「自分はしょせん“使い捨ての商品”。ビジネスとしては事務所も駆け出し中の悩んでいる子より、売れている子やガッツのある子を売り出したいと思うのは当然のことだと考えていました。

 だから私も『見限られなくない』という一心で、『(身バレしたけど)ぜんぜん大丈夫です!』と明るく言い続けていました。結果的にひとりで抱え込んでしまって、本当は『誰かに助けてもらいたい』という気持ちも強く抱いていました」

◆友人たちは「大学生の私」の尊厳を守ってくれた

 “現役早大生セクシー女優”の日常はどうだったのか。神野はこう振り返る。

「プロフィールでは19歳でしたがデビュー当時、すでに大学3年生でした。撮影がある日は朝8時にマネージャーが家まで迎えに来て、車に乗せられてスタジオへ。

 その頃、コロナ禍で授業はすべてリモートだったので、現場の途中で出席確認のボタンだけ押して、家に帰ってからアーカイブを見て、期限までに授業へのコメントを送る……という感じで、3年が終わる時点でほぼほぼ単位は取り終えていました。

 4年の頃、大学に行くのは卒論の演習ぐらい。それでもどうしても現場が入ってしまうこともあって。午前中に現場をこなしてから大学に行く……なんてこともありましたね」

 教室でとなりに座っている友人が、まさか直前まで裸で撮影をしているとは、なかなか想像がつかないことだ。

「ありがたいことにゼミの友人たちは何も触れずにいてくれました。私から話すまでは何も触れない、聞いてこないスタンスでしたね。皆、『大学生の私』の尊厳を守ってくれたように思います。ネットではいろいろ言ってくる人たちもいたけど、こんなに理解がある人たちも世の中にはいるんだなって思いましたね。

 大学を卒業できたのも彼らのおかげ。そういう意味では本当にいい縁や人間関係に恵まれたと思います」

◆セクシー女優になることは「人生の起爆スイッチ」だった

 それにしても身バレを辞さない覚悟で、なぜ神野はセクシー女優になったのか。それについて神野は「自分の人生を終わらせたかった」と明かす。

「もともと性行為は嫌いじゃなかったし、好奇心もあった。でもセクシー女優になることは『人生の起爆スイッチ』のように思えたんです。なにかこれまでの人生を変えたいというか……。

 もし他の選択肢があったらセクシー女優の道を選ばなかったかもしれない。でもあのときは『差し出されたプレゼント』に思えたし、それしかなかった。

 いま思えば、いろんな人と話をするとか、別の方法もたくさんあっただろうけど、当時はどんなふうに人生を変えていいのかわからなかったのも事実ですね」

 大胆な行動は、ある種のショック療法のような響きすらある。もちろん「人生を変えたい」と思ったところで、供給過多な業界において、人気女優になれるとも限らない。

「あの頃は『ちょっとアホだな』って思うこともあるんですけど、自分の“性的資本”をうまくお金に替えられたのはよかったのかな。

 あのときの“正解”を否定する気はないんですよね。セクシー女優になったことでいろんな人に出会えて、人とのつながりや仲のいい友達もできて、『あの選択は間違いではなかったな』って思うんです」

 人生の選択肢に、完全な“正解”はない。その選択肢を正解にしていくのはあくまでも自分--神野の言葉の端々には、そんな人生への決意が表れた気がした。

<取材・文/アケミン、撮影/藤井厚年>

―[神野藍]―

【アケミン】
週刊SPA!をはじめエンタメからビジネスまで執筆。Twitter :@AkeMin_desu