人なんて腐るほどいて、埋もれてしまうから。広い世界でのトップ=「何者か」になるのは難易度が高いわけです。

でも、もし本当にただただアニメが好きなら、それで成功して稼げなかったとしても、無意識のうちにアニメを考察しちゃってたり、まとめサイト作っちゃったりすると思うんですよね。

で、それこそが「何者か」になろうとしたり、「何者か」で居続けようとすることよりも、豊かな状態だと思うわけです。

実際、僕に奢りに来た人の中でも「餃子を焼くことが無上の喜び」っていう女性がいて「餃子の店を出してそれで稼がなきゃいけないかな……」と悩んでたんですけど、「餃子で稼ごうと思わずに、ラクなバイトで生活費と餃子の材料費稼いで、家で好きなだけ餃子焼けばよくね?」って言ったら、スッキリした顔をして帰っていきました。

いまは餃子ニートになって、生活に困らない程度に稼いで幸せに餃子に狂ってるみたいです。

写真=iStock.com/GI15702993
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GI15702993

■大社会から距離をとり、小社会から安息を手に入れる

だから、無理に「何者か」になろうとして、自分を脅迫し続けなくていいのです。

結局どれだけ目標を大きく持っても、その人にはその人なりのキャパがあります。

いまあなたがいる場所は、自分にとっての適切な数字であり、適切な居場所に他ならない。

「なんでこの俺がこんなしょぼいポジションに……」なんて思っている人は、ただ自分を過大評価しているだけです。

もちろんメジャーデビューできた人は「儲かってサイコー!」と思っているかもしれない。でも、実は「メジャーのストレスえぐい」って苦しんでるかもしれない。派手な活躍をして、お金も名誉も手に入れている人が、幸せで豊かだとは限らないわけです。

一方で、少なくとも現時点のあなたは、インディーズなりの楽しみを享受することはできますよね?

実はそのほうが幸せかもしれない。

大社会から距離をとって生きることで、目の前の小社会から安息を手に入れることはできます。これは、誰もが得られる「あきらめ」によるメリットなのです。

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プロ奢ラレヤー(ぷろおごられやー)
無職
1997年埼玉県生まれ。高卒。「他人の金で生きていく」をモットーに、「奢られる」という活動をし、半年で2万人を突破。現在ツイッターのフォロワー数は10万人超、noteの有料会員数も3000人を超える。愛称は「プロ奢(ぷろおご)」。
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(無職 プロ奢ラレヤー)