勝点5でこの試合を迎えた日本は、勝てば無条件で本大会出場が決まる。一方のイラクは、仮に日本に勝ったとしても、同時進行している他会場の結果次第という状況だった。望みはかなり薄く、このゴールで集中力が切れてもおかしくなかった。
 
 しかし、彼らは諦めなかった。
 
「本大会出場を逃したらムチ打ち刑」
 
 最終戦を前に、イラク側からはこんな情報も流れてきていた。恐怖という名のムチが、彼らのアドレナリンをかきたてたのかもしれない。頑なにゴリ押ししてくるイラクの前に、日本は一方的な劣勢を余儀なくされる。
 
 ただ、日本には大きな味方がいた。ムーメンターラーという名の、黒い服を着た救世主だった。このスイス人のレフェリーは、勝矢がラディを体当たりでストップしても笛を吹かず、カズが倒れれば即座にFKをプレゼントしてくれた。イラクを入国させたくないという米国組織委員会の意向を受けたのか、彼は徹底して日本びいきの笛を吹いた。
 
 48分、ムーメンターラー主審は、オフサイドの判定でオムラムのゴールを取り消してくれた。だが、これが彼にできた最後の手助けだった。55分、右サイドのクロスボールからラディに同点ゴールを許すと、それからは目を覆いたくなる瞬間の連続だった。
 
 前半、イラクは“ラモス番”の選手を置いていたが、後半からは攻撃の人数を増やしてきた。CBのシュナイシェルも前線に飛び出してくる。森保、吉田の動きが落ちてきたこともあり、日本が最終ラインでクリアしたボールを、ことごとくイラクに拾われてしまう。
 
 60分、オフト監督は長谷川に代えて福田を投入したが、試合の流れはまったく変わらなかった。
 
 それでも70分、味方のピンチと引き換えの自由を享受していたラモスが、ようやくビッグプレーを見せる。イラクのDFが倒れ、彼らの集中が一瞬途切れたスキをついて、絶妙のタテパスをゴール前へ。抜け出した中山は、右ポストぎりぎりにグラウンダーのシュートを突き刺した。
 
 これで決まった――ほとんどの日本人がそう確信したゴールだった。
 
 85分、勝矢が振りきられる。堀池がクリア。88分、また左サイドから崩される。松永が辛くもディフレクト。心臓が凍りつきそうなシーンが続いた。しかし、それは逆に、間もなく訪れる歓喜を、より大きなものにしてくれるはずだった。
 
 遅々として進まなかった秒針が、ようやく90回目の周回を終えた……。
 
「選手たちには、素晴らしかったと言ってやりたい」
 
 呆けたような空気が漂う中、目を充血させたオフト監督は記者会見を締めくくった。
 
 選手たちはよく頑張った。それは間違いない。でも、だから悲しい。力以上のものを出し切ってなお、日本は力不足だった。これが、夢を実現させるはずだったカタールの3週間が残した結論だった。――
 本誌では、さらにこの最終予選、さらにはオフト体制の約2年間を総括。ほとんどのメディアが「ありがとう、日本代表」という論調に包まれる中で、冷静かつ厳しく問題点を探っている。
 
――「Jリーグ効果でワールドカップに行ける」
 
 戦前、世間一般はこんなムードでいっぱいだった。本誌は、そうした風潮にシニカルな視点で接してきたつもりだが、それでも、日本サッカー界に漂う勢いを信じていたことは否めない。
 
 甘かった。巨大な底辺を持つサッカーというスポーツの世界では、一国にプロリーグができたかどうかなど、そしてJリーグ人気など、何の意味もなかった。それが、ワールドカップ予選というものの本質だった。
 
 それでも、Jリーグ効果はあった。韓国戦を2日後に控えた10月23日のことだった。練習を終えた柱谷がこんなことを言っていた。