◆なぜ新潟にロシア? 仕掛け人の目論見は…

しかし、新潟にロシア、というのは唐突な気もする。

どうして、ロシア村をここに作る必要があったのか。それは、このテーマパークに30億円という多額の融資をした、新潟中央銀行の頭取・大森龍太郎氏が深く関係している。大森氏は、銀行員でありながら、深く実業界とも関わった人物であり、起業家のようにさまざまな事業構想を打ち出していった。

その中の一つが「環日本海経済圏構想」であり、日本海を取り囲んだ日本・朝鮮半島・中国・ロシアが一体となって協力し合いながら経済を回していこうとする目論見である。その一つとして、日本とソ連の友好関係を強化し、文化的、かつ経済的に協力していく「新潟ロシア村」構想を立てていた。きわめて経済的な理由から、パーク建設を夢見たのだ。

とはいえ、新潟中央銀行は一地方銀行にすぎない。その計画は理想的すぎた。新潟ロシア村は明らかな過剰融資だったのである(ちなみに同時期、大森氏は「富士ガリバー王国」「柏崎トルコ文化村」の2つのテーマパークにも同時に融資をしていた。完全なるキャパオーバーである)。

その後、大森氏は融資時の不正取引による特別背任罪を問われ、実刑判決を受ける。そして、新潟ロシア村と同じく、2004年に獄中で息を引き取ることになるのだ。

◆大森氏が「新潟ロシア村」に抱いていたものは…

どうして大森氏はここまでの過剰(かつ不正)な融資をしてまで、新潟ロシア村を作ろうとしたのか。この点に関して、大森氏は興味深いことを述べている。

「私のオヤジは内務官僚の出身で、戦前、満洲国政府治安部の役人だった。私自身は新潟生まれだが、小学校五年生から中学校一年まで、新京で育った。満洲国内を旅したとき、ロシア人が造ったハルビンの町は子供心に実にきれいだと思った。[…]日本以外にこんな違った世界があるのか、と率直に言って驚いた。異文化に対するあこがれが生まれた。[…]そういう感情が長い間、心の奥で眠っていた」(『財界』1994年2月号)

新潟という自分の生まれ故郷に、幼い頃みたハルビンのような美しい街を作りたいーー。ある種のノスタルジーが、無理をしてまで大森氏に『新潟ロシア村』を作らせた。その心のうちは、今となっては大森氏しかわからないが、彼が新潟ロシア村に魅せられていたのは、経済的な理由だけではなかったのかもしれない。

しかし、その夢は結局、「理想」が先走りして現実には見合っていないものだった。結果、ロシア村は無くなり、今では心霊の噂だけが飛び交う場所になってしまった。

そこで事件も事故も起こっていないにも関わらず、心霊の噂が絶えないのは、もしかすると、幼い頃の思い出を求めて彷徨う大森氏の霊が漂っているから……かもしれない。

テーマパークには、それを作ろうとした人間の夢も怨念も詰まっている。

<TEXT/谷頭和希>

―[テーマパークのB面]―

【谷頭和希】
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)