中国人の「メイド・イン・ジャパン」に対する信頼ぶりは相変わらずであり、それはしばしば「神化」、「伝説化」するほどだ。中国メディア・今日頭条は1日、「メイド・イン・ジャパンはもはや日本人が作った物と同義ではない」とする記事を掲載した。

 記事の作者は、日本の華字メディア・日本新華僑報の編集長・蒋豊氏だ。記事は、「メイド・イン・ジャパン」がいつしか「良心的な品質」、「職人気質」を代表するようになり、日本人の品質に対する厳しさが世界的に有名になったと紹介。しかしその一方で、少子高齢化に伴う人手不足により、日本の製造業は外国人労働者の力に大きく依存しているとした。

 そして、九州にある日本が誇る高級車・レクサスの工場では多くの外国人が技能実習生として組み立て作業に参加していると説明。さらに、設計部門のメンバーの一部も外国人であるとし、工場の責任者が「外国人の支えがあってこそ、日本車は世界各地に輸出できる」と語ったことを伝えた。

 さらに、別の業界でも外国人は徐々に戦力の柱となりつつあり、居酒屋で外国人を正式なスタッフとして育成する動きがあること、絹織物、化粧品、電化製品などの産業でも外国人の採用が進んでいると紹介。「言い換えれば、未来の『メイド・イン・ジャパン』は単に生産地や生産地の品質基準を示すものになり、日本人が作ったことを示さなくなる。中国人やベトナム人が日本で製造する可能性が高くなるのだ」と論じた。

 記事は「これは、日本人のみならず、中国人だって優れた商品を作り出せることを説明するものだ。日本の製造業界の精神や魂を学び取れば、中国の製造業も一気に追い越すことができるようになるのだ」と締めくくった。

 もともと「メイド・イン・ジャパン」は日本で作られた物を意味する言葉であり、この言葉によって製造者が日本人に限られるということはない。もし仮に「日本人にしか作れない」という考えを日本の製造業が持っているとしたら、それは傲慢だろう。ただ一方で、独特の地理的歴史的環境の中で妥協を許さない職人気質とその成果物を育んできた人の多くが日本で生まれ、日本で育ってきた日本人であることは否定できない。「日本人じゃなくてもできる」と安易な考えで技術だけを学び取っても、それを生かす環境や土壌がなければたちまち根腐れを起こすことは、心得ておく必要があるだろう。

 記事は、日本人以外が作る「メイド・イン・ジャパン」を爆買いすることは何を意味がするのか、と疑問を投げかけているが、誰が作ろうと「メイド・イン・ジャパン」が持つ意味は変わらない。「日本で作ること」自体に価値があるからだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)