2月15日のジャンプラージヒル個人戦、試合後の記者会見では遅れて入ってきた葛西紀明に外国人記者からの質問が集中した。

「なぜ41歳という年齢まで競技を続けているのか」
「いつまで続けるつもりなのか」
「日本は98年の長野五輪のあと低迷していたが、なぜ再び勝てるようになったのか」
 等々......。

 この日、銀メダルを獲得した葛西は、その質問のひとつひとつに、丁寧に答えた。

「僕はスキージャンプを非常に愛しているし、自分の生活だと思っている。だから飛んでいることが楽しいし、勝つことに快感がある。負ける方が多いけど、勝つということを大事にしている」

「長野五輪以降日本は低迷し、自分も一時は『もう外国勢にはかなわないのではないか』とあきらめかけたこともある。僕のチームがフィンランドのコーチを雇ってくれて、技術をまた一から身につけてきた。勝ちたいという気持ちを持ち続けてやってきたことが、この結果につながったのだと思う。年齢が上になってもあきらめずにやっていれば結果を出せることを証明できた」

 さらに今後の競技生活についても、「たぶん、45歳と49歳になる次の五輪とその次の五輪の時、自分の体力や技術はもっと向上していると思う。ここまできたら、行けるところまで行きたいと思っている」と言い切った。

 過去に16歳の五輪優勝者もいたスキージャンプという競技で、41歳の葛西の2位表彰台獲得は、まさに驚異的。しかも「あと半歩で金メダル」という惜しい展開だった。

 試合は極めて難しい条件下で行なわれた。風は追い風0・67mから向かい風1・01mまで目まぐるしく変わったが、葛西はあくまで冷静だった。

「ノーマルヒルの時の1本目は僅差の8位でメダルも狙える位置だったから2本目に力んでしまった。だから今日は、1本目でトップ3につけようと考えて集中していました。W杯でも表彰台に上がる時はそういうパターンが多かったので」

 実際、葛西は1本目、秒速0・16mの向かい風をもらって139mを飛んだ。次のペテル・プレヴィツ(スロベニア)が弱い追い風になって135mに止まったが、ノーマルヒル優勝のカミル・ストッフ(ポーランド)は139m。飛距離はストッフと同じだった葛西だが、飛型点とウインドファクターで後れをとり、1本目は2位につけた。

 だが、2本目の条件は厳しいものになった。

 1本目24位で7番スタートだったマリヌス・クラウス(ドイツ)が向かい風を受けて140mを飛んだことで、そのふたり後からは飛びすぎを避けるために1本目よりゲートが2段下がり、その後の選手は全員助走スピードが遅くなったのだ。さらに、そこへ追い風が続いた。

「ジャンプ台の左側は緩やかな向かい風だけど、あとは全部追い風という極めて厳しい条件。ウインドファクターの得点がどのくらいになるかにもよりますが、130mを飛べばメダルだなと予測していたんです。実際、葛西は130mに届かなくてもおかしくない条件でしたけど、彼は最高のジャンプを見せてくれたと思います。今日は2本とも踏み切りのタイミングも良かったし、完璧なジャンプでした」

 横川朝治ヘッドコーチがこう言うように、葛西は追い風0・15mで133・5mを飛び、ストッフを残してトップに立った。ストッフはほぼ同じ条件で132・5m。2本目は葛西より得点が低かったが、合計で1・3点上回り僅差で金メダルを手にした。

 試合後、葛西は「結局、飛型点の差でしたね」と苦笑した。2006年の夏に痛めて以来、膝痛のため、着地でなかなかテレマークを入れられなくなっていた。それを、膝の周囲の筋力強化で克服し、どうにかテレマークを入れられるようになってはいたが、ストッフに比べるとまだ精度が足りなかった。

 それでも、横川ヘッドコーチは「今の葛西のジャンプは空中を進む速度が世界一」と評価する。「今回良かったことは、葛西が五輪前のW杯で自分のジャンプを完成させていたこと。踏み切りのタイミングが遅れてもしっかり飛んでいけるジャンプになっていた」

 その完成度の高さがあったからこそ、葛西は大会直前に腰痛になりながらも、落ち着いて試合に臨めた。

「ジャンプを飛んだら痛くなり、休めば治るけど飛んだらまた痛くなるという繰り返しでした。昨日も少し違和感があったけど、一日中治療をしてもらい、痛みが減ってから今日の試合だったので、リズムが良かった」

 実は葛西は、ソチ入りしてから公式練習を休んでいた。このラージヒルでもそれは同じで、飛んだのは決勝前日の予選の2本のみ。さらに風の状況が悪いため、ラージヒルの試合前の試技は中止になり、葛西はいきなり1本目を飛ぶことになった。

「アプローチで試してみたいことがあったから、飛んでおきたいなと思っていたんですが、始まる前から風が微妙だったのですぐ頭を切り換えました。W杯で勝った時も、前日は飛ばないで試合でいきなり飛んで勝っていたから、自信はあった。練習で飛ばなくても自分の調子を維持できることがわかっていたので、余裕を持って過ごせました」

 精神的にも充実していたことが、日本ジャンプの歴史に新しい1ページを加えることができた最大の要因だろう。さらにこの試合では、2位の葛西だけではなく伊東大貴が9位で清水礼留飛が10位、竹内択が13位と、日本は団体戦へ向けて大きな弾みをつけた。

「1本目のジャンプはソチへ来てから一番いいジャンプができました。団体戦は、ノリさん(葛西)が『絶対に金メダルだ』と言っているように、今の調子ならできそうですね。考え過ぎず、自分のできることをやっていけば可能だと思います」と竹内は話す。

 また、膝の痛みがありながらも「最低限のことはできた」という伊東は、「8位入賞はしたかった」と悔しがったが、「団体戦に向けて最高の出来。あとはひとり一人が強い気持ちで戦っていくだけだと思います」と、気持ちを切り換えていた。

 日本チームは、個人戦でつかんだその勢いを団体戦で活かせるか。ベテランの葛西が引っ張り続け、進化させてきた日本ジャンプの真価が問われる試合になりそうだ。

折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi