[画像] 「パパ活騒動」後、恐る恐る帰宅…妻が放った衝撃の一言とは!「正直すぎる政治家」宮澤博行のその後の日々

「『しゃべるな、しゃべるな』と。これですよ」自民党の裏金問題対応を批判し、直後に永田町を追われた宮澤氏。いったい今、古巣に対して何を思うのか―記者を前に、思いの丈をしゃべり倒した。

騒動後、家に帰ると……

裏金問題が席巻した通常国会が閉じても、自民党に対する逆風はおさまる気配がない。国民の政治不信は深刻だ。そんな中、「記憶にございます」とスキャンダルを認めて国会を去った宮澤博行前防衛副大臣(49歳)を「潔い」と、一部で評価する声が出ている。妻以外の女性と都内で不倫同棲していたことや、“パパ活”をしていたことが明らかになると、疑惑を報じた「週刊文春」発売日の4月25日に議員辞職。「日本一正直な政治家」が、騒動と自民党の末期症状を赤裸々に語った。

―議員辞職から2ヵ月が経ちますが、どのように過ごしているのですか。

「地元(静岡3区)の支援者にお詫び行脚の日々です。不祥事で辞職ということになり、支援者や国民の皆様に対し、本当に申し訳ないと思っています。1日30〜40軒ほど回っていますが、『見損なった』などの厳しいご意見ももちろんございます。でも慰めと励ましの言葉もたくさんいただきまして、ありがたいかぎりです」

―厳しい意見ばかりかと思いました。意外ですね。

「でも、地元の自民党関係者の反応は厳しいですよ。『謝罪や辞職では済まない』と言われたこともあります。じゃあ死ねばいいのかと。5月26日に行われた静岡県知事選で自民推薦候補が負けた原因にも、私の騒動があげられています」

―ご家族の反応は?

「議員辞職することに関して家族には何も相談しませんでした。公職ですから、決断に家族は関係ない。事後報告です。辞職して静岡県磐田市内の自宅に帰り、妻に謝ったところ、『あ、はい』の一言。続けて『これからは、あんたがごはん3食つくって』と言われ、こんどは私が『あ、はい』と……。大学卒業後にロイヤルホストでコックのアルバイトをしていたので料理はできる。毎朝4時半に起きて子供の弁当も作っていますよ。

許してもらえているかはわかりませんが、なんとか家に置いてもらえて、妻と子供には本当に感謝しています」

とにかく性欲が強いもんで

宮澤氏は'75年1月、静岡県磐田郡龍山村生まれ。地元の進学校から東大法学部に進み、就職浪人やサラリーマン生活を経て政治の道へ。'03年から磐田市議を3期務めた後、'12年の総選挙で初当選した。

自民党の清和政策研究会(安倍派)に所属し、安倍政権で防衛政務官、岸田政権で防衛副大臣に就任。昨年末の裏金問題で多くの議員が口を噤むなか、12月13日に安倍派内で箝口令が敷かれていることを暴露し、「安倍派を介錯する」と発言して一躍、注目を集めた。

―女性スキャンダルが発覚してから議員辞職まで素早かったですね。

「記者に直撃されて、一両日で肚を決めました。身に覚えがあるし、自分がやったことですから。

私が28歳の女性と同棲していたのは'21年の緊急事態宣言中のことです。当時、銀座のクラブで遊んでいた松本純元国家公安委員長らが離党処分になったのだから、自分も離党相当だと判断した。そして私の場合は比例復活ですから、離党したら議席を返上するのが筋です。裏金問題で党や派閥の対応を批判した以上、自分のことで言い訳はできない。自らケジメをつける必要があると考えました」

―裏金事件であれだけ注目されたら、しばらく女遊びを控えそうなものですが、報道によれば今年4月も2夜連続でデリヘル嬢を自宅に呼んでいたとか。

「とにかく性欲が強いもんで……。困ったことに、寸暇を惜しんで仕事をすればするほど、性欲が高まって抑えられなくなる。

ただ、昨年9月に防衛副大臣に就任したのを機に、パパ活はきっぱりやめてデリヘルに切り替えました。でも、風俗とパパ活ではやっぱり違いますよね。風俗では人間関係は築けない。パパ活は、相手の女性も『この人だったら』と思って付き合ってくれるわけですから。清楚な雰囲気の若い女性が好みでした。見た目はアニメ『銀河鉄道999』のメーテルのような感じがいい」

―でも、若い女性と同棲するとは思い切りましたね。

「当時は、些細なことで妻とケンカになり、別居していた時期なんです。地元に自宅とは別のアパートを借りて、別居生活は約2年に及んだ。子供にもなかなか会えないし、寂しくて、自暴自棄になっていたのだと思います」

(取材・文/峰田理津子)

後編記事『「アンタ大丈夫か?」パパ活騒動で国会を追われた宮澤博行を救ったあの「大物女性大臣」のメール』ヘ続く。

「週刊現代」2024年6月29日・7月6日号より

「アンタ大丈夫か?」パパ活騒動で国会を追われた宮澤博行を救ったあの「大物女性大臣」のメール