[画像] 谷口彰悟が欧州デビューでコンディション最悪だった理由「VISAが発行されず......」

【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」
<第23回・特別インタビュー前編>

◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第22回>>移籍の経緯を語る「ようやくヨーロッパの市場に加わることができる」

 谷口彰悟は、33歳にしてカタールのアル・ラーヤンSCからベルギーのシント・トロイデンへの加入を決めた。

 特別編としてインタビュー形式で展開する今連載の第23回は、途中出場からシント・トロイデンでのデビューを飾った8月4日のシャルルロワ戦に至るまでの話を聞く。

 谷口も予想していなかった国際移籍の難しさ、それにともなうコンディション維持の難しさがあった。その過程を知らなければ見えない、彼の困難や戸惑い、そしてプレーがあった。

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シント・トロイデン移籍時に直面したトラブルとは... photo by Getty Images

── ベルギーリーグが開幕した7月28日のアンデルレヒト戦は、すでに加入が発表されたあとでしたが、メンバー外でした。シント・トロイデンでのデビューは8月4日、第2節のシャルルロワ戦でした。それまでは、どのように過ごしてきたのでしょうか?

「実は......それまでが大変だったんです(苦笑)。日本でのオフを終えてカタールに戻る時には、シント・トロイデンへの移籍に向けて、ほぼ交渉がまとまっている状況でした。

 移籍に伴い、カタールでもベルギーへの移籍に向けて、諸々の書類を準備したり、手続きをしたりする必要がありました。ところが、なかなかその手続きが進まず......。

 僕自身は、国をまたぐ移籍に必要な書類がどういったものなのか、また、どうやってそれらを取得すればいいのかもわかりませんでした。でも、なかなか動かない状況に、このままではいけないと、しびれを切らして自分で動くことにしたんです」

── 選手である谷口選手自らが、移籍に必要な書類の手続きに動いたのですか?

「以前も連載で触れましたが、カタールの人たちは、日本人とは文化や習慣も異なり、マイペースというか、のんびりしているところがあります。カタールで1年半を過ごし、そこに悪気があるわけではなく、あくまで文化や習慣的なところが大きいこともわかっていました。

 だから、スピード感を持って動いてはもらえないだろうな、という危機感もありました。そこで、周りが動かないのであれば自分で動いたほうが早いだろうと考え、行動に移すことにしたんです。すでにその時点で、数日が経っていたので......」

【朝にベルギーに着いてその足で練習場へ】

── 1年半をカタールで過ごした経験が生きていたわけですね。

「そこから、移籍に際して必要な書類を取得するために、カタールでお世話になっている日本人の方の協力も仰ぎながら、書類の手続きを進め、あちこち回りました。

 それ自体も、かなり大変でした。この書類はどこで取得できるのか。それを聞いて、まずはその書類を取りに行ったことも。また、書き方もわからないので、それがわかる人に聞いたり、自分で調べたりして、なんとか作成して提出しました。なかにはウェブ上で申請できる書類もあったのですが、申請してから承認を得るまでに、また時間がかかったりして(苦笑)」

── 手続きのストレスは、我々でもわかります。それが国をまたぐとなると、なおさらです。

「まさにそうですね(笑)。ようやく書類が揃ったら、今度は外務省にアポスティーユ(領事認証)をもらわなければならず、自ら外務省へも手続きに行きました。

 それらの手続きが終わり、ようやくカタールからベルギーに行けることが決まったのが、シント・トロイデンへの加入が発表された直前だったように思います」

── 手続きがスムーズにいけば、もう少し早い段階でシント・トロイデンに合流できた可能性もあったわけですね。

「その手続きだけで、10日以上はかかっていました。しかもその間、アル・ラーヤンの練習には参加できなかったので、ひとりで身体を動かすしかなかった。

 ようやくベルギーに渡り、安堵しましたが、ところがベルギーの労働局にVISA(査証)を発行してもらうため、シント・トロイデンのスタッフに書類を提出してもらうと、今度は『これでは書類が不十分だ』と言われてしまったんです(苦笑)」

── まさに不測の事態ですね。

「VISAが発行されなければチームの練習にも参加できないし、クラブの施設を使うこともできない。やっとの思いでベルギーに降り立ち、チームメイトとボールを蹴れると思っていたのに、再びひとりで練習しなければならなくなってしまいました。

 そこからもまた、手続きが大変で......。ブリュッセルにあるカタール大使館に行ったら、カタールにあるベルギー大使館の承認が必要な書類があるということがわかり、本人が出向くのが確実ということで、弾丸でカタールにも飛びました。

 シント・トロイデンにとってもカタールから選手を受け入れるのは、初めてのことだったので、クラブの関係者も、契約しているエージェントも、わからないことが多かったんです。

 カタールを経って、朝、ベルギーに着いたのですが、その足で練習場に行き、初めてチームの練習に参加することができました。その時はさすがに『やっとだ......』って思いましたね。実は、それがリーグ第2節、シャルルロワ戦の2日前でした」

【サッカーをしなければ戻らない感覚はある】

── その過程と苦労を聞き、開幕戦を欠場した理由も、第2節で途中出場だったことも理解できました。コンディションを含め、調整するのは大変だったのではないでしょうか?

「状況を説明するために、淡々と話しましたけど、身体も、メンタルも、かなりキツかったですね。日本国内ならばわかることも、国をまたぐと、それぞれルールも異なります。僕自身もわからないことが多く、誰に聞けばいいのか、何をすればいいのか、思いどおりにいかないことも多かったので。そこは国際移籍の難しさに直面した気がします。

 ただこれは、国をまたいだ制度や仕組みの問題なので、誰が悪いとか、何かが悪いということでは決してない。だから、何かに怒ったりするような感情も、誰かに苛立ちをぶつけることもありませんでした。ただただ、やることが多すぎると困惑はしましたけど。

 7月はまるまる、そういった手続きに時間を費やしていて、練習もジムでひとり、やるしかほかなかった。今回、連載だからこそ経緯を話すことができ、いい機会になりました」

── シーズン開幕に向けて、チームで練習しながら、徐々にコンディションを上げていくプレシーズンに、ひとりで練習しなければならない状況もまた過酷だったのでは?

「最後にプレーした試合が、日本代表として戦った6月6日のミャンマー戦で、そこからシント・トロイデンの練習に合流するまでが約2カ月。それだけの期間、ほぼボールを蹴っていなかったですからね。ケガ以外で、これほどサッカーから離れた機会はなかったし、やりたくてもやれない状況は歯がゆく、不安もありました。

 ここからシント・トロイデンでのプレーや試合についての話をさせてもらえればと思いますけど、この年齢で、プレシーズンをまるまるやらずにシーズンインする大変さ、過酷さは、今回、自分の身体で実感しました。

 それくらい、ピッチに立った時の自分のコンディションには落胆しましたから。ジムなどで身体は動かしていましたけど、やはりサッカーをしなければ、戻らない感覚があることを痛感しました。身体的にも、精神的にも、厳しい1カ月間でした」

◆第24回・特別インタビュー後編につづく>>


【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2023年からカタールのアル・ラーヤンSCでプレーしたのち、2024年7月にベルギーのシント・トロイデンに完全移籍する。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。