[画像] 【溝口 敦】「いずれ映画になり長く語り継がれる男…!」とラーメン屋組長を射殺した「絆會若頭」がヤクザ社会で「伝説のヒットマン」として高く評価される理由

金澤容疑者は、ヤクザ社会のなかで「後世に語り継がれる伝説」とまで評される存在だ。だがそれは一方で、失われつつある「ヤクザらしさ」を体現したからでもある。「伝説の男」の哀しき歩みを追う。

取材・文/溝口 敦(ジャーナリスト)'42年、東京都生まれ。出版社勤務などを経てフリーに。'03年『食肉の帝王』で講談社ノンフィクション賞受賞。『喰うか喰われるか 私の山口組体験』など著書多数

伝説のヒットマンとして後世に語り継がれる

絆會若頭・金澤成樹容疑者(本名・金成行)は'20年9月、長野県宮田村で、六代目山口組の中核・弘道会へ組ごと移ったかつての配下の組長に向け車内で発砲し、重傷を負わせて逃亡、長野県警から指名手配された。

これ以降、金澤は身許を隠しいわば「兇状持ち」の長旅に出るわけだが、'22年1月には茨城県水戸市の六代目山口組系一心会傘下・三瓶組の事務所で神部達也若頭を射殺、'23年4月にも弘道会直参・余嶋学組長を兵庫県神戸市で射殺して、今年2月、潜伏先の宮城県仙台市で逮捕された。

この後、長野県警、茨城県警、兵庫県警が順繰りに金澤の身柄を預かり、各事件の取り調べに当たって、3事件が金澤の犯行であることがほぼ確実になった。

こういう金澤に対し、ヤクザ世界に通じるユーチューバーや専門サイトなどは「伝説のヒットマンとして後世に語り継がれるほど喫驚仰天の所業」「いずれ小説になり、映画になり、長く語り継がれる男」などと高く評価している。

なぜそれほどまでの評価になるのか。暴力団世界に詳しい事業家が説明する。

「有名なヒットマンいうたら、誰になります。たとえば山口組三代目、田岡一雄を京都のクラブ『ベラミ』で撃った鳴海清とか。

たしかに田岡というタマは大きい。だけど1発目は単に田岡の首の皮を削っただけ。2発目は完全に外れて近くの席の医師の右肩に当たった。

それ以上は撃たず、現場から逃げ出して、後は大阪の夕刊紙に『田岡まだお前は己の非に気づかないのか。もう少し頭のすずしい男だと思っていた』と嘲りの手紙を送っただけ。

あげく、鳴海を匿った組織がやったのか、山口組側がやったのか不明だけど、六甲山の瑞宝寺谷でガムテープでぐるぐる巻きにされた腐乱死体となって発見された。

ヒットマンとして実に情けない姿だ。鳴海は3発目、4発目……全弾を撃ち尽くす覚悟がなかったから、結果的に大言壮語だけのヤクザで終わった」

手際もよく、沈着冷静

ヒットマンの使命は前もって定めた目標をあくまでも仕上げることという。襲撃中に予想外の展開になっても、それに流され、自分に都合よく辻褄を合わせてはならない。

では、一和会系悟道連合会会長・石川裕雄はどうか。石川は大阪・江坂のマンションに山口組四代目・竹中正久の愛人が住んでいることを突き止め、一和会会長・山本広が率いる山広組の行動隊長・長野修一ら4人を実行役に、竹中と山口組若頭・中山勝正、それにガード役の南組・南力組長の3人を銃撃、一挙に息の根を止めた。

「たしかに竹中四代目と中山若頭のタマを同時に取った石川の功績は大きい。だけど、この竹中殺しで激化した山口組一和会抗争はご承知の通り、山口組が圧勝、山広は山口組に詫びを入れた上、一和会は解散、本人は引退となった。

であるなら、竹中襲撃後も石川は山口組攻撃を続けるべきだった。だが、石川は事件から1年半後、福岡県のゴルフ場で逮捕されたことで分かるように、その逃亡生活はゴルフ三昧。よほど逃走資金が潤沢だったかと思う。彼は抗争の労苦を忘れ、1回だけの攻撃で手を引いてしまった。

その点、金澤は警察の厳重な指名手配と厳戒態勢の中、逃走しながら安アパートで息を殺し、時と場所を選んで敵の弘道会を撃ち続けた。それも下っ端ではなく、弘道会の幹部だけを的確に狙った。手際もよく、沈着冷静、余嶋学組長などわずか40秒で仕留めている。

そういうヒットマンは日本では金澤しかいない。その意味で金澤は今、伝説のヤクザになりつつあるわけだ」(前出の事業家)

絆會の「解散事件」

金澤容疑者は絆會・織田絆誠会長より2つ若く、'68年大阪生まれ。織田は'84年ごろ、大阪・天神橋筋6丁目に不良グループの先輩後輩40ー50人を集めて「天誠会」という組をつくった。

この天誠会メンバーに金澤は加わった。織田のヤクザ人生の初期も初期、竹馬の友というべき存在で、そういう仲間が絆會には何人かいる。金澤を筆頭に紀嶋一志、大島毅士(両人とも現・絆會幹部)らであり、彼らは今に至るまで「織田一門」と呼ばれて、織田と行動を共にしている。

金澤容疑者は若いころから決断や忍耐力に定評があったが、女房孝行一筋、外に女性をつくるような器用さはなかったという。今後、彼に予想される判決は死刑か無期懲役となるはずである。

日本最高のヒットマンの終末は寂しく非情なものだが、敵対する六代目山口組・高山清司若頭や執行部、弘道会の大幹部などは当初、絆會や金澤容疑者からの攻撃をどう見ていたのか。

金澤は長野県松本市の竹内組3代目組長として弘道会傘下の野内組や示道会などと華々しくぶつかり、分裂抗争の初期から目立つ存在だったが、高山若頭は'19年10月に府中刑務所を出所するまで、分裂抗争の指揮から離れていた。

高山若頭が留守の間、山口組では司忍組長や直参の森健司・司興業組長などが中心になって抗争の終結策が探られていたが、それには絆會・織田会長の起用も含まれ、出所したばかりの高山若頭としては絆會に触りにくい一面があった。

そのためか、高山若頭などは、放っておいても絆會は解散する、あんな弱小組織をまともに相手にする必要はないと決め込んでいた。事実、絆會では'19ー'20年の間、「反社会的存在」であることを否定するため解散するか否か、真剣に検討されていた時期がある。

そのころ絆會の若頭は渡辺芳則五代目時代からの直参、真鍋組組長・池田幸治だった。池田は会員の意見を聞くと、7ー8割方は解散賛成派だ、絆會は解散すべきではないか、と会長の織田に報告した。

織田は一時これを真に受け、真剣に悩んだが、改めて全直参と個別面談、各自の真意を確かめると、案に相違して、絆會存続派が多数だった。そのため池田若頭と話し合い、'20年8月、絆會の解散は撤回、池田幸治は引退、真鍋組は解散と決めた。池田は同年9月、六代目山口組を訪ねて詫びを入れ、堅気になっている。

※高山若頭の「高」は「はしごだか」

後編記事『絆會「伝説のヒットマン」がラーメン屋組長射殺事件で逮捕…!六代目山口組は報復出るのか…!高山若頭が「恐れていること」』へ続く。

「週刊現代」2024年6月29日・7月6日号より

絆會「伝説のヒットマン」がラーメン屋組長射殺事件で逮捕…!六代目山口組は報復出るのか…!高山若頭が「恐れていること」