女性に体当たりする暴走中年が日本に増えた理由とは?(写真:filipefrazao/iStock)

日本中の女性が被害に悩む「体当たり男」。加害者の多くは、40代半ば以上の中年男性が多いという。フラストレーションを自身よりも力の弱い相手にぶつける暴走中年が増えた理由とは? フリージャーナリスト・吉川ばんび氏による新書『年収100万円で生きるー格差都市・東京の肉声ー』より一部抜粋・再構成してお届けする。

2018年、インターネットで大きな注目を集めた「新宿駅タックル男」。

多くの人が行き交う新宿駅の構内で女性だけを狙って次々と体当たりしていく男性の姿を捉えた動画がSNSなどで拡散され、同じような被害にあったことがある女性たちから怒りの声が日本中で上がった。

この文章を書いている私もまた、男性から思い切りぶつかってこられた経験は数え切れないほどある。歩きスマホをしているわけでもないし、突然立ち止まったり人の流れに逆らって歩いたりしているわけでもない。しっかり前を見て歩いている状態のときでも、彼らは肩を突き出すようにして「意図的」に体当たりをしてくる。

ときどき数メートル先から、こちらを睨むようにして突進してくる男性の姿に気がつくことがある。こういった場合、体当たりされる危険を察知して男性の動線を避けても、なぜかわざわざ歩み寄ってきて肩をぶつけて、舌打ちをしながら立ち去っていくこともある。

「体当たり男」はなぜ女性ばかり狙うのか

私はこのとき「ああ、通り魔だな」と思った。彼らは行く道を邪魔されたから怒っているのではなく、自分の中にある「怒り」やフラストレーションを鎮めるために、あるいは自身の力を誇示するために、「誰でもいいから」と赤の他人に暴力を振るっているのだ。

しかし、こうした話を知人の男性にしてもほとんどが半信半疑といった様子で、理解を得られない。無理もない、体当たりをしてくる彼らは「力で負ける可能性のある」男性には決して害を加えないようにしているためだ。稀に被害にあったことある男性もいるが、決まって小柄で、おとなしそうに見える外見の持ち主である。

また「女性なら誰でもいい」かというと、そうでもなさそうだ。「髪色や服装を派手にしたり顔にピアスをつけていたりすると、そうでないときよりも被害にあいづらい」といった経験談も多く寄せられる。

そして最も効果的なのが「男性と一緒に歩くこと」だ。気が強そうに見える女性や、彼氏や配偶者からの反撃を受けそうな女性を前にすると、彼らはするすると身をかわすように人混みを縫って歩くことができる。

加害者に中年男性が多い理由

加害男性の容姿や服装を振り返ると、だいたい40代半ば以上でスーツ姿の男性がほとんどだった。60歳を超えていそうな男性もいるにはいたが、思い出せる限りでは2人か3人くらいで多くはない。

彼らが何を思って体当たりをしているのかは不明だが、表情を見る限りでは総じて深刻なストレスを抱えているように思えた。眉間にシワが寄り、眉はつり上がり、口元は歪んでいるか「へ」の字に固く閉じられていて、明らかに健全な人間の表情とはかけ離れているのだ。

一般的に40代半ばの会社員といえば、社内でそこそこのポストを任されていてもおかしくない年齢だ。彼らが若かりし20代の頃には就職氷河期があり、非正規雇用が拡大していくにつれ「勝ち組」「負け組」の格差が大きくなった。そして終身雇用も安定しない時期だ。

さらに少し前までの日本では、うつ病や自律神経失調症といった心身の不調への理解も乏しかった。今でこそ広く認知されているが、当時は心身に不調をきたすことは「甘え」だとされていたし、多くの人が「根性がないからそんなことになる」という考えを有していた。うつで休職するとなれば腫れ物にさわるように扱われ、職場復帰はほとんど絶望的な時代だ。

いつ自分の人生の基盤が崩壊するかもわからない時代を「自己責任」で生き抜いてきた彼らには、頑張ってきたという自負も、プライドも、空虚さも、この先への不安もあっただろう。

そんな環境で社会人生活を過ごしていれば、赤の他人に危害を及ぼすほど狂ってしまう人間が生まれるのも、無理からぬことかもしれない。もちろんそんな身勝手な理由による加害が許されるべきではないが、社会構造上のストレスが彼らの凶行を助長している側面があるとすれば、対策を講じる必要がある。


2020年4月現在、新型コロナウイルスの感染拡大によりテレワークが推奨され、働く人たちの多くが一日のほとんどの時間を自宅で過ごしている。

毎朝の満員電車やストレスフルな環境下での仕事から解放されたことを喜ぶ一方で、これまで自分が過ごしてきた生活の異常さを実感し、「再びあの日常に戻ることを思うと辛くて耐えられない」と精神の不調を訴える人もいる。

また、これほどの緊急事態にもかかわらず不必要に社員を出勤させるなど、社員の命を軽んじる会社の姿勢に愛想を尽かす人々も存在する。

仕事を最優先し、人生を犠牲にしてきた日本人が限界を迎え、働き方を省みて豊かな人生を取り戻そうとしている。まさに「働き方を改革する」ときが、今なのではないか。

労働生産性は「48年連続」で最下位

不寛容な社会で私たちが手に入れたものは、一体なんだったのだろう。日本の時間あたり労働生産性は47.5ドル。G7(主要7か国)では、データ取得が可能な1970年から48年連続で最下位という結果だ。長時間労働に加え、不寛容な社会を強いることで得たかったのは中身を伴わない、ただの「頑張っている感」だったのだろうか。

それは、多くの人が人生や家族との時間、健康などたくさんのものを犠牲にしてまで欲しかったものだろうか。