現役プロ野球選手も1時間で50m走が0.4秒短縮―元短距離ランナー・秋本真吾氏の挑戦

「走りのプロ」が現役トップアスリートを指導し、スプリントから日本スポーツ界を変える――。そんな元短距離ランナーの斬新な挑戦が、脚光を浴びている。200メートルハードル日本最高記録保持者の秋本真吾氏(35)はアテネ五輪4×400メートルリレー日本代表の伊藤友広氏(34)と共同代表を務め、スプリント指導のプロ組織「0.01」を発足した。

 指導対象の柱は3つ。未来のトップアスリートを目指す「小学生世代」、運動不足など健康状態を懸念する「オトナ世代」、そして、Jリーグ、プロ野球などの第一線で活躍している「現役アスリート」が、秋本氏が挑戦している取り組みだ。

 陸上のトップ選手が、他競技のトップ選手に「走り」を教える。かつてない試みの出発点となったのは、現役時代の経験だ。プロ野球のオリックス・バファローズから依頼があり、指導に赴いた。これが、衝撃的だった。

「野球選手は、飲み込みが非常に早いと思ったんです。これだけのトレーニングで、こんなに速くなっちゃうの? という印象。僕ら陸上選手は100分の1秒を縮めるのに何年間も必死でやってきましたし、その大変さも知っています。なのに5、6人の選手を1時間、指導して50メートル走を測定したら、みんな0.4秒くらい速くなった。子供ならわかるんですが、プロのアスリートが、です」

 あまりの変化に球団の首脳陣も驚いたという。「走り」は、走塁、守備において欠かせない能力。しかし、スポーツ界でも屈指の身体能力を誇るプロ野球選手でも、その基本ができない選手が意外にも多かった。大きな発見となった。

「当時はまだ現役で、初めての経験。自分の足を速くしたトレーニングをやってもらった。指導というより、一緒にトレーニングする感じ。実際に客観的に見てもフォームも変化したし、数字でも速くなったので、面白さを覚えました。僕は五輪も出てないし、目立った競技成績もない。日本代表の選手が高校、大学で先生となって陸上部の監督をやっている中、すでに成り立っている層に行くより、あまり開拓されてなくて『足』を必要とするプロアスリートの指導にチャレンジしてみようと思いました」

 引退後の道は定まり、以来、サッカー界からも依頼が舞い込んだ。現在、「プロスプリントコーチ」の肩書で他競技に渡ってアスリートに走りを教え、数々の実績を残している。

 その一つが、昨秋から臨時ランニングコーチに就任した阪神タイガースだ。

プロ野球、Jリーグで指導…他競技のプロ選手に共通する“走りの欠点”とは?

 30メートル走の測定では指導した選手の多くが自己ベストを更新。今季は球団から走力アップの指定を受けた選手の一塁までの到達時間が短縮され、5月当初は盗塁成功率がリーグ1位となり、チームも首位に。機動力を生かした走塁から得点が多く生まれ、「走る阪神」に変貌。足が速くなるだけではない。走り方が修正され、ランニング中の肉離れなど筋肉系の故障がなくなった。

 サッカー界でも同様に成果は生まれた。4年に渡り指導してきた浦和レッズMF宇賀神友弥がW杯アジア最終予選で日本代表に初選出。同時期に指導した浦和レッズDF槙野智章と同様、最高速度、スプリント回数も大幅に向上した。川崎フロンターレのFW小林悠、MF長谷川竜也なども課題だった筋肉系の故障はなく、リーグ戦に加え、ACLでも得点を量産。8年ぶりのACLベスト8の原動力なった。

 こうして指導した選手はプロ野球で135人、サッカーではJリーグ、なでしこリーグを合わせ、140人に及ぶ。数々の指導の中で発見したスポーツ選手の“走りの欠点”とは何だったのか。

「『努力度を高める=スピードが速くなる』と思っているアスリートが多いことです。手足を思い切り動かして、本能的に努力度を高めれば、速く走れるというマインドを持った選手がほとんど。接地する場所、タイミング、姿勢を意識して速く走れるアスリートは、ほとんどいないと思います」

 高い身体能力がゆえ、依存してしまう分、技術が欠落していた。だから、アドバイスは「子供と一緒で『姿勢が大事です』からスタートする」という。

「まず、選手に走ってもらって映像を撮ります。自分のバッティングフォームやシュートフォームはあるけど、走りのフォームだけを切り取って見ることが意外とないんです。実際に見てみると、自分が思っていた走りのフォームと違うことが多い。だから、最初に聞きます。今の自分の走りを見て『ポジティブか、ネガティブか』と。そうすると『ネガティブだ』とほとんどの選手が言う。では、なぜスピードが出ないか説明して、この部分を直していきましょうと入っていきます」

 現役のプロアスリートに指導する。他に例がない指導対象の喜びは、どこにあるのか。

「僕は情熱家のタイプ。一番は人が変化した時の喜びを共有したいという思いが強いです。やる気がない人間を切りたくないタイプ。どうやって直していくのか、一緒に悩んで喜び合いたいんです。100分の1秒でも速くなることで、子供も大人も共通して同じ喜びがあります。そこが何よりもうれしい。走り終わって『全然、違うんだけど!』と言って僕の元に走って戻ってくるアスリートの顔を見る。それが、僕の最大のモチベーションであり喜び。僕自身が自己ベスト出した時と同じくらいの喜びがあるんです」

 日本のスポーツといえば、野球、サッカーをはじめ、日本人特有の俊敏性を武器として、世界一を目指している競技が多い。だからこそ、現役トップに位置するアスリートの走りを変えることで、果てしない夢も描くことができる。

日本のスポーツ界変える夢「日本代表を100メートル10秒台にしたらW杯優勝できる」

「サッカーなら、GK以外の日本代表10人を100メートル10秒台にしたら、ワールドカップ優勝できるんじゃないか。絶対に刺されない盗塁ができる野球選手を作る、絶対にトライを決められるラグビー選手を作るとか……。それが現実になれば、日本のスポーツ界が大きく変わるんじゃないかって思います。

 僕は9秒台で走ったことがないので、その世界は分かりません。でも10秒台で走ったことはあるので、10秒台を出すレシピ、メソッドは知っています。それをアスリートの一人ひとりにしっかり伝えていく。もしかしたら、足が速くなることで日本のスポーツが世界一になれるチャンスはあるのでは? という思いがある。それを考えるだけで楽しいんです」

 他競技は使う筋肉も違えば、求められる動きも違う。指導する上では“見る目”が必要となるが、競技に対する理解を深めようと日々勉強を欠かさない。

「Jリーグも、野球も、バスケも、いろんな競技を観るし、1日1試合はサッカーを観るということを決めている。じゃないと、僕らが陸上で何万回も人の走りを見て、良くなってきた理由はこうだと、サッカー選手に言えないと思っている。『だって、あなた、サッカーやったことないじゃん』って言われたら終わり。だから、月に1回はフルコートのサッカーを実際にスパイクを穿いてやっています。陸上以外のスポーツは、まだまだ素人なので」

 走りのプロとして、確かな「目」を持っているからこそ、競技の異なるアスリートも信頼を寄せる。自身は「400メートルハードルは戦術が左右する分、探求心ないとできない。そこで養われたものが今に生きているのかな」と分析。そして、今は日本のスポーツ界の未来に「目」を向け、「0.01」のプロジェクトの意義を力説した。

「引退して五輪に出場するといった明確な目標がなくなってしまって、何を目指してやっていけばいいんだろういうという悩んだ時期もあった。でも、やっていくうちに今はこれだけがモチベーションになっている。速くなった、嬉しい、というのを見たいし、共有したい。それが『0.01』のプロジェクトの理念の一つにもある。100分の1秒でも速くなることで喜び合い、感動することで幸せになってほしいです」

「指導のプロ」が「プロのアスリート」に走りを教える。かつてないジャンルの「指導」は、日本のスポーツ界を変える、きっかけとなるかもしれない。

【秋本真吾氏プロフィール】

2012年まで400mハードルのプロ陸上選手として活躍。オリンピック強化指定選手にも選出。200mハードルアジア最高記録、日本最高記録、学生最高記録保持者。
2013年からスプリントコーチとしてプロ野球球団、Jリーグクラブ所属選手、アメリカンフットボール、ラグビーなど多くのスポーツ選手に走り方の指導を展開。
地元、福島県「大熊町」のために被災地支援団体「ARIGATO OKUMA」を立ち上げ、大熊町の子供たちへのスポーツ支援、キャリア支援を行う。
2015年にNIKE RUNNING EXPERT / NIKE RUNNING COACHに就任。

【伊藤友広氏プロフィール】

高校時代に国体少年男子A400mにて優勝。アジアジュニア選手権の日本代表に選出され400m5位、4×400mリレーではアンカーを務め優勝。国体成年男子400mにて優勝。
アテネ五輪では4×400mに出場。第3走者として日本過去最高順位の4位入賞に貢献。
国際陸上競技連盟公認指導者資格(キッズ・ユース対象)を取得。