[画像] 【バイタルエリアの仕事人】vol.44 藤尾翔太|五輪が終わり、次に目ざす場所は“A代表” 「僕たちの世代も食い込んでいかないと」

 攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第44回は、FC町田ゼルビアのFW藤尾翔太だ。

 前編ではバイタルエリアでの意識、躍進を続ける町田の強さの理由を訊いた。後編では自身の精神面や町田の黒田剛監督、パリ・オリンピックについて語ってもらった。

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 黒田(剛)監督は、当たり前かもしれないですけど、すごく負けず嫌いな監督だと思います。本当に勝利に貪欲で、熱い監督です。

 練習でも僕たちがぬるい練習していると、すぐに止めて気合を入れ直してくれる。いい方向に持っていくのが上手い印象ですね。

 J1で追われる立場となっていますが、プレッシャーは感じていないです。僕自身があまりプレッシャーを感じるタイプではなく、感じたら逆にプレーが悪くなるというか、かたくなってしまう。感じないようにはしているんですが、ただどうしてもシーズンの終盤になるにつれて、少しずつ重圧がかかっているとは思います。

 そういう僕のメンタルは、鍛えたわけではなく、もともとの性格ですかね。コーチにメンタリティの部分あまり言われたことがなく、小さい時から気が強いタイプだったので、子供の頃からだったような気はします。

 両親の教育方針で特別なことがあった記憶はないですけど、僕は昔からめちゃくちゃ自由に育ったので。縛られることはなく育ててもらったのが良かったのかなと。

 サッカーは親と4歳上の兄貴が先にやっていて、それで気が付いたらボールを蹴っていた。サッカーがすごくやりたかったわけではなかったのですが、勝手にサッカーが習慣になっていて、それが今でも続いているような感覚。兄貴とはライバル心というか、切磋琢磨し合ってこれたのも良かったです。
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 今季、上位を走る好調の町田において、世間の注目を集めたのは、藤尾がPKキッカーを務めた際の自身が蹴るボールへの水かけだ。賛否が分かれたこの行為を本人はどう思っているのか。

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 周囲から言われることに対して、自分が悩んでいることは何もないです。勝つために全力でやっているだけなので。

 ボールに水をかけることについて、周りのサッカー選手やコーチ、違うチームの指導者に訊いても、『なんでダメなのか分からないけど』と言われますし、客観的に見てもそれがめちゃくちゃ悪くてスポーツマンシップに反する行為だとはたぶん、周りも思ってないので、あんまり僕も気にはしていないです。

 それでいろいろ言われてしまうのは、PKがよく入ってるからなのか、町田が上位にいるからなのか。なぜ本当にダメな行為だと思われてるのか分からないですね。
 
 やり続けることでそれに世間も慣れてくるんじゃないかと。キーパーがキーパーグローブに水をかけるのとかと一緒の感覚だとは思っています。それもみんなやっているので、なにかと言われてしまうのは慣れていないだけだと考えています。

 PK時にボールに水をかけることになったきっかけは、成功体験からです。僕は今シーズン、一度PKを外しているんですけど、その原因は芝が乾燥していて、蹴りにくかったというのが自分の中にあった。

 ビッグチャンスなので、そういうミスをできるだけ減らせるように自分なりに考えた対策。次の試合でPKの時に水をかけてみたら、前に外したところと同じグラウンドでゴールを決められた。ルーティン的な感じが強いかもしれないです。
 
 藤尾は今年7月、U-23日本代表の一員としてパリ・オリンピックに出場。グループステージのパラグアイ戦で2ゴールを挙げるなど結果を出したが、準々決勝でスペインに0−3で敗れ、ベスト8敗退に終わった。

 長い時間をかけてこのチームで金メダルを目ざしてきた。だからこそ「上に行きたかった」と悔しさを露わにする。

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 あのメンバーでやっぱりもっと試合をしたかった。オリンピックという、相手チームのレベルが高いオリンピックで、もっと上に行きたかった気持ちはありました。

 でも終わってしまうと、僕の中では思った以上にあっさりしていた。オリンピック期間中はすごく緊張感があったけど、終わったらすぐJリーグが始まって、余韻があんまりなくて。
 
 一番、悔しさやチームの終わりを実感したのは、スペイン戦に負けたその日の夜。チームのミーティングでスタッフやほかの選手の話を聞いて、大岩(剛)さんの体制が始まって数年積み上げてきたなかで、もうこのチームでもうできないのかと、本当にこのチームは解散なんだなというのを考えさせられました。

 五輪代表チームでの活動で得たモノも多くありました。クラブではフォワードでも、代表だとサイドのポジションを任されることも多かった。最初は戸惑いもありました。やったことないポジションだったし。でもやっていくうちに分かってくることも多かったですし、オリンピックではもうやることがはっきりして明確にプレーできたので、良かったです。

 オリンピックが終わって、次に僕が目ざすのはA代表。クラブでは(中山)雄太くんから、アドバイスももらいました。A代表にいずれ入っていくなら、自分のプレーは誰にも分からないから、もっとどういうプレーをしたいとか、どういうところにボールが欲しいという要求をもっと強くしてみてもいいんじゃないかと。そういう話をしてもらえたのは印象に残っています。

 東京オリンピック世代がA代表に多いように、僕たちの世代も、もっともっとレベルを高めて、食い込んでいかないといけないと思っています。

※このシリーズ了

取材・構成●手塚集斗(サッカーダイジェストWeb編集部)