日本菓子専門学校で製パンを学ぶ中国人留学生の王尊さんと、韓国人留学生のグ・ヨンモさん(写真:編集部撮影)

2016年、世界のパン業界に衝撃が走った。パン職人のワールドカップと呼ばれる「クープ・デュ・モンド」で韓国が優勝したのである。そのうち1人は、日本へ「パン留学」していた職人だった。

近年、日本のパンの評価は世界的に上がっており、クープ・デュ・モンドでは日本のパン職人も優勝している。そんな中、アジアの「パンのハブ」日本に、中国や韓国、東南アジアなどからパン留学する学生が急増している。

日本のパン技術を学びたいベトナム人

東京都内でレストランなど14店舗を展開するマザーズは、来年早々、製パンの技能実習生を受け入れる。同社は2013年8月、吉祥寺にエペ、2018年8月、西新宿にモアザンというパン屋とレストランを複合させたブーランジェリー・ビストロも開いている。パン屋でベトナム・ホーチミンに進出する予定で、現地で働いてもらうための技能実習生を受け入れ技術を習得させるという。

今年3月と5月に現地へ赴いたという同社ベーカリー部門の責任者、神林慎吾氏は、ベトナムのパン事情について「もともとフランス領で、町へ行けばバインミーサンドを売っている。そこで使われているバゲットは、具材を挟むと絶妙のおいしさになるのですが、中身はスカスカ。パン自体のおいしさは追求していない。今、ベトナムは経済発展中で、都会は生活の西洋化が進んでいる。パン需要の伸びしろは大きいと思う」と語る。

同社ではホーチミンの日本語学校に在籍する20人を面接し、20代の女性5人の受け入れを決めている。彼女たちの実家がある農村にも出向き両親にあいさつもした、本部マネジャーの永田真二氏は、次のように語る。

「向こうは一見しただけでわかるほど、地方と都会の格差がすごく大きい。日本に来ればお父さんの半年分ぐらいの給料を1カ月で稼げる。だから田舎出身の子たちは、幸せになる方法として日本に行くことを希望するんです」。面接では、技能実習生候補者たちの必死さに圧倒され、消耗したと神林氏とともに述懐する。

来日する技能実習生たちは、モアザンの工房で一からパン製造の技術を学ぶ予定だ。「最終的に現地へ帰ってもらい、マネジャーになってお店を展開してもらえるといいな」と永田氏は語る。

実際のところ、パンの業界にはどの程度技能実習生が入っているのだろうか。筆者が、パン業界の人たちから、「現場で働く外国人が増えている」といううわさを聞いたのは去年。しかし、取材に協力してくれるパン屋を見つけるのには苦労した。また、どのぐらい増えているのか数字を持っていると聞き、問い合わせた東京パン連盟工業協同組合からは、結局回答が得られなかった。

公的なデータを探してみたところ、法務省による、2〜3年目の技能実習生数の推移を調べたデータが見つかった。それによると、パン製造を含む食品製造関係の技能実習生数は、2007年から2015年までは横ばいだったが、2015年から急激に増え、2017年は2015年の2倍弱にも増加している。

2年前から中国人留学生が増えている

彼らをすでに受け入れた経験がある現場を探したところ、専門学校2校から話を聞くことができた。その1つ、東京・二子玉川にある日本菓子専門学校は、製菓・パンの2つのコースを持つ1年制の専修学校だ。パンを学ぶ留学生が最初に来たのは2001年。韓国人の女性が語学留学で日本に来てパンを食べておいしさに感動し、ぜひ勉強したいと入学してきたという。

製パン技術を学ぶために来日する韓国人が増え始めたのは2005年ごろから。以来、平均して毎年5〜6人が入学する。男女比率は半々程度。2012年ごろから台湾人留学生も来るようになった。韓国人留学生は、東日本大震災とウォン安の影響で減っているが、2年前から中国から来る留学生が急に増えた結果、留学生総数が伸びたという。

今年在籍している学生は、韓国人2人、中国人6人の8人である。製パン技術学科の在籍者数が31人なので、留学生が4分の1を占める計算になる。

留学生の1人、中国・深圳から来た女性の王尊さんは35歳。IT企業で働いたが疲弊して退職。パンが好きなので、パン屋で数年働いた結果、これは一生の仕事だと思ったという。「でもパン屋は専門的な知識は教えてくれない。大学では知識を学べますが実技は少ない。日本の専門学校では両方学ぶことができるので留学しました。それに日本は、ご飯の国でパンに対する趣味が中国と近いと思います。帰国後は、日本で学んだことを伝えるパン教室を開きたいです」と話す。


帰国後は、中国でパン教室を開きたいという王さん(写真:編集部撮影)

一方、韓国・京畿道から来たグ・ヨンモさんは、母と伯父がパン屋を開いていて、高校在学時から日本に留学しようと決めていた20歳の男性。「韓国より日本のほうが、技術が高いから留学しようと思いました。日本菓子専門学校は外部のパン屋をしている先生からも学べるし、実習が多いところがいいです。最初はわからない言葉も多かったけれど、今は大丈夫です。学生もみんな優しい。韓国にいるより楽しいです」と話す。


韓国にいるより楽しいと話すグさん(写真:編集部撮影)

「韓国は菓子パン・総菜パンが中心で、最近は日本と変わらないレベルのパンが並んでいます。また台湾でもパンを食べる人が増えた。中国では北京・上海・広州の大都会でのパンの品質向上が著しい」と、同校教育局局長の鈴木信明氏は分析する。「でも、日本のほうが、技術が高いので学びたい学生が来る。学校のホームページに中国語・韓国語版の入学案内も用意していますので、それを見つけて来る学生や、日本に語学留学してからパンを学びたいと考え、日本語学校の先生に聞くなどして入ってくる人が多いです」。

日本には独自のパン文化がある

また鈴木氏は「ヨーロッパは食事としてのパンだから流行があまりない。でも、日本では売るために次々と新商品を出すので、日本で学びたいと学生が考える」とも見る。

日本では、主食の中心はコメのご飯なので、パンはサブ的な位置づけになる。おやつとしてパンを食べる人も多い。そのため、独自の菓子パン・総菜パンが発達した。定番だけでなく、遊びの要素が求められるおやつだからこそ、次々と新商品が開発されて客を引きつける構造になっている。アジアもコメが主食のため、若者たちは土壌が共通している日本で製パン技術を学ぼうと考えるのだ。

留学生を受け入れているもう1つの専門学校が、大阪・阿倍野に拠点を置く、日本最大規模を誇る辻調グループである。辻製菓専門学校では、洋菓子・和菓子・製パンを2年間で学べる。2017年から、2年次にコースが分かれるシステムを採用し、製パンのみを学べるブーランジェクラスができた。そのクラスに在籍する一期生は、34人のうち9人が留学生と、こちらも約4分の1を留学生が占める。

去年までのパン職人を目指していた留学生数はわからないが、辻製菓専門学校に留学生が最初に来たのは2004年ごろ。2009年に校長が韓国のテレビ番組に出演したことから、2010年に韓国人留学生が急に増え、製菓の留学生総数は31人になった。以降、留学生の数は増え続けている。

今年ブーランジェクラスに入った9人の内訳は、台湾5人、韓国2人、中国2人で、やはり東アジアばかりだ。製菓や調理のコースには、タイやインドネシア、シンガポールなど東南アジアからの留学生も少数ながらいるという。

アジアへ頻繁に出掛けるという同校企画部の渡邉志保氏は、「韓国は最近カフェ文化が定着してきていて、店構えがヨーロッパ風のカフェもあります。前はコーヒーしか置いていなかったのが、今はパンもある。そして普通においしいです。台湾でもパンの需要は確実に高まっています。辻製菓専門学校に在籍する台湾人留学生は2015年には26人でしたが、今年は51人。中国も10人が37人にまで増えました」と話す。

「留学生に動機を聞くと、日本は近いし体系的に学べる。また、もともとパンがなかったのに取り入れて定着しているプロセス自体も学びたい、という学生が結構います。また、衛生基準が高いので、日本の免許は外国では通用しないのにハクがつくからと、製菓衛生師の資格などを取って帰る人も多いです。日本の技術力は高いと皆言いますね」(渡邉氏)

来年度は留学生が増える見込み

これは、日本菓子専門学校でも同様だが、生活費と学費と高いお金を投資して留学している学生たちは、モチベーションが高く授業でも積極的に質問するので、日本人の学生たちも刺激を受けて熱心に学ぶプラスの効果があるという。

渡邉氏は「日本人も自然に引き上げられてレベルが高くなるので、留学生にはいてほしいと思います。グループに分けて作業させると、リーダーに名乗りを上げるのは留学生です」と語る。

辻調グループでは、現在来年度の学生の募集を始めている。今年は製菓に入ってきた留学生は93人だが、まだまだ増えそうという手応えがあるという。日本菓子専門学校でも、日本語学校在籍者を集めた留学生向け進学相談会に行くと、東南アジア出身者などの関心が高いと感じている。日本人の若者が少子化で減っていることもあり、英語版の案内を作ることも検討していると聞いた。アジアからのパンの留学生はますます増えていきそうだ。

【2018年10月13日10時00分追記】初出時、来年度の留学生の数は「倍増しそう」とありましたが、「まだまだ増えそう」と修正いたしました。関係者の皆さまに深くお詫び申し上げます。

アジア諸国・地域の経済発展の目覚ましさは、報道などで知っている人も多いだろう。経済が豊かになると西洋文化を取り入れようとするのは、日本と同じらしい。日本の場合、欧米まで行き学んだうえでその文化を吸収したが、ほかのアジア諸国にとって西洋文化を最初に学ぶ場所は、アジア風にアレンジした日本になる。距離が近いことも魅力のようだ。

冒頭のクープ・デュ・モンドで優勝した韓国チームの1人は日本菓子専門学校出身者である。日本の技術を導入してどんどんおいしくなっているという、東アジアのパン。もしかすると、アジアで生まれた独自の菓子パン・総菜パンを、日本人が珍しがって食べる、そんな日も来るかもしれない。