元モーニング娘。の保田圭が音楽バラエティ番組『UTAGE!』でHKT48の指原莉乃と共演することが増えた。スタッフから「姉妹みたいですね」と言われるほど意気投合している2人だが、振り返るとアイドルとなってしばらくは辛い時代を過ごしてきた点で共通するところがある。

保田圭が9月20日に『保田圭オフィシャルブログ「保田系」』で『UTAGE!』のスペシャル番組(9月19日放送)に触れた。同番組で指原莉乃と組んでミュージックビデオも作った保田は「UTAGEではすっかりさしこちゃんとペアにして頂いて…スタッフさんにも『姉妹に見えてきました』なんて言って頂きましたよー」と嬉しそうだ。ミュージックビデオについても「こんなこと…モーニング娘。時代には想像もしなかったな。心から…感謝です」と感激していた。

9月21日放送のローカル・バラエティ番組『ナイトシャッフル』(FBS福岡放送)にその保田圭が福岡在住の中澤裕子と出演した。保田は半生を振り返るテーマの中で、高校2年生の時に「歌手になるので学校をやめます」と先生に告げたことをカミングアウト。「何も決まっていない」のに中退した事実に、中澤姉さんでさえ「なんで?」と驚いた。保田は母親が自宅でカラオケ教室を開いていたので、その録音機材で毎日練習をしており、安室奈美恵に憧れていたという。しばらくはマクドナルドでアルバイトをしていたが、17歳にして「人生で初めてのオーディションに合格した」のである。

だが、モーニング娘。の2期生として入った保田圭は芸能界の厳しさを思い知る。モー娘。の2ndシングル『サマーナイトタウン』が彼女のデビュー曲となった。保田は「歌には自信があったので、個別にフルコーラスレコーディングがあって、一生懸命に歌った」と当時を振り返る。だが、出来上がった曲を聴くと自分の声は「フォーユー」、「アイウォンチュー」、「オーオーオー」のバックコーラスしか入っていなかった。「メインパートもハモリも録音したのに、あれはどこに行っちゃったの?」と唖然とした。

この状況には中澤裕子も覚えがあり「思い出したら泣きそう」と目を潤ませた。レコーディングで自分が歌ったはずのところに他のメンバーの声が入っていることが普通だったという。中澤は「ちょっとでもいいから自分のパートが欲しくて頑張って歌っても、全部、持っていくのは安倍なつみさん!」と当時の不満をぶちまける。当時のリーダーだった中澤は、トップの安倍なつみがメインで歌うことはグループとしては必要だと理解していたが、今では「アイドルを目指していた圭ちゃんや、歌手を目指した私にとっては寂しかった」と本音を明かしている。

歌には自信があった保田圭だが、踊りは苦手だったので歌番組でもカット割りが少なくてほとんど映らず、トークの部分もカットされた。彼女はその頃を「アイドルとして成立しない日々が続いた」と語る。

やがて1999年に『LOVEマシーン』が大ヒットしてモー娘。の黄金期が到来するが、メンバーはそれほど実感がなかったらしい。マネージャーが厳しく「天狗になれるような雰囲気ではなかった」からだ。中でも保田圭は「世の中の人はモー娘。を知っていても、保田圭という名前は知らないんだ」と常に言われた。

保田はそのマネージャーから課題として「個性を出しなさい!」「お前の個性はなんだ?」とも言われ続けた。そのため、彼女は毎日「他人と違うことをしよう」と考えていたという。中澤裕子も「個性を出せたから芸能界で頑張れた」とそれに共感している。

当時、TBS系で放送されていた、石橋貴明と中居正広がMCを務める音楽バラエティ番組『うたばん』にモー娘。が出演すると保田圭がいじられるのがパターンとなり、彼女の知名度も上がり始めた。MCの2人が個性を生かしてくれたのだ。