メンバー発表前は、少し不安があったそうだ。「昨日は『どうなるかなあ?』という想いはありました。今朝も緊張していたかは分からないですが、(寝ている間に)2、3回、目が覚めました」。
 
 今年1月、リオ五輪のアジア最終予選では粘り強い守備と豊富な運動量、加えて優れたチャンスメイクで日本の本大会出場に尽力した。しかし2月初旬、明治大のサッカーを退部し、在学したままプロ契約したが、直後の宮崎キャンプで左足を骨折。全治4か月という重傷で、「オリンピックに間に合わないんじゃないかという不安はあった」。
 
「2月に怪我をした時は、僕を送り出してくれた大学側に申し訳ないと思った。大学のサッカー部を途中退部してプロに行った以上、オリンピック出場は果たしたかった。みんなにも『オリンピックに行ってほしい』と言われましたしね」
 
 そうした期待があったから、「リハビリも頑張れた」。
 
「医者からは間に合うと言われていましたが、ただやっぱり、最後の南アフリカ戦だけで選んでくれるのかは分からないし、トゥーロンにも間に合わなかったので、少しの不安はあった。行けると信じてはいましたが、見込みとかはあったわけではない」
 
 期待と不安の両方を抱えながら、コンディションを上げて行ったサイドバックの室屋は6月12日の藤枝戦(J3)で待望の復帰。70分からの途中出場ながら、Jリーグデビューを飾った。
 
「もっと動けないかなと思っていましたが、復帰してからは早くコンディションを上げられた。それはホンマに、スタッフのおかげ。周りの人の支えがあって、ここまでも来られた。感謝しかないです」
 
 そして7月1日、4か月というリハビリを乗り越え、奇跡の復活を遂げた室屋は大学との約束──オリンピック出場を果たすことになる。
 
「国を背負って、オリンピックの舞台で戦えることを誇りに思います。ただ、選ばれてホッとするのではなくてしっかり結果を出したい。4か月リハビリしてきたなかで、監督も選びにくかったと思いますけど、選んでくれて感謝していますし、その意味でも期待に応えたい」
 
 8月の本大会では、「室屋」の名を世界に知らしめるつもりだ。
 
「リハビリの4か月間を無駄にしないためにも、個人としても結果を残したい。まずは連戦でも戦えるコンディションを作る。もちろん、サッカー選手である以上、上の舞台でプレーしないといけない。本大会までの残り1か月はJ1でしっかりプレーして、オリンピックに行きたい。そしてトップクラスの選手が出てくるオリンピックで、1対1などを制すことができたら自信がつくし、世界でも負けないところを見せたい」
 
 リオ五輪本番の前には、ブラジルとの親善試合(7月30日)もある。ネイマール(バルセロナ)に加えて、バイエルン所属のドグラス・コスタまで出てくるとあって「びっくりした」という室屋も、その表情は自信に満ち溢れているようだった。
 
「自分にとってはホンマにチャンス。ブラジル戦で特に失うものはない。ここで止めることができたら、ホンマに自信を持てる。周りの見る目も変わる。オリンピックはそういうチャンスがごろごろと転がっていると思う。それをモノにしたい」
 
 東京の室屋から世界のMUROYAへ──。リオ五輪で真価が問われる。