スティーブ・ジョブズiMacでコンピュータの形を革新し、大ヒット商品となった。だが、アナリストたちは当初、「こんなものが売れるはずがない」とiMacを酷評していた。アップルでブランド戦略を担当した河南順一氏は「彼は自分の信じるものに対しては一切の妥協を許さずブレない人間だった。その“妄想”が最高のものを生み出した」と説く――。

※本稿は河南順一『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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■当時のユーザが求める「2つのもの」が欠けていた

破壊的イノベーションは視点が前向きになってはじめて起きるもの。過去の実績やデータをつぶさに分析し、市場の表面的なニーズを満たすことばかり考えていては、どうしても「常識」の範疇に収まってしまい、ありきたりの発想しか出てこないからです。

たとえば、1998年に発表されたiMacは、スティーブ・ジョブズの思い描く「インターネット時代にふさわしいコンピュータのあり方」が色濃く体現されていたものでした。それはあまりに未来志向で、その先進的なデザインや衝撃的な低価格を絶賛する人たちがいた一方で、一部のアナリストは「こんなものが売れるはずがない」とiMacを酷評しました。なぜなら、iMacには当時のユーザが求める最も大事なものが2つ欠けていたからです。

■プリンタメーカーが慌ててUSBポートに対応した

1つはFDD(フロッピーディスクドライブ)でした。まだまだFDDユーザが多かった時代ですが、「そもそもインターネットの時代になれば、データの転送もインターネット経由で行われるようになる」という確信から、バッサリと切り捨てたのです。ちなみに、当時のインターネット普及率は、アメリカでさえせいぜい1割程度でした。

もう1つは、SCSIなどの標準的なインターフェース。その代わりに当時としては先進的だったUSBポートを採用しています。プリンタメーカー各社はコストを優先し、USBポートを搭載したプリンタを製品化していなかったため、「プリンタがつなげられないパソコンを誰が買うんだ」という声が上がりました。しかし、結果的にはiMacの発表から発売までの短期間で、反響の大きさに驚いたメーカーが急ピッチでUSB対応のプリンタを製品化。アナリストの予想は見事に外れたのです。

■展示場で誰もがiMacを撫で回していた

iMacはデザイン的にも、前代未聞でした。従来のパーソナルコンピュータはどのメーカーのものもベージュ色で角ばっていましたが、iMacはおよそコンピュータらしくない、丸っこい半透明のポリカーボネート素材の筐体で、オーストラリアにあるビーチにちなんで名づけられたボンダイブルーの色をまとっていました。

河南順一『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』(KADOKAWA)

余計なものを取っ払い、配線もスッキリした一体型のレトロフューチャーなデザイン。コンピュータに馴染みのないコンシューマをターゲットにした、インターネット時代を切り開くまったく新しいコンセプトのコンピュータでした。

iMacの発表が行われたフリントセンターや、日本での発表会場や、1998年8月のマックワールド・ニューヨークでの展示場を見ていて気がつきました。このエクスペリエンスを重視したデザインは、ほかのコンピュータには見られない特異な現象を生み出していました。iMacの展示には、どの会場でもひと目見ようとする人たちが長い行列を作りました。自分の番が来てiMacと対面すると、全員が共通してとる行動があったのです。

展示されたiMacに触れて、そのボディを撫で回すのです。まず両手でiMacを抱き込むようにして、上から後ろへ、横から下へ。ポリカーボネートの筐体のふっくらした曲面が滑面でないので、手のひらに残るかすかな抵抗も心地よかったのかもしれません。来場者の老若男女、人種、国籍、言語の違いに関係なく、大人も子供も、iMacをいとおしげに撫で回す表情には穏やかな笑みが浮かんでいました。

■iMacは既存データや市場調査からは生まれなかった

ここで重要なポイントは、iMacは既存データや市場調査からは生まれなかった、ということです。既存データや市場調査に頼っていたら、きっとFDDやSCSIといったレガシーに引きずられていたと思います。

アップルは、自分たちが思い描く理想のコンピュータ像を愚直に追い求めた結果、業界とユーザを動かし、新しいコンピュータ時代の扉を開けたのです。

■ジョブズがDMに「NO」と言った理由

スティーブのインターネット時代に対する強いこだわりは、私も当事者として体験しました。初代iMacの販売拡大のために日本で大きなキャンペーンを打つことになり、その一環として大規模なダイレクトメール(電子メールではなく、実際の郵送)を計画したときのこと。ローンチの日に向けて忙しく最終準備に追われていたとき、スティーブから、「インターネット時代を象徴するiMacのプロモーションに、前時代的な郵便物を使うとは何ごとだ」とストップがかかったのです。

私がクパチーノに出張した際、スティーブが参加するセッションで、この議題が上がりました。スティーブが難色を示す中、私は再度「日本ではダイレクトメールがいまだに効果的で、iMacのシェアを拡大するチャンスである」と説明しましたが、スティーブは「NO」の一点ばり。「そんなことは百も承知だ」という顔で、提案は却下されたのです。

スティーブはしばしば頑固者だと言われますが、言い方を換えると、彼は自分の信じるものに対しては一切の妥協を許さずブレない人間だということです。彼の、iMacでコンピュータのあり方を変えたいという信念は終始一貫していました。イノベーションを実現するためには、従来の手法を覆くつがえすことに一切妥協してはならないと学んだミーティングとなりました。

スティーブのリーダーシップを語る際に、「現実歪曲空間(Reality Distortion Field)」という言葉がしばしば使われます。現実歪曲空間とは、卓越したプレゼンテンーション能力によって、聴衆をイマジネーションの世界に引き込み、実現不可能に思えることを実現できると納得させてしまう場面や雰囲気のことです。

■現実歪曲空間だけではディスラプションは起きない

しかし、私が強調したいのは、現実歪曲空間だけではディスラプションは絶対に起きないという点です。たしかに彼はプレゼンの達人であり、いまや彼のプレゼンスタイルは世界中の企業で模倣されています。しかし、プレゼンで人の心をつかんだところで、実行がまったく伴わなかったらただの詐欺師です。

ディスラプションは、描いたビジョンと戦略を実行に移し、有機的に発展させることで初めて完結するものです。壮大なビジョンを信じ込ませるのは非常に重要なことですし、スティーブの強みでもありました。ただ、スティーブが「プレゼンの人」だと思ったら、とんでもない間違いです。一見、大ボラに聞こえるような壮大なビジョンを自信満々に語る一方で、裏では大ボラを実現するための努力を、全身全霊をかけて続けたのです。

■ジョブズを突き動かした“妄想”

ディスラプターとしての彼を突き動かすものを的確に表現する言葉は「オブセッション」だと、私は感じています。スティーブとアップルを突き動かしたオブセッションはロジックを超えていて、いたるところで混乱・反発・拒絶を引き起こしました。そのような状況の中でThink differentの哲学が、まずは禅のように無私の心を持つ人たちに染みて、徐々に周りの人々に染み渡っていきました。Think differentの境地には、収益や利益率のKPIはありません。

スティーブは「最高の創造」と「シンプルの追求」にオブセッションを抱いていました。その結果、iPhoneのホームボタンを含め、さまざまな製品のボタンは1つになり、ユーザを操作の複雑さから守り、革新的な使い勝手を実現しています。おそらくスティーブのアイデアのほとんどは、開発するエンジニアや製造部門の担当者からすると実現可能性に乏しい「妄想」でした。しかし、ディスラプションのプロセスにおいては、この妄想が重要な起点となります。

■「あるべき姿」を貫くための準備

アイデアとして浮かぶ「あるべき姿」と現状のギャップが大きいほど、さまざまな抵抗にあい、つぶされることも多いでしょう。それでも、この「狂おしいほど素敵な、めちゃくちゃすごい、最高の」あるべき姿を思い描くセンスと能力は、どんな組織であろうとかけがえのない資質となるにちがいありません。

「最高のもの」を作り出そうとするオブセッションが、単なる「現実を歪曲する妄想」としてないがしろにされないよう、その素敵な自分のアイデアを簡潔にまとめること、そして語り、心に響かせるための訓練は必要でしょう。そういった発想の整理とコミュニケーションができるように日頃から自らを鍛える意味で、「エレベーターピッチ」の作成は有用な第一歩になるかと思います。

■エレベーターピッチで聞き手の心を動かす

多くの企業では「エレベーターピッチ」を、社員のコミュニケーショントレーニングの一環として実施しています(主に外資系で)。会社や自分自身をアピールする30〜60秒の短いスピーチを作成し、発表するというものです。ポイントは、最も重要なポイントに絞り、自分を押しつけるのでなく、相手の立場に立ったメッセージで、聞き手の心を動かすこと。

エレベーターピッチを作成し実際に練習することは、自分の考えをいかにわかりやすく説得力のあるストーリーにまとめるか、アイデアと思いを整理するうえで役に立つ1つの方法です。

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河南 順一(かわみなみ・じゅんいち)
同志社大学大学院ビジネス研究科 教授
マーコムシナジー源 代表取締役。同志社大学商学部卒業、アリゾナ州立大学W.P. Carey School of Business MBA修了。日本マクドナルド、アップルジャパン、すかいらーく、サン・マイクロシステムズ、モービル石油等に勤務。アップルで“Think different”を掲げたブランド戦略の展開、マクドナルドでCEOコミュニケーションの一新を担うなど、ブランド再生や企業イメージの刷新に勤しんできた。
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(同志社大学大学院ビジネス研究科 教授 河南 順一)