―[貧困東大生・布施川天馬]―
みなさんは『チ。―地球の運動について―』という作品をご存じでしょうか?
魚豊先生による漫画作品で、地動説の証明に命を懸ける人々の物語です。原作漫画も大人気でしたが、この10月にアニメ化されてからは人気が再燃しています。
◆現代人が『チ。―地球の運動について―』から学ぶべきことは
かつては「地球はあらゆる天体の中心にあって、その周りを星々が回っている」と唱える天動説が信じられていました。それはキリスト教の聖書に「太陽が動いている」ともとれる記述があり、実際に観測しても星々のほうが動き続けているように見えたからでした。
中世〜近代ヨーロッパ世界ではキリスト教の勢力が非常に強く、破門された皇帝が雪の中を素足で謝罪に来させられたこともあります(カノッサの屈辱)。破門=キリスト教世界からの追放であり、最後の審判で復活する権利を失ってしまうからでした。
もちろん天動説を否定する地動説の研究も少数派でした。明らかに聖書と矛盾する異端研究を、しかも星の動きが多少変わっても生活に大した変化が生じないのに行っている。
これは、周囲の人々からして「異常」とうつったことでしょう。ですが、ここにこそ我々現代人が学ぶべき態度があるように見えます。
最近は何をするにつけても「コスパ」「タイパ」が意識されがち。研究の世界でもこれは同じ。「すぐに実益が出そうな研究」ばかりを優遇したがる。
ですが、それは本当に正しい態度でしょうか? 私は、コスパやタイパにとらわれている現代人こそ、『チ。』を視聴すべきだと考えます。それは、この作品からは、周りに縛られて生きるのではなく、自分自身で人生を選択する生き方を学べるからです。
◆「真実を知りたい」一心で生きた人々の物語
『チ。』の舞台は中世〜近代ヨーロッパをイメージした某国で、国民のほとんどがC教を信仰しており、その教えに背いたり、疑ったりすると異端審問にかけられて、拷問の末、最悪の場合は殺されてしまいます。
天動説もC教の説く「常識」のひとつ。ですが、実際に天体を観測すると、あまりにも不可解な事象ばかりが起きます。真円を描くように移動していた星が、突如として一時的な後退を行う。金星が満ちて見える。
それでも天動説の世界を維持するために、学者たちは様々な推論を披露しては宗教世界の維持を試みてきました。
ですが、ある時この常識を疑う人が出てきました。彼らは、命を賭して異端研究を続けますが、時には拷問を受け、時には処刑され、波乱万丈な人生を紡ぎます。そこまでして研究をする理由はただ一つ「真理を知りたいから」でした。
そもそも、この作品のタイトルである『チ。』は、地動説や地球を表す「地」でもありながら、おそらく「知」でもあります。
異端研究がバレたら、苛烈な拷問の末に最悪殺されてしまう状況下で、それでも研究をつづける人々には、それぞれ「究極の真理と向き合いたい」とする知的好奇心があふれています。
宗教世界の縛りから離れ、近代的な「常識や前提を疑う」研究態度を持ち続けた知の奉仕者たちの命のリレーであったとも解釈できる。
さらにいえば、彼らは利益を追求しません。「役に立つから」「金になるから」と研究を始める者はいますが、最終的にはそういった利害関係を超えたところに自らの使命を見出しています。
最終話付近では「役に立たない研究はいらない」とする言説も確認できますが、それでもなお研究を続けた人々がいたからこそ、今の世界が成り立っています。
◆闇雲に「コスパ」を求めることが幸せか
私は東京大学の文学部に通っています。科学系、工学系の学部とは異なり、文学部で行われる研究は、正直研究が進んだからと言ってすぐにお金に代わるようなものはほとんどありません。
みなさんは『チ。―地球の運動について―』という作品をご存じでしょうか?
魚豊先生による漫画作品で、地動説の証明に命を懸ける人々の物語です。原作漫画も大人気でしたが、この10月にアニメ化されてからは人気が再燃しています。
◆現代人が『チ。―地球の運動について―』から学ぶべきことは
かつては「地球はあらゆる天体の中心にあって、その周りを星々が回っている」と唱える天動説が信じられていました。それはキリスト教の聖書に「太陽が動いている」ともとれる記述があり、実際に観測しても星々のほうが動き続けているように見えたからでした。
中世〜近代ヨーロッパ世界ではキリスト教の勢力が非常に強く、破門された皇帝が雪の中を素足で謝罪に来させられたこともあります(カノッサの屈辱)。破門=キリスト教世界からの追放であり、最後の審判で復活する権利を失ってしまうからでした。
もちろん天動説を否定する地動説の研究も少数派でした。明らかに聖書と矛盾する異端研究を、しかも星の動きが多少変わっても生活に大した変化が生じないのに行っている。
これは、周囲の人々からして「異常」とうつったことでしょう。ですが、ここにこそ我々現代人が学ぶべき態度があるように見えます。
最近は何をするにつけても「コスパ」「タイパ」が意識されがち。研究の世界でもこれは同じ。「すぐに実益が出そうな研究」ばかりを優遇したがる。
ですが、それは本当に正しい態度でしょうか? 私は、コスパやタイパにとらわれている現代人こそ、『チ。』を視聴すべきだと考えます。それは、この作品からは、周りに縛られて生きるのではなく、自分自身で人生を選択する生き方を学べるからです。
◆「真実を知りたい」一心で生きた人々の物語
『チ。』の舞台は中世〜近代ヨーロッパをイメージした某国で、国民のほとんどがC教を信仰しており、その教えに背いたり、疑ったりすると異端審問にかけられて、拷問の末、最悪の場合は殺されてしまいます。
天動説もC教の説く「常識」のひとつ。ですが、実際に天体を観測すると、あまりにも不可解な事象ばかりが起きます。真円を描くように移動していた星が、突如として一時的な後退を行う。金星が満ちて見える。
それでも天動説の世界を維持するために、学者たちは様々な推論を披露しては宗教世界の維持を試みてきました。
ですが、ある時この常識を疑う人が出てきました。彼らは、命を賭して異端研究を続けますが、時には拷問を受け、時には処刑され、波乱万丈な人生を紡ぎます。そこまでして研究をする理由はただ一つ「真理を知りたいから」でした。
そもそも、この作品のタイトルである『チ。』は、地動説や地球を表す「地」でもありながら、おそらく「知」でもあります。
異端研究がバレたら、苛烈な拷問の末に最悪殺されてしまう状況下で、それでも研究をつづける人々には、それぞれ「究極の真理と向き合いたい」とする知的好奇心があふれています。
宗教世界の縛りから離れ、近代的な「常識や前提を疑う」研究態度を持ち続けた知の奉仕者たちの命のリレーであったとも解釈できる。
さらにいえば、彼らは利益を追求しません。「役に立つから」「金になるから」と研究を始める者はいますが、最終的にはそういった利害関係を超えたところに自らの使命を見出しています。
最終話付近では「役に立たない研究はいらない」とする言説も確認できますが、それでもなお研究を続けた人々がいたからこそ、今の世界が成り立っています。
◆闇雲に「コスパ」を求めることが幸せか
私は東京大学の文学部に通っています。科学系、工学系の学部とは異なり、文学部で行われる研究は、正直研究が進んだからと言ってすぐにお金に代わるようなものはほとんどありません。
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