日本サッカー界のレジェンドである本田圭佑が、自身の大きな分岐点となったワールドカップ初出場についてのエピソードを明かした。
本田は、石橋貴明と三田友梨佳をMCにして新たに始まったスポーツブルの配信『石橋とアスリートが盛り上がって三田』に第一回のゲストとして登場し、これまでのキャリアを振り返った。
本田はオランダのVVVフェンロで活躍した後、ワールドカップ・南アフリカ大会を半年後に控える2010年1月にロシアのCSKAモスクワへ移籍した。
一般的に、ワールドカップが行われる年の移籍は望ましくないものとされる。大きな環境の変化によって調子を崩し、本大会への出場を逃してしまうケースがあるからだ。
ただ本田によればVVVでプレーしていた当時、日本代表の岡田武史監督から「お前こんなんじゃ絶対選ばない」と言われていたという。
「リスクはありました。ただオランダでのプレーに岡田さんが満足していないのは分かっていたので劇的に環境を変えないといけなかった。それで一気に変わりましたね。(CSKAの)練習が本当に厳しくて1か月、2か月、3か月で肉体がどんどん変わっていくのが感じられて」
CSKAへ移籍する際、オランダのビッグクラブからもオファーが届いており、そのまま同国に留まって試合に出続けたほうが無難な選択肢ではあったという。
しかし本田は、ワールドカップに出場するためには劇的な変化が必要があると考え、ロシアへの移籍を決断。これが彼にとって、また日本サッカー界にとっても大きな分岐点となった。
「当時24歳だったんですけど劇的にパフォーマンスが変わった2、3か月でした。案の定、岡田さんから認められて。(自身も南アフリカ大会の日本代表に)選ばれなかったらあり得ないと思っていました」
その言葉通り本田は本大会のメンバーに選出され、不調の中村俊輔に代わって先発に抜擢される。慣れないFWでの起用ではあったが圧巻のパフォーマンスで日本代表をベスト16入りに導いた。
本田はその後、ワールドカップ3大会連続得点の偉業を成し遂げるなど日本代表の『本田時代』といえる黄金期を築き上げていくことに。逆境を力に変える本田らしいエピソードだ。