経験、という言葉の意味を考えされられる。

 6月17日に行なれたコパ・アメリカのチリ戦で、日本代表は0対4の大敗を喫した。

 日本のメンバーは、東京五輪世代が中心となっている。森保一監督は勝利を目ざす姿勢を示しているが、率直に言って現実感は乏しい。分かりやすくたとえるなら、フル代表同士の対戦で日本代表や韓国代表に勝てない北中米カリブ海のトリニダード・トバゴやエルサルバドルが、アジアカップに五輪世代のチームを送り込み、なおかつ「勝利を目ざします」と宣言するようなものである。当該大陸の強豪国から「何を言っているのか」と思われても、相手を納得させる答えを用意するのは難しい。

 コパ・アメリカにおける日本代表は、明らかな異邦人である。サッカーの範囲において南米にゆかりはなく──サッカー協会同士の関係などではなく、一般のファンに見えやすい結びつき──実力的にもコパ・アメリカに新たな興味を提供できる立場ではない。

 大陸王者を目ざして本気でしのぎを削る大会に、そんな国がやってくる。そもそもの大陸加盟国は、どんな心境だろう。

 トリニダード・ドバゴやエルサルバドルがアジアカップに招待され、出場を表明したら、僕はたぶんこう考える。「出るのは結構。でも、簡単に勝てるとは思うなよ。どうせ出るなら死ぬ気で向かってこいよ」と。そして、僕と同じ思いを、選手たちにも持ってほしいと願う。

 ここから先は想像だが、チリの選手たちは拍子抜けしたのではないだろうか。リベラ・ルエダ監督は「日本は直前の試合とシステムも変えてきて、我々を驚かせた」と話していたが、「これからさらに厳しい相手が2チーム控えている」と話している。「驚かされた」から「混乱した」わけではなく、「怯んだ」わけでもない。「驚かされた」ところで対応の範囲内だった、と考えられる。

 国際Aマッチの出場経験がない日本の選手たちにすれば、野獣が待ち構える檻のなかに放り込まれたような気分だったかもしれない。そうだとしても、受け身が過ぎたのではないか。プレーも、メンタルも。

 森保監督に言われるまでもなく、スカウティングを待つまでもなく、チリに押し込まれるのは分かっていたはずである。十分なトレーニングを積んでいないことから、チームとしての機能性を担保できないことも。

 それならば、押し込まれる前提でどうやって対応するのかを、自分なりに想定しておくのがコパ・アメリカに臨むあるべき姿のはずだ。経験が少ないから、若いからできない、という種類のものではない。

 チリ戦に出場したほとんどすべての選手は、「真剣勝負のチリが、どれぐらいの熱量で挑んでくるのか」を経験したに過ぎない。「自分がどれぐらいできるのか、自分たちがどれぐらいできるのか」については、まだ確認できていない。本当の意味での経験は、まだ積んでいないのである。