[画像] 『海のはじまり』池松壮亮の“津野くん”を「やばい」と思う視聴者はいなくなった理由とは

水季(古川琴音)と津野くん(池松壮亮)、そこまで親密だったの?とびっくりした。

月9『海のはじまり』(フジテレビ系 月曜よる9時〜)の特別編『恋のおしまい』は、目黒蓮の体調不良により1週、延期になった代わりのものながら、急遽放送されたものにしては完成度が高かった。

◆津野株が急上昇する一方、水季株は…

水季と津野のふれあいの物語が、これまでの津野くんのイメージを刷新するもので、彼の一方的な思い込みでは決してなく、かなりいいところまでいっていたことが判明。津野があれだけ落胆し、水季や海に執着する理由がよくわかったと労(ねぎら)いたい気持ちになった。

津野株が急上昇する一方で、水季の気持ちもわかりたいけれど、やっぱり他人を振り回し過ぎだなあと水季株はちょい下げか。

夏(目黒)と別れシンママとなり図書館で働き始めた水季は、親切な津野と接近していく。お弁当におにぎりを多めに作って持参したり、あとから出勤してきた津野を、スニーカーの靴紐を結びながら待ち伏せし、連れ立って出勤したり。

そこから昼休の場面から水季の家の場面まで、もしかしたら『海のはじまり』史上、過去いちエモかったのではないだろうか。

水季は、津野の分までおにぎりを握ってきたものの、津野がカップ麺を取り出したので、おにぎりをしまう。一方の津野は、コンビニで新作お菓子・みかんグミを買ったら、すでに水季が購入済みだったことに気づき、渡しそびれる。渡すタイミングを見失いこっそり後ろ手に隠すことはあるあるで、がぜん水季と津野に親しみがわいた。

◆はっきりしない時間こそが甘酸っぱく楽しい。まさにみかんの味

津野がカップ麺だけでなくコンビニおにぎりも取り出すので「食べるんだ」と水季はつぶやき、そこからふたりは休日「ふたりで」どこかに行こうという話をしはじめる。だがこれがおそろしく煮えきらない。

「ちょっといま自制かけてて」「津野さんのこと好きにならないように」などと水季はずるいことを言いながら、おにぎりを差し出す。と、それまで遠くに座っていた津野は水季に近づいて、みかんグミを手渡す。そこで水季は思いきって「行きます」と決意する。渡せないまま気持ちを抱えるのではなく、おにぎりとみかんグミが相手に渡せて、早くも一歩前進。

言葉数少なく、ぽそぽそと似たような単語を行ったり来たりさせながらしゃべるリアルな会話は、まるで、今年、惜しまれつつ閉館したこまばアゴラ劇場からはじまった現代口語演劇のようである。

恋のはじまりにありがちな、どちらからもはっきり決定できず、でも、内心、互いの好意をうっすら感じていて、その安心ゆえにわざとずらし合いを楽しんでいるようなところもあるだろう。こういうはっきりしない時間こそが甘酸っぱく楽しい。まさにみかんの味である。

むしろ、はっきりつきあうという結論が出てしまうと、覚めてしまいそう。蛙化現象なんていうのもそのひとつかもしれない。

◆手に汗握るじわじわ展開。でも、握るのはおにぎり

とりあえず、水季と津野は海を実家に預け、ふたりで出かける。移動のバスのなか、晴明、水季、海の名前の由来を話すとき、夏(summer)が好きだから海?という流れで、水季が微妙な表情をしたり、ファミレスでの食事では、高い食事だと海のことが気になってしまうという話になったり。ことあるごとに、津野と水季の接近には邪魔が入る。

ここで水族館に行ってしまうと、池松主演のラブストーリー『ちょっと思い出しただけ』(水族館デートシーンがある)になってしまうからではないだろうが、プラネタリウムに。その帰り、公園でしばらく話して、さらにいい感じになったふたりは、水季の家へとーー。

これはなにか起こるんじゃないかと思わせるような、手に汗握るじわじわ展開。でも、握るのはおにぎり。

塩を多めにかけてしまった水季が、払おうと津野の手のひらに軽く触れる。恋に慣れていない津野くんの膨らむ一方の期待と、自信が確固たるものとなっていく心情を池松壮亮が巧みに演じている。

お金の不安をこぼす水季に、ついに津野は一緒に暮らす提案をする。交際飛び越えてプロポーズのようになっている。だが水季は「津野さんのこと好きです」「手とか握れます」とか言いながら、ぎりぎりのところでストップをかける。もしやこれって水商売の手口では?

津野の気持ちをさんざん揺さぶって、人が悪いなあと思うけれど、水季がほんのちょっとだけ息抜きしたい気持ちだったとしたら、否定はできない。

◆結局は、夏のことが忘れられないのかも

海を預けて、足にブルーのペディキュアを塗って、マスカラつけて出かける娘がいつもと違うことに文音(大竹しのぶ)は気づいていたが、とがめずむしろ、たまの息抜きを肯定してくれた。それでも水季は海のことが気にかかってしまう。

だんだんと、子供よりも恋人のプライオリティが高くなり、そのうち、その人の子供が欲しくなることを水季は警戒する。なかにはそのままその欲望に忠実になる人もいれば、水季のように必死に抑制しようとする人もいるのだろう。

傍から見れば、水季の選択が好ましい気がするが、でもそれだとしんどいだろうなあとも思う。だってやっぱりわくわくしたいものだもの。

とはいえ、水季の場合は勝手に夏と別れてシンママになる意地を通しているだけなので、素直に応援し辛いのだが……。

結局は、夏のことが忘れられなくて、やすやすと夏を上書きできてしまいそうな申し分ない津野に心が向かうことを留めているだけなのかも。じつは、水季、ドラマティックなシンママというヒロインの道が思い通りの生き方だったりして。

◆もはや、津野をやばい怖いと思う視聴者はいないだろう

海と水季と3人で歩くとき、手を差し出す津野に、海を真ん中にして手をつなぐ水季。「手は握れる」と言ったのに。「間に誰か入らないと繋がらない」と津野はここでしおしおっとなってしまう。

「けっこう粘ったんですけど」と同僚に愚痴るセリフに、一連のだらだらした現代口語演劇ふう会話は彼なりに水季を振り向かせようとがんばったのだと理解して、ますます彼がお気の毒になった。もはや、津野をやばい怖いと思う視聴者はいないだろう。彼がじっとりした態度で夏を敵視していた理由が痛いほどわかった。

図書館の休憩室でうたた寝する水季は、大学時代の夏との思い出の夢を見る。今回、目黒蓮もちょっとだけ出てくれてホッとした。夏へのおにぎりは海苔が巻かれていた。津野くんには海苔は巻かれていなかった。

目が覚めると、そこにいるのは津野である。聞かれてもいないのに水季は夏のことを話し、好きなバンドと元カレと、津野と元カレとが交錯する。似ているようでどこか違うそれら。手を繋がない、手が届かない。ほんの少しだけの言葉の違いで、意味が大きく変わっていく。つまり、津野は、そのほんのちょっと違う人なのだろう。

◆水季の全人生における『恋のおしまい』でもあった

『恋のおしまい』は津野との恋のおしまいであり、水季の全人生における『恋のおしまい』でもあった。

もう恋愛とかの楽しいことはおしまい、十分楽しかった、余った分だけで余生を生きると、妙に達観している水季はこのとき、自分の余命がわかっていたのだろうか。若いのに、なぜ、こんなふうに諦めてしまっているのか。〈誰の人生だ 誰の人生だ〉とback numberの少しかすれたボーカルが心を逆撫でる。

『恋のおしまい』で印象的だったのは「握る」。そして「みかん」。第7話で、水季が病室で津野にみかんのヨーグルトを求めたわけが特別編でわかった。みかんはふたりを繋ぐキーアイテムだったのだ。

海、産み、罪、髪、みつあみと「み」で終わる言葉が連なってきて、ここでしりとりをはじめたら、「みかん」で、いきなり「ん」で終了。そんなあっけない恋のおしまい。
<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami