河田:私がサラリーマン狂言を制作し始めたのは2015年のことです。当時、給湯流茶道という団体があり、そこの狂言事業部が立ち上がったことがきっかけです。給湯流茶道は、メンバーそれぞれ本職を持ちながら、休みの日に芸能に打ち込む人たちの団体です。

 私が創作狂言を通じて感じてほしいことは、狂言という遥か昔に成立した芸能が、現代においても十分通じる感情の機微を持っていることです。

 たとえば、狂言の演目に『武悪』というものがあります。これは主から怠け者の同僚・武悪を討つように命じられた太郎冠者が、懊悩しながらも武悪と対峙し、結局はわざと見逃して主には討伐したと嘘の報告をするんです。しかしひょんな場所で主と武悪はばったり会ってしまって――というような話です。そこには、怠け者と言えどともに過ごしてきた武悪への感情があったり、雇用主からの期待にどう応えるかという義務感もあったり、あるいは主の目線に立てば別の見方も成り立つ。現代の会社員が抱える、同期や上司との付き合い方にも通じますよね。

 狂言は遠く感じるかもしれないけれど、意外と身近なのだということを知ってもらうと、聴衆の顔がぱっと明るくなるときがあるんです。そういう瞬間に出会うために演じているのかもしれません。

◆「狂言師の家系に生まれている人が大勢いる」からこそ…

――実は古典芸能の世界は非常に堅牢なイメージがあったので、創作狂言を多く発表している河田さんを知って、率直に驚きました。

河田:大卒後、私はプロの狂言師の師匠について手伝いをしながら勉強をさせていただいていました。通常、プロの狂言師になるには師匠から認められて養成会という場所に出入りして修行しなければなりません。ただ、代々狂言師の家系に生まれている人が大勢いるなかで、そのハードルは非常に高いものです。

 くわえて、見習いの時代から創作狂言の活動をしていた私は、プロの狂言師の方々から目をつけられていました(笑)。師匠にはたいへんお世話になったので、その師匠が白い目で見られるのは忍びなかったですね。結局、これ以上迷惑をかけられないので、師匠にお願いして私を破門していただきました。

 そうした経緯がありますので、創作狂言は、プロの狂言師のお墨付きではない私が独自でやっているものなんです(笑)。

◆狂言が「安心できる場所」のひとつになれば

――最後に、河田さんが狂言を続ける姿を通じて人々に伝えていきたい思いを教えてください。

河田:私はこれまでたくさんの失敗をしてきましたし、社会に馴染めないような人間です。大卒後、会社勤めをすると知った親が「大丈夫なの?」と心配したほどです。だから今、自分で会社を立ち上げているほうがまだしっくりくるらしくて。普通、逆ですよね(笑)。

 先ほどもお話したように、狂言には、ダメな人がいっぱい出てくるんですよね。でも、どこか愛おしい。狂言は、人間の弱さを知って、それを笑ったり、ときに涙したりすることのできる芸能です。

 生きている限り、誰しも迷ったり悩んだりすることがあると思います。思い通りにいかなくてじれったく感じたり、不甲斐ない自分を責めることもあるでしょう。私も、悩み抜いて今こういう形の活動に落ち着いています。そうしたときに、「こうやって生きていていいんだ」と安心できる場所のひとつが狂言という舞台だったらいいなと思います。

 世の中はうまく渡れなくてもいいんだと思えば、少しだけ気が楽になりますから。

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 履歴書なら無双を誇るであろう学歴長者が会社を興す現在地までの道のりは、まさに波乱万丈。意地悪く査定するなら、河田さんは落伍者なのかもしれない。だがきっと、河田さんは言うだろう。「落伍者結構、大いに笑ってください」と。

 人間は誰しも脆い。その脆弱さと向き合うか、そっぽを向くか。そして自らの弱さを直視することでしか、本当の意味で他者の狡猾さや怠惰を受け入れることはできないのかもしれない。

 遥か昔に構築された狂言の要素を咀嚼し、現代に伝えることで、みんなが少しだけ生きやすくなるように。舞台で舞う河田さんの思いがいつしか花を咲かせる。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki