更新が遅れてタイミングを逸してしまいましたが、5月6日はオシムさんの誕生日でした。

オシムさん、お誕生日おめでとうございます。

1941年5月6日生まれの、満72歳。

昨年暮れまでボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー連盟の責任者をつとめていましたが、連盟の立て直しも無事軌道に乗り、めでたく退任できたので、今年の誕生日は少しゆっくりできたようです(といっても周囲がほおっておいてくれないのですが)。

いまは来月に迫ったワールドカップ予選でボスニア代表がよい成績をあげるよう期待する毎日です。連盟の会長職にあった当時は会議ばかりで、なかなか国外のサッカーの試合を見る時間が取れなかったのが、またサッカー三昧の毎日です(笑)

ところで、オシムさんと同い年のファーガソン監督が今季で勇退することが報道されています。病気のせいでオシム監督の方が一足早く現場の仕事からは退任しましたが、両監督の共通点は(年齢にかかわらず)最新のサッカー戦術などの研究に熱心だったことでしょう。

「オレの若いころは……」と自分の経験だけに頼り、押しつける「経験主義」は、日本でもありがちですが、指導者としてもつねに最先端の情報を手に入れ、いつも「フレッシュ」な状態で若い選手たちと接していたわけです。

ちょうど1年前のブログに「ファーガソン監督はユーゴ代表を見つめていた」という記事を書きました。http://info.osimnodengon.com/?eid=374

読者の方の投稿で、次のようなものがありました。

ナンバー789号のファーガソンの特集記事の中で、「ファーギーが最先端のトレンドを分析してきたのは事実だ。あれは88年だったと思うが、僕が監督室をたまたま訪れたときにも、彼はユーゴスラビア代表のビデオを食い入るように見てたよ。」という、35年マンUのラジオ番を務めているティレルさんの証言があります。おそらくこれはオシムさんのサッカーをファーガソン監督が研究していたというとても、オシムファンにとっては嬉しい証言です。
(投稿者 ノビー)

それで、当時のワールドカップ予選の試合のうち、ファーガソン監督が「くいいるように」くり返し見ていたのは、

10月19日@グラスゴー(ワールドカップ予選)
スコットランド1−1ユーゴスラビア(前半1−1)

11月19日@ベオグラード(ワールドカップ予選)
ユーゴスラビア3−2フランス(前半1―1)

のどれかではないか、と書いたのでした。

一方のオシムさんも戦術はもちろん、最新式のトレーニング方法などを研究するため、マンチェスターUやアーセナル、あるいはバルセロナなどの練習場に行って、見学し、意見交換をしたものだと話していました。

その中から「多色ビブス」トレーニングなどが生まれたわけです。数種類の色のビブスを使うトレーニングは「オレのオリジナルではない。ヨーロッパではとくに珍しくはない」とオシムさんは謙遜したものです。しかし、3色から4色ぐらいはモウリーニョ監督のトレーニングでも使いますが、最高7色もの「虹色のビブス」でのトレーニングはオシムさんだけでした。

(試合で起こりうるあらゆる状況の変化を、瞬時に作り出し、条件付けることのできる多色ビブスのトレーニングは、日本でももっと普及したらよいのにと思います。)

ファーガソン監督とオシム監督。公式戦(UEFAチャンピオンズリーグ)での直接対決は、いま調べられたものだけで4試合。マンUとシュトゥルム・グラーツの対戦で、4試合ともマンUが勝利しています。

たとえば、1999年11月の0−3の試合の動画などをみると、ベッカムやキーン、バスティッチなどの懐かしい名前が。
http://www.youtube.com/watch?v=LJD721y5zAo

ファーガソン監督は日本の香川真司選手を獲得し、これから育ててくれるものかとも思っていたのですが、ひとまず感謝とねぎらいの言葉を寄せたいと思います。サー・アレックス、ありがとう、そして、いつまでもお元気で。

(それにしても、後任監督は……)