〈「エンゼルスでの6年間を忘れることはない」名門・ドジャースで大活躍の大谷翔平が、移籍直後に語っていた“古巣への率直な思い”〉から続く
今や世界的なスター選手となった、ドジャースの大谷翔平。そんな大谷と一対一で向き合い、インタビューを続けているのが、ベースボールジャーナリストの石田雄太氏だ。大谷は石田氏とのインタビューの中で、どんな言葉を紡ぎ、どんな思いを語っているのか。
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ここでは、石田氏の著書『野球翔年II MLB編2018-2024 大谷翔平 ロングインタビュー』(文藝春秋)より一部を抜粋。メジャー1年目を終えた大谷翔平に行った独占インタビューを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
大谷翔平選手 ©文藝春秋
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シーズン中にほとんど外食をしなかった理由
――帰国後、久々の日本をどこで実感しましたか?
「何だろう……やっぱりお寿司じゃないですか。帰国してすぐ、ダイ(陽岱鋼)さんに誘われて都内のお寿司屋さんへ行ってきました。カウンターに座って、握ってもらえるお寿司屋さんは久しぶりだったので、ああ、日本だな、と思いました」
――寿司ネタは何が好きなんですか。
「何でも好きですよ。貝類も好きですし、マグロとか、炙りも好きですね。あとは汁物とか、おつまみがちょっとずつ出てくる感じが日本っぽいなぁ、ゆっくり食べられていいなぁと思いました。おつまみと言っても、僕、お酒は飲まないんですけどね」
――シーズン中は球場で用意された食事で済ますことが多かったようですが、それでバランスよく栄養を取れたんですか。
「大丈夫です。置いてあるものの中から選択するのは自分ですから、美味しいからって好きなものだけを食べるとか、そういうことをしなければ問題ありません」
――毎日、外食なんて普通じゃない、と。
「普通じゃなくないですか? 毎日、外食しますか? せっかく球場に食事が用意されているのに、外食ばっかりなんて、普通じゃないでしょう」
――でも、ほとんどの日本人メジャーリーガーは、少なくとも遠征先では当たり前のように、外食に出ますよ。
「それはメジャーリーガーだからでしょう」
――大谷選手もメジャーリーガーじゃないですか。
「だって、もらってる額が違いますもん(笑)」
――いやいや、メジャーで新人王を獲った日本人メジャーリーガーは、イチロー選手以来、17年ぶりです。
「もちろん、(新人王を)獲れたことは嬉しいんですけど、僕の中では1カ月、戦線を離脱したことのほうが印象に残ってしまって、ずっとモヤモヤしています」
二刀流を1年間やっていく難しさ
――それでも日本でプレーしていたときよりもずいぶん早く、メジャーに二刀流を認めさせた感じはありませんでしたか。
「認められたのか、認められていないのかは、まだわかりません。仮にピッチャーに絞ってメジャーへ行っていたら、このくらいのレベルのピッチャーは珍しくないと思われていたかもしれませんし、2つやっていたからユニークでいいよね、絞るのはもったいないよね、と思われていただけかもしれません。両方のポテンシャルを高いレベルだと認めてもらっているかどうかというのは、まだわからないと思います」
――メジャーで2つをやっていく上で、理想の形は見えてきましたか。
「そこはチームとして、シーズン前にこのくらいやってほしいという量を、1年間、全うするのが理想かなと思います。ピッチャーとしてローテーションを守る難しさもあると思いますし、1年間、バッターで出続ける難しさもある。その難しさはそれぞれ別のことで、2つを1年間やっていく難しさも、また別のところにあると思います。
だから2つやることと、1つを1年間やり続けることのどちらが難しいかというのは、絞ったことがない僕にはわかりません。ただ、メジャー2年目はバッターとして長くプレーすることになりますし、1つを続ける難しさが少しわかるかもしれません」
――今、「2つを1年間やっていく難しさ」と仰いましたが、具体的には?
「チームに(アルバート・)プホルス選手がいて、DHとして僕と併用されるとなれば、その中でバッターとしての能力を見せなければなりません。だから、DH枠の左バッターとして自分の地位のようなものを上げていかなければなりませんでした。
ただオープン戦でそれができなくて、それでもピッチャーのほうはわりと評価してもらっていたので、とにかくシーズン中にバッターとしての地位を上げていかなければいけなかった。
そこは2つをやっていくために僕が1年目にやらなくちゃいけなかったことで、結果的に(ピッチャーとして戦列を離れたことで)バッターとしての出場が多くなって、それなりの成績も残せたので、そこは唯一、2年目につながる、よかったところだったと思っています」
次シーズンに備え、メジャー最終戦の翌朝にトミー・ジョン手術を受けた
――メジャー1年目の最終戦は2018年9月30日でした。トミー・ジョン手術を受けたのはその翌日の10月1日。あの手術は早朝、行われるはずですが、となると本当に一刻も早くやりたかったんですね。
「それはもう、早ければ早い方がいいでしょう。手術の日、家を出たのは、朝5時だったかな。シーズンが終わったら、その瞬間からもう次のシーズンに入っているわけで、早いに越したことはない。それは僕もそうだし、球団も含めてみんなの一致した意見だったので、ドクターが下さった候補日の中でもっとも早いタイミングでやろうということになりました」
――手術の前に、傷のない、きれいな右ヒジとはちゃんとお別れしたんですか。
「お別れですか? いや、どっちかというとお別れしたのはコイツ(右手首の内側の腱)でしたね」
――えっ、右ヒジじゃなくて、右手首?
「こうやって(撫でるように)触りながら、『じゃあな』って。この腱って、こうやると(手首を内側に曲げると)浮き出てくるじゃないですか。目に見えるのは手首の腱のほうで、取るのはコイツですし、右ヒジはコイツが引っ越してくるだけなので……」
――移植した腱は左手首じゃなくて、利き手の右手首から取ったんですか?
「右の腱のほうが太くて、左は弱かったんです。ハムストリングから取るという選択肢もあったんですけど、手首の腱のほうがいいらしくて、じゃあ、右の手首から取りましょうと……」
――どのくらいで目が覚めたんですか。
「全身麻酔でぐっすり眠っていたんで、どのくらいだったかわからないんですけど、けっこう早く目は覚めたらしいです」
――終わって、ドクターからはどんな言葉をかけられたんですか。
「力が入るかと訊かれて、神経が傷ついていないかどうかを確かめました。大丈夫そうだね、と言われて、そのあと、『自分のできることは全部やったよ、大成功だった』と……MRIでは本当の状態がわからない、開けてみないとわからないことも多い手術なので、そこはホッとしました」
〈つづく〉
〈大谷翔平が「僕、野球をやめちゃうと思います」と驚きの発言、その真意とは…? “世界のオオタニ”が明かした、野球人生を“終える時”〉へ続く
(石田 雄太/Number Books)