「昨年暮れ、坂口さんに仕事のオファーをしたら、ご本人から『少し体調が悪くて…』と断ってきました。体調が回復してからでも、と続けてお話ししたら『実は、病院通いをしていて・・・』と。2月には入院していたようで、知り合いからの問い合わせには『点滴を受けに入っている』と説明していましたが、電話の声も力がなかったそうです」(仕事関係者)
坂口良子さん(享年57)が3月27日、横行結腸がん(大腸がん)と併発した肺炎により、亡くなった。10年以上に及ぶプロゴルファーの尾崎建夫(59)との事実婚に終止符を打ち、昨夏入籍。坂口さんの体調に異変が生じたのは、一昨年の夏のことだったという。
「どうも具合が悪い、と病院で検査を受けたそうです。診断の結果、大腸がんが見つかり、これまでずっと治療を続けてきました」(彼女の知人)
2人の結婚は、娘の杏里(22)が、長らく反対し続けていたという。
「まだ小学生だった彼女にとって尾崎さんが母親を自分から奪う存在に思えたみたいなんです。事実婚状態で一緒に暮らすようになっても、なかなか尾崎さんになつこうとしないので、坂口さんは板挟みになって心を痛め、とても悩んでいましたね」(前出の知人)
母子家庭で育った杏里には、再婚で、大好きな母を“失う”寂しさを感じたのだろうか。
だが、杏里は徐々に“母の幸せ”を思いやれるように成長していった。
「実は2年前の夏から杏里さんは、ひとり暮らしを始めたそうです。最初は料理も掃除も洗濯もできなかった彼女が徐々に自立していって、良子さんはとても驚いたそうです。杏里さんなりに、お母さんの人生を考えたんでしょうね・・・」(仕事関係者)
母娘の関係が少しずつ変化しつつあったこの時期に、坂口さんはがん告知を受ける。
「彼女は初めて、尾崎さんとの入籍を本気で考えるようになったそうです。当初は昨年春に入籍と披露宴を予定していたのですが、坂口さんの体調が思わしくないこともあり、夏に延期になったと聞いています」(前出の知人)
昨年8月、ついに2人は尾崎の故郷・徳島県で入籍し、披露宴を行った。テレビ番組でも放送され、両家の親族を中心に、出席者は約30名ほどのアットホームな宴だった。披露宴の終盤、杏里は母と尾崎に寄せた手紙を、自ら涙ながらに読みあげた。
「杏里さんは、自らの葛藤を赤裸々に語り出しました。『世界でいちばん大好きなママを獲られてしまうと思って、“おじさん”としか呼ばなかった。どうしても受け入れられなくて、『家から出ていけ!』と言ったり、おじさんとママの写真を破いたりした』と――。『そんな私なのに、おじさんはいつも温かく接してくれた』と感謝して最後に初めて『お父さん!』と呼びかけたんです。坂口さんも尾崎さんも号泣していました」(テレビ局関係者)
娘・杏里の芸能界での最近の活躍に、目尻を細めていたという坂口さん。これからは天国から見守り続ける――。