過去の歴史が物語る「勝利の法則」を紐解けば、ブラジル・ワールドカップでの日本の敗退にはある理由が考えられる。日本に勢いや伸びしろといったものはあったのか――。日本代表が4年後の大会で好結果を得るためには、何が必要なのか。今大会を現地で取材してきたスポーツライターの浅田真樹氏が考察する。
 
【写真で振り返る】コロンビア戦 

 サッカーは年齢でやるものではない――。
 
 それはサッカーに限らず、スポーツの世界ではしばしば聞かれる話であり、真実でもあると思う。だが、日本が出場した5回のワールドカップを振り返った時、年齢構成にある程度の傾向が表われていることも、一面の真実だ。
 
 例えば、ワールドカップ予選において主軸として活躍した、三浦知良(98年大会)、中村俊輔(10年大会)、遠藤保仁(14年大会)といった30代の選手が、いずれも本大会を前に状態を落としたことは単なる偶然ではあるまい。
 
 その一方で、ワールドカップの2年前に行なわれた五輪に出場した(あるいは、出場していなくても同世代にあたる)20代前半の選手が台頭してきた時には、好成績につながっている。加えて興味深いのは、良い結果が出た02、10年大会の4年後は、いずれも期待を裏切る惨敗に終わっていることである。
 
 06、14年大会はいずれも、20代前半で前回大会を経験した選手が主力を成し、充実期を迎えたかに思われながら、案外結果にはつながっていない。いずれの大会でも、下の世代からの突き上げが少なかったことで共通している。
 
 要するに、20代前半の選手、いわば「五輪組」が多い時ほど、ワールドカップでは好結果につながるという傾向が表われているのである。
 
 経験が重要とされる大舞台で、なぜこのような傾向が表われるのか。はっきりとした理由を示すことは難しいが、ひとつの仮説として、勢いや伸びしろといったものが挙げられるのではないかと考えている。
 
 4年に一度のワールドカップをチームの完成度のピークで迎えるのはなかなか難しい。仮にピークを10とするなら、8くらいで迎えられれば上出来といったところだろう。
 
 しかし、同じ8でも、10から落ちてきた下降曲線の途中よりも、5、6、7と上昇している途中でワールドカップを迎えるほうが良いに決まっている。
 
 その点で言えば、ブラジル大会の日本は前者の途中で本番を迎えた感が強い。昨年の最悪時に比べればカーブは緩やかになっていたかもしれないが、おおまかな下降傾向に歯止めはかかっていなかった。
 
 もちろん、日本の完成度が8もあったとは思わない。しかし重要なのは、それが4であったか5であったかよりも、下降曲線の途中で本番を迎えたということである。
 
 極論すれば、下降中の8よりも、上昇中の4や5で迎えるほうが良いのかもしれない。上昇曲線が急激であれば、大会中にも上昇していく可能性があるからだ。
 
 そして、この上昇曲線を描く要因、すなわち、勢いや伸びしろといったものをもたらすのが、五輪組なのではないだろうか。
 ブラジル大会の日本代表の中心を成した北京世代はヨーロッパで活躍する選手が多く、個々の実績では歴代でも群を抜くタレント世代ではある。とはいえ、彼らの多くが18年を前に30歳を超える。過去の例から考えれば、いつまでも彼らに頼っていては4年後までもたない。
 
 ブラジル大会を経験したロンドン世代が軸となってチーム作りが進められるなかで、リオ世代が突き上げてくるというのが理想の形だ。
 
 ザックジャパンにおけるロンドン世代はメンバー入りこそ多かったが、実際に出場機会があったのは、2試合に先発した香川真司、山口蛍、大迫勇也の他は、柿谷曜一朗、清武弘嗣だけ。突き上げ役としては物足りなかった。
 
 すでにヨーロッパへ渡っている選手も多いだけに、まずはロンドン世代に日本代表の中核となってもらうことが大前提だ。そのうえで4年後を20代前半で迎えるリオ世代の突き上げが、日本代表の強化にとり必要不可欠な要素となる。
 
 今回のワールドカップで素晴らしい戦いぶりを見せたアメリカ代表監督のユルゲン・クリンスマンが、「五輪からワールドカップへの『良いサイクル』が計画的な強化につながる」と語っていたが、それは日本にとっても同じことだ。
 
 現段階で言えば、期待は南野拓実や野津田岳人に向けられることになるのだろう。とはいえ、現状の力関係で未来を語ることに、実はあまり意味がない。
 
 例えば、北京世代にしても当初の主力は、平山相太や家長昭博といった選手たちだった。長友佑都や岡崎慎司は、五輪予選にすらほとんど出場していない。
 
 それを考えれば、来年のU-20ワールドカップ出場を目指すU-19代表を含め、まだそれほど表舞台には出てきていない選手がどれだけ台頭してくるか。それが4年後のカギを握っていると言ってもいい。
 
 日本代表監督にはハビエル・アギーレが就任することが決まったが、日本代表でどんなサッカーをやるのかはまだ分からないのだ。意外な適性を見せる選手が重用される可能性も十分にある。
 
 つい半年ほど前まで不動と呼ばれていたザックジャパンの2ボランチが、どれほど脆いものだったか。当然ながら、そこでは指揮官の管理能力は問われるべきであるが、何がなんでもそこに割って入ろうとする選手がどれだけいただろうか。周囲がその状況を甘んじて受け入れたからこそ生じた硬直化だとも言える。
 
 つまり、今Jリーグで試合に出ているかどうかはあまり問題ではない。少なくとも20歳前後の選手には、現段階で出場機会がないからといって気後れする必要はまったくないということだ。
 ただし、五輪組が台頭してくるためには、A代表と五輪代表の整合性が不可欠である。ドイツ、スペインなどヨーロッパの強豪国は、U-21代表(日本の五輪代表に相当)を見ても、目指すサッカーの方向性をA代表と一にしている。
 
 日本の場合、フィリップ・トルシエがふたつの代表を指揮していた02年大会では、両者のサッカーが完全にリンクしていた。だが、一方でふたつの代表が意志疎通を欠いた06年大会はほとんどリンクせず、五輪組の登用も進まなかった。
 
 ブラジル大会でも志向するサッカーの違いから、ロンドン五輪に出場できなかった大迫がメンバー入りしていたが、こうしたチグハグさは解消されなければならない。
 
 では、次のリオ五輪はどうか。そこには少なからず不安を感じている。五輪(U-21)代表を率いる手倉森誠が仙台を指揮していた当時、主に志向していたのは堅守速攻。ポゼッションサッカーにも手をつけたが、成功したとはとても言えない。
 
 A代表の新監督が決まっていない以上、はっきりとしたことは分からないが、あくまで現状での年代別を含めた日本代表の目指しているサッカーを考えれば、一貫性を欠いた人事に見える。誤解のないようにしなければならないのは、手倉森の手腕を否定しているわけではないということだ。あくまでも、日本代表が目指すサッカーの方向性において、適任かどうかの話である。
 
 リオ五輪で結果を残すことももちろん大事だが、だからといって、メンバーのなかからひとりもA代表に上がれなかったのでは、本末転倒だ。4年後を見据え、正しくA代表と五輪代表がリンクしているのかどうか。そこは今後の経過をしっかりと見ていく必要があるだろう。
 
 まずはリオ五輪に出場し、世界の舞台を経験すること。その後は、新監督就任から2年が経過し、そろそろマンネリが生まれるであろうA代表を活性化する。これがリオ世代に課された役割である。
 
 リオ世代がどれだけA代表を突き上げてくるかで、4年後の結果が決まると言っても過言ではない。これは若手への期待を込めた単なる一般論ではなく、過去の歴史が物語る「勝利の法則」なのである。
 
取材・文:浅田真樹(スポーツライター)