●「業界の慣習」を超えた再タッグ
映画を作っているのは誰だろうか。役者を除けば真っ先に思い浮かぶのは監督だが、監督だけで映画が作れるわけではない。プロデューサー、脚本家、音楽家、照明に録音、編集と、多くのスタッフが関わって一本の作品を作り上げている。

中でも美術監督は映画の舞台となる空間を作り上げる責任者であり、監督の思い描く世界を再現する重要なポジション。監督にとって自分の作品の美術監督を誰に依頼するのかは、映画の成否に関わる一大事なのだ。

そんな美術監督として、ハリウッドを代表する監督であるクエンティン・タランティーノ氏の最新作『ヘイトフル・エイト』(2月27日公開)に参加するのが種田陽平氏だ。過去には『キル・ビル Vol.1』の美術監督も担当しており、コンビを組むのは今作が二度目となる。

『ヘイトフル・エイト』はタランティーノ監督初となる密室ミステリー。舞台は吹雪のロッジ、登場人物は足止めを食らったワケありの8人の男女。そこで起きる殺人事件から、物語は思いもよらぬ方向に展開していく。ストーリーは閉ざされたロッジのみで展開されるため、狭いワンルームが本作の世界のすべてといっても過言ではない。

同作の世界そのものともいえるロッジを作り上げたのが種田氏である。『キル・ビル』以来となるタランティーノ×種田コンビはいかにして実現したのか。そして種田氏は『ヘイトフル・エイト』の世界をどのように構築していったのか。種田氏に制作の舞台裏を聞いた。

――タランティーノ監督とお仕事をされるのは『キル・ビル』以来ですよね。今回、どのような形で依頼がきたのですか?

種田:話がきたのは2014年の8月だったかな。『ヘイトフル・エイト』のプロデューサーから電話があったんです。クエンティンが今作の美術監督を僕に頼みたいと言っていると。普通はメールで話がくるんですが、電話でしたね。スケジュールを確認して、OKしました。

ちょうど『思い出のマーニー』が終わったところだったのでいいタイミングだったんです。ただ、クエンティンが僕に頼みたいと希望しても、そう簡単にはいかなくて。というのも、ハリウッドは基本的にコンペ方式で美術監督を決めるからなんですよ。

――えっ、監督本人が指名しているのに、それでもコンペをするんですか?

種田:そうなんです。特に僕のような海外の人間が美術監督――プロダクトデザイナーとして入ることはさまざまな制限があるんです。ハリウッドメジャーには業界団体であるユニオンがあって、基本的によそ者が入り込んで美術監督をすることはできないんですよ。

――『キル・ビル』のときは?

種田:あれはノンユニオンの映画でしたから。それに撮影場所が中国や日本だったから大丈夫だったみたいです。アメリカだとダメだったでしょうね。ただ、それでもクレジットにユニオン以外の人間の名前が入ると、プロデューサーがユニオンに呼び出されて事情を説明しないといけないみたいですよ。

――そんな裏話があったとは……。

種田:だから、監督が「この人とやりたい」と言っても、ユニオンだとコンペ方式になるので、プロデューサーが何人か用意するんですね。

ところがタランティーノ監督の場合はちょっと違って、ぜんぶ彼が決めるんです。プロデューサーの権限はなくて、ぜんぶタランティーノ監督が決める(笑)。

――タランティーノ監督のイメージ通りです(笑)。

種田:だから僕に声をかけてもらったときも、一応面接はするから、台本を読んでイメージ画を描いて持ってきてほしいと言われました。その台本がまた難しかった。

というのは今回、セリフも多いし、登場人物の位置関係が難しいんですね。しかも、タランティーノ監督は台本にものすごく書き込むんですよ。たとえばオープニングで雪の中に立っているキリスト像がありましたが、あれも「いわゆるヒッピー的なキリストの顔立ちではなく、エイデンシュタインの『イワン雷帝』のような出で立ちをした、北欧彫刻のような、この場にふさわしくない像」とか書いているんです。

――こ、細かいですね。もう監督の頭の中に出来上がっているんですね。

種田:そう。それで面接に備えて、いくつかイメージ画を描いて持っていったんですが、監督はほとんど見ず、「おまえと一緒にやりたかったんだよ!」みたいな話に終始しました(笑)。

――(笑)。コンペ方式にしたけど、監督の中では決まっていたんでしょうね。

種田:僕に決まったと連絡が来たのは9月に入ってからだった。そして、ロケ地は標高3000mくらいの場所で、12月から撮影を開始したいと監督は希望していた。11月にはもう雪が降りだすだろうし、撮影前に高地にロッジが建ってないといけないでしょう。これはやばいとなって、決まったと同時にロケハンに行ったんです。

●タランティーノ監督の"規格外"な画づくりの仕掛け
――厳しいスケジュールですね。タランティーノ監督の頭にあるロッジをどのようにして具現化していったのですか?

種田:その話をするにはまず、今回の作品の特徴からお話した方がいいですね。『ヘイトフル・エイト』は70mmフィルムで撮影された映画です。

――通常の映画で使われる35mmフィルムに比べて、ワイドかつ高画質なフィルムですね。

種田:そう。それからピントの合う範囲が狭くて、たとえば人物の目にピントを合わせると、すぐ後ろはもうボケてしまうという特徴もあります。だからフォーカスするのが大変で、ベテランのフォーカスマンがやっています。日本だとフォーカスマンって新人の仕事なんですけどね。

――レンズもすごいですよね。

種田:あの『ベン・ハー』で使われたレンズを使っていますからね。一つ10kgくらいある(笑)。それも一つじゃなくて、シーンによっていろいろ使い分けているんです。

――ピントが浅い70mmフィルムで、しかもレンズもいろいろ、ですか。

種田:そうなると、どうなるか。『ヘイトフル・エイト』の物語は15m四方くらいの小さな部屋で展開するのですが、ワンルームなのに部屋の全貌が観客に見えにくくなるんです。何しろレンズの焦点距離が変わるので、遠近感がどんどん変わる。あるカットでは暖炉から扉までが遠く見えるのに、あるカットでは近く感じたりします。

――しかもピントが浅いから、人物の背景がよくわからない。

種田:映画中盤でシチューを食べるシーンなんか、「えっ、テーブルがあったの!?」って驚くんじゃないですか(笑)。ピアノもそう。最初からあるんだけど、観客が画面に観るものはどんどん変わる。

70mmフィルムじゃないとこうはならなかったでしょうね。もちろんクエンティンは意図的にそうしています。そうでないと、いくらシナリオがうまくできていても、美術が面白いセットをつくっても、お客さんはこの密室劇に30分くらいで飽きてしまうでしょう。

――言われてみれば納得です。

種田:それから光の当て方――撮影監督によるライティングもワンカットごとに相当工夫されていた。これはタランティーノ監督というより、アメリカの考え方なんですが。

――というと?

種田:日本やアジアの映画はカットのつながりを重視します。だからカットが変わっても光が当たる方向が変わることを嫌う。その結果、全体的に光を当てることが多いんです。

――強い影がなくて、まんべんなく明るい状況ですね。

種田:ところがアメリカでは、役者と背景を切り離すために逆光でライトを当てることが多い。たとえば黒い服で背景がグレーだと溶けこんでしまうから、背中側からライトを当てることで輪郭を際立たせたりする。

――逆光で写真を撮ると髪の毛の輪郭がふわっと明るくなるのと同じですね。

種田:ところが、全カットそれをやるわけにはいかないから、日本の場合は光を回すんですね。

――アメリカではあまりライティングのつながりを気にしないんですね。

種田:……と、そういった日本とは異なる撮影事情をふまえてセットを造る必要があるんです。

――おもしろいですね。たとえばどんなところに気をつけたのでしょうか。

種田:たとえば入口付近の天井を見てほしいのですが、この天井をスリット状にしているんです。実際に丸太を組んで、その上に天窓を作りました。こうすると光が通るので、入り口に立った俳優の頭上から光が射すんです。

――先ほどの逆光と同じで俳優が浮かび上がるわけですね。

種田:この天井は取り外せるようになっていて、上にものを置くことができるという設定にしました。それから、扉や壁にわざと隙間を作りました。

――えっ、実際の雪山で撮影しているのに?

種田:ロッジは隙間だらけじゃないと、と監督がこだわったんです。一応、暖炉はあるけど寒くて、登場人物の吐く息は白くならないとだめなんだというのが監督の要求だった。雪も吹き込んでいたでしょう。

――す、すごいこだわりですね……。さすがタランティーノ監督。

種田:でも夜のシーンはね、さすがに無理なんですよ。雪山で撮影するのは。

――凍え死んでしまいそうですね。

種田:そこでハリウッドのスタジオにまったく同じセットを用意したんです。

――夜のシーンを撮影するためだけに?

種田:そうです。雪山は寒いけど、ハリウッドは暖かいんですよ。冬とはいえ、気温が30℃くらいある日もある。その中で、役者は猛吹雪の零下の世界にいるという演技をしないといけない。

――俳優の演技力が問われますね。

種田:それがですね、クエンティンが言うには「そういう今風の撮り方に迎合していると役者の本気が出てこない」と(笑)。暖かいところでやっても寒がる芝居にはならないと言うんです。

それで、セットを建てたステージをぎんぎんに冷やしてね。大きなトラックを6台用意して、それに巨大な冷凍装置を載せ、スタジオを-5℃まで冷やしたんです。しかも、一度冷凍装置を止めてしまうと気温が戻ってしまって、なかなか冷えなくなるから、24時間フル稼働で動かすんですよ。撮影期間が2カ月くらいだったので、その間ずっとかけっぱなし。もう、めちゃくちゃお金がかかるんです(笑)。

――やることが桁違いですね……。そういう現場に撮影期間、ずっとついてらっしゃるんですか?

種田:いや、ずっとはつかないですね。日本だと撮影現場にいることが多いんですが、アメリカだと次の撮影の準備をすることが多いです。雪山でクエンティンが撮っているならハリウッドのスタジオで準備をしているし、逆もある。雪が降ることも計算に入れて、翌日の撮影で雪の量がちょうどよくなるように現場を作ったり。

――現場が二つあると大変ですね。

種田:呼び出されることもあるんですけどね。クエンティンが「(ロッジの)柱を外す!」って言い出して、大丈夫なのかってことで呼ばれたり。しょっちゅう問題は起きます。

――システムがぜんぜん違いますね。

種田:良い悪いじゃなくて、国によってさまざまなんですね。ハリウッドとニューヨークでも違うし、ロンドンとドイツ、イタリアでもまた違う。

――『ヘイトフル・エイト』はまさにタランティーノ監督ならではのこだわりがつめ込まれた映画なんですね。種田さんが作り上げたロッジの細部にまで注目して観てほしいです。本日はありがとうございました。

(山田井ユウキ)