えっ?こんな小さな”少女”がサッカーをするの?そんな印象すら抱かせる。

「ヴィーナス」「美しすぎる」。日本のサッカーメディアではそうも形容される。今季からINAC神戸レオネッサに加わった韓国代表MFイ・ミナのことだ。

韓国国内では2015年の東アジアカップで注目を集め、日本開催だった2017年の同大会(E-1選手権に名称変更)では、日本でも多くの目に触れることになった。身長158センチの愛らしいルックスと、攻撃的MFとして見せるセンスのギャップでファンを魅了したのだ。

1月下旬に神戸にやってきて約一年。意外とその言葉が伝わる機会は多くはなかった。チーム通訳なしで活動する影響もあるためだろう。男女問わず、韓国のサッカー選手が日本で活動する場合よくあることだ。

今回、神戸を訪ね、韓国語で直接本音を聞き出した。入団後しばらくは負傷などもあり本領発揮とはいかなかった。9月に2戦連続2ゴール と爆発。その後は日本にも慣れた様子を見せるようになってきた。
 
今、彼女は何を思うのか。


【撮影 岸本勉(PICSPORT)/取材・文 吉崎エイジーニョ】


私について。「ミナ」の名前の意味は…



ミナって、韓国でも多い名前なんですよ。

漢字で書くと「玟雅」です。ゆっくり読むと「MIN-A=ミンア」になります。「ミン」には「美しい宝石」という意味、「ア」には「美しい子」という意味が含まれています。母が「可愛らしく生きてほしいという」願いを込めたと聞いたことがあります。日本にも多い名前だっていうことはずっと知らなくて。大人になってから知りましたね。

韓国の大邱広域市で生まれ、育ちました。盆地で、海に接していない。とても暑い場所だったという記憶がありますね。決して田舎ではありませんよ。家の近くに地下鉄の駅もありましたから。

子供の頃、知っていた日本といえば「崖の上のポニョ」と…えっと、カオナシが出てくる作品…「千と千尋の神隠し」など、もっぱらアニメでしたよね。周りの友達はドラマも見ていたけれど、私はそこには興味はいかなくて。



それよりも私にとって日本は、サッカーのイメージが強かったです。「すごく基本技術が高い国」という。高校1年の頃から「かならず将来は日本に行ってサッカーをするんだ」という夢を持っていました。本当にそういう機会が訪れて嬉しく思っているんですよ。

よく聞かれます。「そんなに小さいのになんでサッカーを始めたのか」って。身体が小さいうえに、家族や親戚にも誰一人として運動神経のいい人がいないんです。

始めた理由は、通っていた小学校に女子サッカー部があったこと。他の運動部はありませんでした。もともと座ってやる勉強よりも、身体を動かすことに興味があったんです。

やり始めると、ゴールを決める感覚とドリブルで突破できることに楽しみを感じました。それと…私、寮生活が楽しかったんです。当時の韓国の運動部は子供の頃から寮生活をするところもあって。みんなで時間を過ごす、ということがとても楽しかった記憶があります。

子供の頃から身体はすごく小さかったです。これでも周囲と比べれば”成長率”はかなりのものですよ。私は、韓国の女子サッカー界でもかなり小さい方(158cm)ですが、それでももっと小さい選手もいますし。



まあそれでも、もう少し大きければよかったなとは思いますよ。もう少し大きければ、プレーの面で有利になったんじゃないかと。でも、大きかったら、私が今やっているサッカースタイルというのは実現できなかったんじゃないかとも思いますよね。

2015年の東アジアカップ(現E-1選手権)で韓国代表に選ばれて、韓国国内では注目していただけるようになりました。ルックスについて、多く話をいただけたことは確かです。ありがたいことだと思っています。一方で、プレッシャーでもあります。私はサッカー選手ですから、もっとプレーのことで注目されなきゃいけないという思いが強いです。韓国代表選手ですからね。自分のプレーで責任を負う立場にあります。

ユベントスの守備をどうこじ開けるのか。そんな興味があります。



大学を卒業して、2011年からWKリーグの現代製鉄レッドエンジェルズでプレーしました。当時の監督の影響もあって、ずいぶん世界のサッカーを見たんですよ。チームは夕方から練習だったので、夜遅くまでチャンピオンズリーグの生中継を見ることも可能でした。あるいは午前中に再放送を見たりして。韓国はポータルサイトでも中継をしてくれるんです。決勝戦は毎年必ず見てきました。

好きな選手はメッシですね。体が小さいのにボールをしっかりキープができる。才能と本人の努力を感じます。真似をしたいと思う選手ですよ。基本的に身体の小さい選手が好きですね。モドリッチも好きです。

この二人が出てくると「バルサ派かレアル派か」という話にもなりますよね。私、どっちのサッカースタイルも状況によっては必要だと思って見ているんです。現代サッカーはいずれにせよ、スピードが必要ですからね。一見、レアルの方がより速いサッカーをしているように見えます。しかし、バルサのような時間をかけてボールをキープすることが必要な場面もあります。両者の良いところを採り入れようと思いながら見ていますよ。



一方で、私は当時の監督のススメもあって、去年までは特にユベントスの守備組織に注目してよく試合を見てきました。かなりよく整備されているんです。そこに対して、レアルやバルサがどうやって穴を空けていくのか。そういう観戦法も楽しみましたね。ちなみに韓国ではサッカーゲームの「FIFA」が人気なんですが、そっちの方はさっぱりです。かなり下手ですよ。

韓国代表での私。「過去には夢見心地でした」



韓国代表の年代別代表に初めて選ばれたのが、10代の後半でした。ありがたいことに08年のU-17 W杯ニュージーランド大会、08年の女子U-20W杯ドイツ大会に出場することができました。選手だったら誰でも出てみたいと思う場所に行けたんです。そういった経験もあって、今、私はサッカー選手という自分が好む職業に就けています。

でも、その当時の自分と今の自分が違う考えを持っている部分もあります。

昔は代表に入れること自体が夢見心地でした。「私もここまでこられたんだ」って。

間違っていました。代表チームって、そういう場所じゃないんです。責任感が必要な場所。そう考えられてこそ、成長があるんです。



ここに気づいたのが、代表に選ばれなかった時期でした。2012、13年に選ばれて、その後、2015年まで2年ほど苦しい時期がありました。運が悪い部分もありました。

後で振り返って思えることなんですが、我慢をし、より成熟した時期じゃないかと思っています。一時期、代表招集が途絶えてしまうと「心の準備をして機会が来るのを待とう」と切り替えました。

再びチャンスを得たのは、2015年の東アジアカップ(現E-1選手権)からでした。同じポジションの先輩の負傷で替わりに代表に呼んでいただいて。大会最初の試合は中国戦でした。W杯(カナダ大会)直後の大会だったので、相手には大会に出場した選手も多くて。そこで考えたのは「責任を持ちつつも、一人で空回りすることはするまい」ということでした。自分だけがやってやろうという考えは捨てようと。周囲とのコンビネーションを考えようと。苦しかった時期を経て、責任を持ちつつ意気込みすぎない方法を学んだと思います。

幸いプレー内容もよく、大会では後の日本戦にも出場できました。その時の日本は若い選手がたくさん出てきていましたね。若い選手たちもやはり基本技術は高い。一方で経験のある選手達とはどうしても差がありましたよね。あくまで当時は、ですが。

日本での日々。ゴールを決められないことへの葛藤



2018年シーズンから日本でプレーすることになりました。

シーズンの序盤から、9月(24日のリーグ戦第12節マイナビベガルタ仙台レディース戦)までかなりの焦りを感じていました。

その試合で2ゴールを決めるまで、無得点でしたから。私は2017年に韓国のリーグで年間17ゴールを決めた姿を評価していただき 、INAC神戸に迎えられたと思っています。1.5列目の選手だという意識も強い。でもゴールが決められなくて。



何より、私は外国人選手としてプレーしています。周囲の選手よりも、勝利に対して決定的な仕事をしなければならい。どんなかたちでもチームの力になること。そういったことを強く考えています。

ピッチ外でチームメイトと過ごす何気ない時間では、自分が外国人だということは強くは意識しません。はしゃぐときは、一緒にはしゃぐ。でも、ピッチに入れば話は別なんです。この考え方は韓国サッカーのリーグ文化の特徴かもしれませんね。韓国語では外国人選手は「傭兵(ヨンビョン)」というんです。チームの中で、外国人の果たす役割がとても大きいと考えられています。



だからこそ、ゴールがないのは本当に苦しい時間でした。

何が問題だったのか。それは日本の”スピード”に適応できなかったということです。

韓国から観て 、日本のサッカーは「技術的なサッカー」というイメージがあります。一方 、韓国サッカーには「パワーとスピード」というイメージがあるでしょう。確かに選手たちもそう思っています。選手のスピードでは、韓国の選手は日本より上回っている部分はあります。

私自身は韓国のなかですごく速くはなかったけど、それでも速い方でした。しかし、日本のなでしこリーグはもっと「速かった」。テンポ、プレッシャー、そして攻守の切り替えが速いのです。

来日当初はピッチの中で目が回る、という状態でした。近頃は、ようやくそこにも慣れてきたというところです。



ピッチ外での日本の文化に慣れることに、多くの苦労はありませんでした。韓国にいるときから情報を知っていたことも多かったので。街中での秩序がよく守られている。道路にゴミがあまり落ちていない、といった点です。神戸の街にも少しずつ出かけていっています。三宮、チャイナタウン、ハーバーランド。大阪や京都にも行ってみたんですが、神戸のほうが静かだなと感じます。まあ…私、家が好きなんで休みの日は家にいることが多いんですが。

日本の文化で驚いたことを一つ挙げるとしたら、チームメイトとの最初の挨拶のときですよね。韓国では「初対面の人とは必ず立って挨拶する」という習慣があります。でも日本では座っていてもいいらしいんです。私が立とうとすると「いいよ」って。それはとても不思議でしたね。
 
日本語は、語学学校に通って勉強しています。まだまだ「子どもが話している」というレベルだと思いますよ。チームメイトともっと話してみたいけど、対話をするというところまではいっていません。ピッチ上でも「前」「後ろ」「縦」といった言葉は喋りますが、込み入ったサッカー用語はまだまだこれから勉強するというところです。

チームメイトからは、練習中などに「オンニ」と呼ばれています。韓国語で「お姉さん」という意味です。まあ、27歳でちょっと年上ではあるので…。GKのレイ(武仲麗依)とはここ最近、すごく仲良くなっています。彼女、韓国に興味があるらしくて、少し韓国語を話すんです。ピッチ外でも助けてもらっていますよ。一人と親しくなっていくと、チームメイトみんなともより親しくなっていけます。彼女への感謝は、今回のインタビューを通じて、ぜひとも伝えたい部分です。書いてくださいね。



そういったこともあり、夏の終わりあたりのマイナビベガルタ仙台戦(9月24日)でようやく2ゴールを決められました。まあ、後で落ち着いて考えてみると、少し焦りすぎていたという部分もありますよね。
 
その試合の1ヶ月前(8月28日)、韓国代表として出場したアジア大会(@ジャカルタ・パレンバン)の準決勝、日本戦でゴールを決めたんです。INAC神戸のチームメイトとも対戦した試合でした。結果は1−2の敗戦だったんですが、韓国代表に入って日本と対戦した結果、ゴールを決められました。そこから心に少し余裕が出てきたのは確かですね。

そうやって過ごしたシーズンも、12月を迎えています。韓国と比べて、日本のシーズンは長いです(皇后杯の決勝は2019年1月1日まで)。これまでだと韓国ではシーズンオフに入っている時期なんです。私自身、かなりしっかりと戦わなきゃな、と思っています。意識をしっかり持たないと、集中力を欠いた状態でピッチに入ってしまいかねない。そんな緊張感のなかで、冬の日々を過ごしています。



<プロフィール>
イ・ミナ
韓国女子代表MF/なでしこリーグINAC神戸レオネッサ所属。1991年11月8日 生まれの27歳。158 cm/50 kg。大邱サンイン初等学校―サンウォン中学ーポハン女子電子高等学校ーヨンジン専門大学ー現代製鉄レッドエンジェルズ。2015年の東アジアカップ招集時から、そのルックスも話題を呼び、韓国国内で大きな注目を集める。日本メディアでは「ヴィーナス」のニックネームも。韓国女子代表キャップ51試合14ゴール。