AXマシンを消滅の道へ至らしめた存在は、1990年に日本アイ・ビー・エムがリリースした「DOS/V」です。正式名称「IBM DOS J4.0/V」となるDOS/Vはソフトウェアベースで日本語の表示を可能にし、それまでのPC-9801シリーズ一本調子だった国内のコンピューター市場に少なからず影響を及ぼしました。AXマシンの消滅だけでなく、PC-9801シリーズの牙城を崩す一矢になったのは改めて述べるまでもありません(図02〜03)

当時のPC/AT互換機=DOS/VマシンとPC-9801シリーズを比較しますと、PC-9801シリーズが衰退する理由は数多くあります。そもそも同シリーズは画面解像度が640×400ピクセルに固定されており、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)化が進むOSに追従できませんでした。単純に比較するとPC-9801シリーズ上でWindows 3.0/3.1を実行しても、80ラインも欠けてしまうため、大きなデメリットとなりました。もっともNECは、後に画面表示機能を強化したPC-9821シリーズを1992年にリリースしましたが、割安で購入できるDOS/Vマシンの勢いを覆すことは難しかったようです。

ちなみに、PC-9801シリーズのテキストモードは最大80桁25行でしたが、一部のパワーユーザーはソフトウェアで出力ライン数を480ピクセルに増加する「30行計画」を立案し、オンラインソフトとして配布されていたため、恩恵にあずかった方も少なくないでしょう。現在でも開発者の一人であるKEI SAKAKI氏のWebページで当時の開発経緯などを読むことができます。本題からそれましたが、あまりにも懐かしくて紹介しました。興味をお持ちの方は是非ご覧ください。

話をDOS/Vマシン vs PC-9801シリーズに戻しましょう。グラフィック描画能力とGUI OSの関係が重要なのは今も昔も変わりません。海外では前バージョンであるWindows 3.0の時点で各グラフィックチップメーカーから、さまざまなビデオチップが開発され、容易にビデオカードを換装することが可能でした。しかし、日本語版Windows 3.0は独自機能として「WIFE(Windows Intelligent Font Environment)」と呼ばれる日本語フォント管理機能を組み込んでいます。

そのため日本語表示にはWIFEに対応したビデオドライバーが必要となり、未対応の英語版ビデオドライバーをそのまま利用することはできませんでした。この問題を解決したのが、英語版ビデオドライバーと日本語版Windows 3.0の間にディスパッチャーを作り、日本語表示を可能にする西川和久氏作の「DDD(Display Dispatch Driver)」。当時から並行輸入されていた海外のビデオカードをコンピューターに組み込み、DDDを適用することで、高解像度環境を楽しめたそうです。Windows 3.1になりますと、英語版ビデオドライバーをそのまま利用可能になりましたが、DDDがDOS/Vマシンの普及に大きく寄与した存在であることに間違いはありません(図04)。

その一方で日本語表示はDOS/Vマシンがソフトウェア、PC-9801シリーズがハードウェアで実現しているため、圧倒的に後者が上手でした。長年蓄積されたソフトウェア資産も相まって、Windows 3.1時代もPC-9801シリーズを愛用する方は少なくなかったものの、ハードウェアスペックの向上と、OSのGUI化が進むことでアドバンテージが薄まるのは改めて述べるまでもありません。また、ソフトウェアのラインナップや、国産デバイスの対応状況は大きな問題となりましたが、世界レベルの市場を背景にそのバランスは覆されました。

1991年以降のNECを除く各ハードウェアベンダーは、DOS/Vマシンをリリースするようになり、現在に至っています。特に1991年に日本法人を設立したCompaq Computer(現在はHewlett-Packardの1ブランド)がリリースしたDOS/Vマシンは、エントリーモデルが12万8,000円(標準モデルが19万8,000円)と圧倒的な安さを実現。同年にNECが発売したPC-9801FAというコンピューターは、HDD別売りのエントリーモデルで45万8,000円。100メガバイトのSCSI-HDD内蔵モデルとなると64万8,000円と比較することもできない価格差が生じています。