そんなミランにとって、中東やアジア方面は新たな攻略の地であった。ミランの名前を知らしめ、良いイメージを持たせる必要がある。そこで手はじめに、アラブ首長国連邦に目を付け、エミレーツ空港とスポンサー契約。今回は、大型の契約更新にも成功した。
 
 しかし、その先のアジアの扉も開かねばいけない。その主なターゲットは日本と中国だ。本田は、日本のマーケットの扉を開けることのできる重要な鍵である。その効果はすぐに表われ、オフィシャルパートナーとして、富士通(200万ユーロ)と東洋タイヤ(300万ユーロで2016年まで)が名乗りを上げた。
 
 また、広告代理店の電通ともパートナー協定を結ぶこととなり、これも数百万ユーロの契約となるだろう。さらに昨秋には、日本をリードするトップ企業から25人のビジネスマンが、ミランとの新たな可能性を探るためにカーサ・ミランを訪れている。
 
 さて、本田自身はこういった動向をどう思っているのかといえば、「(自身の加入が)ビジネスのためと思われても、別に俺は気分を害したりはしませんよ」と昨春に語っていた。さらに、「ピッチの外からでもミランを助けることができれば、俺は満足です」とも付け加えている。
 
 本田がまだミランに来たばかりの頃、背番号10(本田が背番号10を付けたのも決して偶然ではなく、これもミランの策略だ)のユニホームの売り上げが、数日で前年のミランのユニホームの年間売上を軽く越えてしまったという。これは驚くべき実績で、もちろんミランとアディダスはホクホクだ(本田自身はミズノと契約しているのだが……)。
 
 本田はファッションであり、トップモデルであり、何より世界中にその顔を知られている。昨夏、シーズン前にミランは長いアメリカツアーに出たが、マリオ・バロテッリの次に、多くのアメリカ人からサインや写真撮影を求められていたのが本田だった。ミランはそのことをよく分かっていて、これを最大限に利用しようと考えているわけだ。
 
 とにかく、今の本田には誰もが満足している。テクニカル部門を統括するガッリアーニ副会長は、彼がピッチでの期待通りの働きをしているのを喜んでいるし、マーケティングを担当するバルバラは、本田のおかげで念願だった日本のマーケットに参入できた。
 
 本田獲得は今のところ、ミランにとって大成功といったところだろう。
 
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト)
協力・翻訳:利根川晶子
 
Marco PASOTTO/Gazzetta dello Sport
マルコ・パソット
1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。