「天使ママになってからは、妊婦さんを見るのが精神的につらかったり、亡くなった子どもとちょうど同い年くらいの他の子どもを見ると悲しい気持ちになったりしました。

 何より違和感を覚えるのは、社会では生きている子どもの話はするのに、お腹のなかで亡くなった子どもの話はされないんですよね。私も“ママ”なのに、お腹の中で亡くなった子についてはなかったことにされているように感じて、とても悲しくなるんです」

◆子どもを「なかったこと」にしたくない

 妊娠中の喪失を公言しない、あるいは言及を忌避する風潮はたしかに強い。だが愛澤さんは、これからも発言をしていく。それにはこんな意図があるという。

「ひとつは、私の子どもを『なかったこと』にしないためです。それから、似た状況で悲しんでいる人たちが、『言ってもいいんだ』と思ってくれるように。お腹のなかで潰えた命だとしても、愛している我が子だという事実は変わらないし、悲しみを隠さなくていいと私は考えています」

 苦しみや悲しみによって受傷した心は、簡単に癒えない。時薬――時間が薬――という言葉もあるが、回復するのに一生分の時間で到底きかない傷もあろう。気の持ちようだけで乗り切れない慟哭も存在する。だからこそ、愛澤さんは“演じる”のではないか。治ることのない障害、いじめによる不登校、我が子の死――女優として舞台に立ち続けることが、観る人を勇気づけると信じて。

「いつか必ず道は拓ける」――そう鼓舞し続ける愛澤さんでさえ、その開拓のなかば。だが必ず、多くの人々の魂を震わせる演劇の真髄に届くだろう。悲しみに打ち勝ったタフな人よりも、悲しみとともに生きる人にこそ、福音は訪れる。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki