悲願のJ2昇格を決めた松本山雅(まつもとやまが)の一年は、やはりこの男の存在を抜きに語ることはできない。松田直樹、享年34歳。彼はクラブに、チームメイトに、何を与えたのか。
* * *
12月12日、JFLの松本山雅が来季からJリーグに入会することが正式に決まった。翌日の13日には練習場にNHKの独占取材が入り、マスコミは練習場に押し寄せていた。JFLのクラブとしては驚くべき関心の高さだった。テレビや新聞のスポーツニュースは、「マツさんのために」という言葉を使い、その昇格を報じた。今年8月、元日本代表の松田直樹が病に倒れたことを境に、チームは図らずも全国レベルの注目を浴びることになった。
山雅を“さんが”と読む記者がいて、松本山雅を“松田山雅”と言い間違えるアナウンサーがいるのが実情だ。しかし、それは知名度が高まるための必然のプロセスともいえる。
では実際、松田が山雅にもたらしたものはなんだったのか。
「今年の自分は、マツさんがいたからこそ落ち着いてプレーできたんだと思います」JFL得点ランキング2位の19得点を記録し、Jリーグ昇格の旗手となったFW、木島徹也はそう証言している。
左サイドから中央へ対角線上に走り込む得点センスは抜群だ。しかし、あり余るゴールセンスを持ちながら、これまではJFL、九州リーグ、東北リーグ、東海リーグなどのクラブを転々としてきた。過去8シーズン、ふた桁得点を記録したことはなかった。
「自分はそれまで『FWはディフェンスから』みたいなことを言われてきましたが、マツさんはまったく違いました。『おまえは守りよりも点に絡め。その分、俺がふたり分見てやっから』。そんなことを言われたことは初めてで、うれしかったですね。マツさんが後ろにいたから、前の人間として自由に点を狙えた。その言葉は、自分のサッカー観をまるで変えるほどの衝撃でした」
木島徹也は練習から松田と対峙(たいじ)することで、JFLでは怖さが微塵(みじん)もなくなったという。「この人以上のディフェンダーはいない」、そう思えると、日々成長する手応えを感じた。ゴール前、どんなに際どいシュートの瞬間でも、不思議に冷静だった。その積み重ねが19得点という結果につながったのである。
昨シーズン、山雅は7位に終わったが、総得点は48点、今年は4位で総得点は60点だ。
「ゴールに向かってプレーしろ」松田の信念がチームを後ろからもり立て、力を与えた。それが4位と7位の差につながった。
一方、守備面でも松田の与えた影響は大きい。
「マツさんは自分と同じCBとして、日本代表でプレーしていた選手。すごく尊敬していたので、どんな言葉も心に響きましたね」そう語ったのは、CBとして目を見張る存在感を見せた飯田真輝(まさき)だった。
相手を蹴散らす豪快なヘディングは、セットプレーにおいて貴重な得点源にもなった。東京ヴェルディ時代も高さはずぬけていたが、3シーズンを戦いリーグ出場はわずか6試合。2010年に入団した山雅でも1年目はレギュラーの座を奪えなかった。飯田は松田の言葉を触媒に、驚くべき変貌を遂げたのである。
「マツさんには『ひとりで守れるじゃん、守ってよ』と声をかけてもらいました。持ち上げられていたんだろうけど、尊敬している人の言葉だから素直にうれしいんですよ。これは頑張るしかない、そう思いました。マツさんはいい気分にさせるのがうまい。『いいじゃん、ヘディング! ボンバー(中澤佑二)よりいいぞ』なんて褒めてくれたこともあって。そのひと言で自信が持てました」
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12月12日、JFLの松本山雅が来季からJリーグに入会することが正式に決まった。翌日の13日には練習場にNHKの独占取材が入り、マスコミは練習場に押し寄せていた。JFLのクラブとしては驚くべき関心の高さだった。テレビや新聞のスポーツニュースは、「マツさんのために」という言葉を使い、その昇格を報じた。今年8月、元日本代表の松田直樹が病に倒れたことを境に、チームは図らずも全国レベルの注目を浴びることになった。
山雅を“さんが”と読む記者がいて、松本山雅を“松田山雅”と言い間違えるアナウンサーがいるのが実情だ。しかし、それは知名度が高まるための必然のプロセスともいえる。
では実際、松田が山雅にもたらしたものはなんだったのか。
「今年の自分は、マツさんがいたからこそ落ち着いてプレーできたんだと思います」JFL得点ランキング2位の19得点を記録し、Jリーグ昇格の旗手となったFW、木島徹也はそう証言している。
左サイドから中央へ対角線上に走り込む得点センスは抜群だ。しかし、あり余るゴールセンスを持ちながら、これまではJFL、九州リーグ、東北リーグ、東海リーグなどのクラブを転々としてきた。過去8シーズン、ふた桁得点を記録したことはなかった。
「自分はそれまで『FWはディフェンスから』みたいなことを言われてきましたが、マツさんはまったく違いました。『おまえは守りよりも点に絡め。その分、俺がふたり分見てやっから』。そんなことを言われたことは初めてで、うれしかったですね。マツさんが後ろにいたから、前の人間として自由に点を狙えた。その言葉は、自分のサッカー観をまるで変えるほどの衝撃でした」
木島徹也は練習から松田と対峙(たいじ)することで、JFLでは怖さが微塵(みじん)もなくなったという。「この人以上のディフェンダーはいない」、そう思えると、日々成長する手応えを感じた。ゴール前、どんなに際どいシュートの瞬間でも、不思議に冷静だった。その積み重ねが19得点という結果につながったのである。
昨シーズン、山雅は7位に終わったが、総得点は48点、今年は4位で総得点は60点だ。
「ゴールに向かってプレーしろ」松田の信念がチームを後ろからもり立て、力を与えた。それが4位と7位の差につながった。
一方、守備面でも松田の与えた影響は大きい。
「マツさんは自分と同じCBとして、日本代表でプレーしていた選手。すごく尊敬していたので、どんな言葉も心に響きましたね」そう語ったのは、CBとして目を見張る存在感を見せた飯田真輝(まさき)だった。
相手を蹴散らす豪快なヘディングは、セットプレーにおいて貴重な得点源にもなった。東京ヴェルディ時代も高さはずぬけていたが、3シーズンを戦いリーグ出場はわずか6試合。2010年に入団した山雅でも1年目はレギュラーの座を奪えなかった。飯田は松田の言葉を触媒に、驚くべき変貌を遂げたのである。
「マツさんには『ひとりで守れるじゃん、守ってよ』と声をかけてもらいました。持ち上げられていたんだろうけど、尊敬している人の言葉だから素直にうれしいんですよ。これは頑張るしかない、そう思いました。マツさんはいい気分にさせるのがうまい。『いいじゃん、ヘディング! ボンバー(中澤佑二)よりいいぞ』なんて褒めてくれたこともあって。そのひと言で自信が持てました」
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