先日のカズのゴールには本当にびっくりした。余韻はいまだに残っている。

マラドーナの60メートル5人抜きシュート(86年)、欧州選手権決勝におけるマルコ・ファンバステンのボレーシュート(88年)、コンフェデ杯フランス対ブラジル戦におけるロベルト・カルロスのFK(97年)。

人生において記憶に残るゴールは? と問われれば、この3つのゴールをすぐに思い出すが、カズのゴールも別の意味で、記憶に残るゴールになりそうだ。語り草になりやすいゴールというべきか。前回もブログでも書いたが、超完璧な芝居を見せられた気分だ。どこかに仕掛けがあるマジックやトリックを見せたれた気分にも似ている。

上で述べたマラドーナの5人抜きシュートは、86年メキシコワールドカップ準々決勝対イングランド戦における、アルゼンチンの2点目のゴールだが、カズのゴールはどちらかと言えばその1点目に似ていた。マラドーナの「神の手ゴール」である。マラドーナのヘディングではなく実際は「手ディング」だったワケだが、何度ビデオを見ても簡単には見抜けないところにあのゴールの素晴らしさがあった。完璧な芝居。だがその芝居は、まさに瞬間芸であり、マラドーナの一人芝居だった。

かたや、カズの場合は一人ではない。闘莉王が絡んでいる。岩政にヘッドで勝ち、カズの鼻先にボールを落としている。ディフェンスラインにもぽっかり穴が空いていた。一人芝居とは言えないのだ。瞬間芸半分、展開芸半分。複数の人間で作り上げた大芝居。芝居の難易度は一人芝居より断然上といいたくなる。

誰かにゴールを奪わせるお芝居は、エキシビションマッチ、とりわけ引退試合には欠かせないものだ。その日の主役に、ゴールをみんなでプレゼントするのがお約束になっている。しかし、僕が知る限り、その芝居は巧くない。不自然で、見え透いている。もともと、高度な芝居が求められていないからだが、やってできるものでもない。どう頑張っても、芝居にしか見えないのだ。

だからこそ、芝居度ゼロに見えるカズのゴールが偉大に見える。

この試合におけるカズは、他の選手とは異なる存在。実力で選ばれたわけではない。お祭りに欠かせない色物として、舞台を盛り上げる役者として出場した。カズが活躍すればするほどイベント性は増す。メッセージ性も強まるわけだが、カズの引退試合ではない。絶対的な中心人物としてこのイベントに参加しているわけではない。芝居をする必要があるような、ないような微妙な試合だった。そこでカズは、周辺を巻き込み、芝居を超える技を見せた。役者というよりマジシャン。何かどこかに仕掛けがある、壮大なトリックを見せられているようだった。

そんなはずはないのだけれど、そう思わせてしまうところが彼の極意。このプレイの凄さだ。前回のブログでは、最も活躍したと思しき本田圭佑に、僕は7を付ける一方で、「カズの域にはまだ遠い。もっと見せるプレイ、サービス精神溢れるプレイを」と注文を付けた。舌の根も乾かぬうちで恐縮だが、いま僕は、冒頭で述べたスーパーゴールに、本田の一撃も加えたい気分になっている。2010年南アフリカワールドカップ、対デンマーク戦のFKだ。

一瞬、狐につままれた状態に陥った。ラステンバーグのスタンドにはるばる駆けつけた日本のファンも、喜ぶまでに一瞬、間があった。間髪入れずに歓喜を爆発させたわけではない。1秒、一拍以上の間があった。その左足から放たれたキックは、あまりにも奇妙な弧を描いた。何の変哲もない弧。当たり前の曲線ではあったが、すべてを超越する異様さを湛えていた。不思議体験とはこのことだ。

もっとも、南アでの不思議体験は、このFKに限った話ではない。本田が「そこ」にいることが僕にとっては、もっと不思議だった。