緑の芝生が輝くラグビーの聖地を、身長183cm・体重82kgの白谷ドンジョが、日本代表FB松島幸太朗(サントリー)よろしく、バネのある走りで駆け抜けた。
1月7日(土)、大阪・東大阪市花園ラグビー場で行なわれた全国高校ラグビー(通称「花園」)の決勝戦の前に、「もうひとつの花園」 と呼ばれる「U18合同チーム東西対抗戦」があった。この試合は単独では花園の予選に出場できない小人数校の高校ラガーマンたちに、聖地でプレーする夢と希望を与えるために開催されているもので、今年で9回目を迎える。
対抗戦のメンバーは、毎年7月末に全国各ブロックの選抜チームによって行なわれている「KOBELCO CUP」こと、全国高校合同チームラグビー大会(長野・菅平)に参加した選手の中から、東軍と西軍に分かれて25人ずつが選抜される。過去には、大学選手権の決勝でもプレーしたNECのWTB宮前勇規(三重・名張西高)や、日本代表にも選出されたキヤノンのLO宇佐美和彦(愛媛・西条高)もこの対抗戦に出場している。
そんな晴れ舞台に、今年度の部員が8人、同期はたった3人という三重・飯野高のWTB白谷ドンジョ(3年)も東軍の選手として選ばれ、前半22分には右タッチライン際を快走してトライを挙げた。「楽しかったです!」 と笑顔でロッカールームに戻ってきた白谷は、そのシーンを振り返って「仲間がつないでくれて外が余ったので、トライを取らないとやばいなと思いました」とホッとした表情を見せた。
白谷は、父が人口500万人に満たない中央アフリカ共和国出身、母が日本人のハーフで、1歳から日本で暮らしている。中学校まではサッカーをしており、主にFWとしてプレーしていた。ただ、中学卒業後は「好きな絵を描きたい!」という強い思いから、応用デザイン科に美術コースのある県立の飯野高に進学。当初は、高校でスポーツをするつもりはなかったという。
しかし、見るからにアスリートの体躯を持つ白谷を、ラグビー部の顧問が放っておくわけがなかった。「何もしなかったら体がなまってしまうぞ。絵を描くことを優先していいから」という言葉に誘われて、ラグビー部のドアを叩くことになる。
すると、元サッカー少年は、みるみるうちに楕円球の虜になってしまった。「今までサッカーなどのスポーツをやってきましたが、気持ちを入れ過ぎるとボールをコントロールすることができなかった。だけど、ラグビーはタックルや、ボールを手で持って走るなど、自分の気持ちをそのまま出せる素晴らしいスポーツです」
サッカーのスキルはさておき、ボールを手に持つことができ、ステップを切ってピッチを自在に走ることができるラグビーが、白谷に向いていたことは確かなようだ。BKとしては高い183cmの身長と快足が武器で、鈴鹿高との合同チーム「合同C」ではCTBとしてもプレーしていた。
合同チームで臨んだ三重県の花園予選は、1回戦で三重高に0−71で大敗。それでも、夏の「KOBELCO CUP」で東海ブロックの選手のひとりとしてセレクターの目にとまり、白谷は見事に「もうひとつの花園」への切符を手に入れた。
「(ケガをしていて)花園予選では前半で替えられてしまったので、(対抗戦では)その悔しさを晴らしたいと思っていました」
そんな白谷は、花園でプレーすることはもちろん、実際にスタジアムに足を運ぶのも初めてで、「試合前は緊張しました。空気感もすごかった」と興奮気味に振り返る。混成チームのため、練習はたった2日。選手の人数が多く、もともと前半30分だけの出場と決められていたが、白谷は見事にプレッシャーをはねのけてトライを挙げるなど、存在感を示した。
「絵を描くのも楽しかったんですが、もう諦めました」という白谷は、大学でもラグビーを続ける決意を固めた。春からは、東海学生ラグビーリーグA2(2部)に所属する名古屋経済大に進学する。昨年は入替戦に出場したものの、惜しくもA1(1部)に昇格できなかったチームの一員になることに対して、白谷は「何とかA1に上げたいですね!」と早くも意気込んでいる。
個人的には、昨年のリオデジャネイロ五輪から正式種目になった7人制ラグビー(セブンズ)にも向いているのではと思い、「セブンズには興味がないの?」と聞いてみると、「機会があればやってみたいです。もし可能ならチャンスをつかみたい。本当に頑張りたいです」 と目を輝かせた。
「もうひとつの花園」 から日本代表にまで上りつめた宇佐美の例もある。「ドンジョ」という名前の由来に関して、本人は「知らないです」と笑うものの、近い将来にその名がラグビー界だけでなくスポーツ界に轟く日がくるかもしれない。
ラグビー歴は3年にも満たない白谷のポテンシャル、伸びしろは無限大。絵筆を楕円球に持ち替えて、今後も白谷は走り続けていく。
斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji