日曜ドラマ「フランケンシュタインの恋」(日本テレビ 日よる10時30分〜)
脚本:大森寿美男 演出:茂山佳則

津軽「嘘をついてください。生きていくためには嘘をつかなくてはなりません」
研「嘘つきだと思わせないために嘘をつくんですか」

第5話は「嘘」を軸にして、怪物・研さん(綾野剛)の謎にまた少し近づいた。
津軽(二階堂ふみ)は、研さんを守るために、彼の秘密を隠して、人間の世界で生きていこうと考える。


嘘をつけば僕は


「嘘がなくても嘘はつけます」(研)
津軽が、祖母(木野花)と姉(田島ゆみか)に会わせるときの、4人の嘘にまつわるやりとりがおかしい。
祖母が、研さんに気をつかって言葉を選んでやんわり言うのも、「嘘」の一種であろう。
あとで、津軽が「嘘もときには思いやりになります」ということの一例だ。
対して姉のほうは、ずけずけなんでも言葉にする。嘘のなさにおいては、研さんに近いかもしれない。

「嘘をつくのは信じてほしいことを信じてもらうためなんですね」と良い嘘の使い方を学ぶ研さん。
「嘘をつけば僕は人間になれるでしょうか」と言う台詞にも含蓄がある。
津軽の「(研さんは)正直だからつけるんです。私達の嘘とは違います」と言うのも。

ほかに、「お金がからむと詐欺になる」と、嘘の悪い使い方の話を津軽がして、それがあとあと、稲庭工務店の職人・(葉山奨之)が、嘘をついて研の給料を借りて、男にだらしなく、水商売している母(片岡礼子)に渡すエピソードにつながっていく。
母のスナックでは暴力沙汰が起き、研さんが津軽を守るため怪物の力を発動させようとして、津軽が愛の力で抑制させるというデビルマン的な展開が描かれる。個々のエピソードのつなぎ方が巧みな、脚本家の大森寿美男の職人芸だ。
個々のエピソードでとりわけ印象的なのが、天草と研さんが海辺を歩きながら、天草の過去の話をするところ。一緒に上京してきた女性の明るさがうざくなり、無視して、彼女を自殺にまで追い込んでしまったというヘヴィーな話だった。
「その子の気持ちなんにもわかってなかったの、これが人間だよ研さん、どんな好きな人でもその人のこともわからないの。自分がダメならわからないの」と言いながら、あの「天草に訊け」のテーマを歌うまでの流れ。力技でこない。さりげないからぐっと来る。ここで、わーっ!て自分の背負った罪を吐露したふうに話してしまうと、気持ちが完結してしまうところ、彼はいつまでも自分の罪と共生し、どう扱っていいいいか考えあぐねている感じで、余計にやるせない。彼が主役ではなく、あくまでも聞いている綾野剛が主役であるというのもよくわかったうえでの芝居のセレクトだ。

一方、稲庭先輩(柳楽優弥)は、フランケンシュタインに呼びかけた天草(新井浩文)に会いに行き、事前に根回ししたのち、研さん(綾野剛)に引き合わせる。
津軽が好きな稲庭が、研さんと津軽が接近していくことにささやかな抵抗を試み続けるところが、痛ましい。
稲庭先輩は、いわゆる“かませ犬”キャラで、通常のドラマだと、コミカルにもっていくか、嫉妬深いやな感じにもっていくかの2択がパターンなところ、柳楽優弥はそのどちらにもいかない。全部の要素を抱えて、別の次元にもっていく。それによって単なるかませ犬から脱却する、すごい演技(人間)力である。

綾野剛の芝居の真面目さ


こんなふうに「フランケンシュタインの恋」は俳優がいい。稲庭恵治郎(光石研)の「エア社長」のときの息を止めているような顔つきもいいアクセントになっている。

もちろん、ひたすらピュアにふるまい続ける綾野剛の芝居の真面目さもすばらしい。基本、無邪気な天使なんだけど、ふいに悪魔になりかかるその瞬間の危うさが俳優としての見せどころであろう。

おとなしい芝居をしているにもかかわらず存在感をしっかり示す二階堂ふみも、さすがのヴェネツィア国際映画祭 マルチェロ・マストロヤンニ賞受賞者である。彼女の醸す不安そうな感じが、研さんの謎、ひいては人間とはなんなのか? という深い深い問いを象徴している。

また、ボサボサ白髪はカツラなにかな? と風貌に違和感を覚えながらも、その人間性には絶対的な信頼を感じさせる柄本明。

人間の複雑でわからないところを愚直なまでに追求した脚本を、俳優たちがわかった気にならずに演じている。
演技も、広い意味では「嘘」である。このドラマの俳優たちは、いい「嘘」のうまい人たちだ。
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