■永井に息づくブラジルのDNA


小澤 野性味があるということですが、以前に乾監督から、謙佑は幼少時代ブラジルで過ごした経験があると聞きました。その経験がもしかするとワイルドさ、あるいは素材の良さという点に繋がっているのではないかと。その辺りは、いかがですか? 
 
乾 彼は3歳から5年間、お父さんのお仕事の関係でブラジルにいました。ご両親に彼がどのような生活を送っていたのかを聞くと、やっぱり道ばたで、裸足でブラジルの子供たちとストリートサッカーをしていたそうです。
 
 日本では「道でボールを蹴ったら危ない」って怒られてしまうし、そういう文化もない。そのストリートサッカーでは、子供たちの年齢の壁を超え、ルールも全部自分たちで決めてやっていたみたいですね。空き缶をゴールに見立てたりして、裸足で自由気ままにやっていた。今の日本では、サッカー教室とかスクールもまるで塾のようになっていて、「そこに行かないとサッカーが出来ない」という環境になってしまっていますよね。
 
 謙佑はブラジルの子供たちの中に混じって、見よう見まねで身につけたものが身体のなかにDNAという形で身に付いている。小さい頃に遊び感覚で会得したものがあるんだけれど、本人はそのことに全く気づいていない。記憶もあるわけでもない。だけど、それが今じわじわと目に見えてきているのではないでしょうか。
 
小澤 乾監督が永井を初めて見たのは、どのくらいの時期でしたか? 
 
乾 注意して見るようになったのは高校2年生の頃ですかね。ある程度、速さの頭角を現してきた頃なんですが、当時坪井(慶介/現浦和レッズ)という日本でも“速い”という選手がうちにいて、自分の感覚的に“速い”というのがわかっていたのですね。しかし、また“速さ”の質が違うというか、いわゆる初速が他の選手とは違っていました。
 
 サッカーの中で特に大事なのが、5メートル〜10メートルでどれくらいトップスピードに入れるか、トップギアに入れるかというところ。その入り方が、今まで見て来た選手の中でも、見たことの無い部類にありました。そう感じてから、「ちょっと違うな」と彼を見るようになりました。
 
小澤 杉山監督は、どのあたりから「永井のスピードは違う」と感じるようになりましたか? 
 
杉山 練習の最後のリレーとか、合宿でビーチにラダーやコーンを置いて走ったり、ビーチフラッグとかさせたりすると、速かったですね。並んでヨーイドンとすると。そういう部分は、1年生の冬場ぐらいには頭角を見せ始めました。逆に、ロングランは特にダメでした。
 
小澤 それは体力的な部分なのでしょうか、それともメンタル的な部分で、ロングランになるとだるく感じてしまうのでしょうか? 
 
杉山 いや、本当に走っていなかったんだと思います。ただ持っている潜在能力はあったでしょうから、ジャンプ系のトレーニングや階段を走らせていくうちに、持っていたものが目覚めてきた部分がありました。

<(2/6)へ続く>