A4用紙2枚の“回答”

「彼の言葉をもう1回信じてみたい」

 真剣な眼差しでそう語る松永拓也さん(37)のもとに、一通の封書が届いたのは4月7日の昼下がり。その2週間ほど前に心情等伝達制度を利用し、加害者である飯塚幸三受刑者(92)=禁錮5年の服役中=に対して送った質問への回答だった。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】

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 昨年12月に始まった同制度は、犯罪被害者の心情を刑務所や少年院の職員が聞き取り、受刑者らに伝えるもので、加害者の更生につなげるのが目的だ。届いた回答はA4用紙2枚。その中で飯塚受刑者は、松永さんへ面会の意思を示していた。

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「嬉しかったです。正直、何も答えたくないっていう回答も想定していましたが、全部真摯に答えてくれているし、その回答も全部公開して良いと。面会や出所後の対談も受け入れてくれるというので、私の活動に対する思いを少しは理解してくださっているのかなと感じています」

 質問事項は、事故の再発防止に向け、高齢ドライバー問題についての意見や経験を問う内容で「どうすればこの事故を起こさすに済みましたか」、「医師から明確に運転を止められていたら、やめていましたか」など7項目。飯塚受刑者の年齢を考慮し、答えやすい質問にした。これを踏まえ、近いうちに面会をしたいと申し出たのだ。

 2019年4月19日に発生し、11人が死傷した東京・池袋暴走事故から今日で5年。毎年、桜が散るこの時期になると、事故で失った妻の真菜さん(当時31)と長女の莉子ちゃん(同3)のことを思い出し、悲しみが込み上げてくる松永さんだが、飯塚受刑者からの回答は朗報だった。

「最も大事なのは、被害者も加害者も生まないこと」

 松永さんはかねてより、飯塚受刑者との面会を希望していた。それはこんな理由からだ。

「僕は被害者という立場で、彼は加害者という立場。やはり妻と娘の命が奪われた以上は争わないといけない時もある。ですが最も大事なのは、今後の社会で、被害者も加害者も生まないこと。そのためにはどちらの言葉も社会の財産になると僕は考えています」

 被害者の遺族が加害者と面会や対談を重ね、双方の言葉を社会に向けて発信する。それが事故防止につながると松永さんは信じているのだ。とはいえ松永さんにとって、ブレーキとアクセルを踏み間違え、妻子を跳ね飛ばした飯塚受刑者は事故直後、怒りの矛先を向ける相手、そして憎しみの対象だったはずだ。あれから5年が経ったとはいえ、加害者に対してのネガティブな感情が消えることはない。事実、心情を伝えるため、飯塚受刑者が収容されている刑務所施設を訪れた3月下旬、同じ場所にいると考えるだけで複雑な感情が渦巻いたという。

「確かに彼に対する個人的な思いはありますよ。なんであんな(杖をつきながらの)足の状態で運転したの? なんで刑事裁判では車のせいにして無罪を主張したの? とか。考えたらそりゃムカっときますよ」

 刑事裁判と並行し、飯塚受刑者に損害賠償の支払いを求めた民事裁判では、飯塚受刑者から謝罪の申し出があった。悩みに悩んだ末に松永さんが承諾すると、謝罪の日時を指定され、しかも場所は「法廷で」と伝えられた。

 なぜ加害者側が主導権を握るのか。そこには賠償額の減額を狙ったかのような意図が透けて見えた。その不誠実な態度に松永さんは激怒し、申し出を断った。

受刑者との対談は「集大成」

 こうした経緯があったにもかかわらず、加害者と向き合おうとする姿勢には、友人たちから「お人好しだ」と言われた。「はたから見たら綺麗事に聞こえるかもしれない」というのは松永さん自身も分かっている。それでも尚、飯塚受刑者の言葉を「財産」にしたいと考えているのだ。その訳を松永さんはずばりこう言った。

「事故直後に真菜と莉子の遺体を前にして、自分の心に固く誓った目標がブレないからです」

 目標とは、真菜さん、そして莉子ちゃんの命を無駄にしないように生きていくことだ。それは交通事故の再発防止に向けた活動で、松永さんは副代表理事を務める関東交通犯罪遺族の会「あいの会」を通じ、政府関係機関への働きかけや講演、SNSでの情報発信などをこれまで行ってきた。飯塚受刑者への面会申し入れ、そして対談はその「集大成」なのだ。それを実現するためには、飯塚受刑者に対するマイナスの感情は「不要」だと、松永さんは葛藤を抱えつつも自分をコントロールし、活動を生きる力に変えている。

「悲しい話をしますが、交通事故は人間が運転する以上はゼロにはならない。でも少しでも減らすことはできる。その目標に近づくために、彼の言葉が必要なんです。でもこれは事故の再発防止をしたいっていう僕のエゴ。だから押し付けるつもりはありませんが、被害者と加害者という関係を超え、一緒にそういう視点を持ちませんかという提案です」

「本当の言葉だと受け取っています」

 その松永さんの思いに対し、飯塚受刑者が応えた。今までは散々裏切られてきたが、今回は信じてみよう。それが松永さんの素直な気持ちだった。

「確かにこれまで(飯塚受刑者の言動に)振り回されてきたのは事実です。ですが、彼とはもう裁判上の利害関係がない中で面会の意思を示してきているので、本当の言葉だと受け取っています。彼の中にも覚悟がないと面会や対談を受け入れる言葉って発せないと思いますので」

 飯塚受刑者への面会は5回目の命日以降、できるだけ早めに申し入れたいという。

「伝達制度で問いかけた質問を踏まえて話をしたい。彼の中での後悔とか、こういう点が不便だから車を使わざるを得なかった、あるいは社会がどう変われば自分は事故を起こさなくて済んだのか、という彼の言い分を聞きたいのです。ひょっとしたら、世間からは言い訳をするなと叩かれるかもしれません。でも、その言い分こそが再発防止には大事で、事故につながる根本的な原因が見えてくると思います」

 松永さんら遺族は今日、事故が起きた12時23分に合わせて現場で祈りを捧げる。

水谷竹秀(みずたにたけひで)
ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。2022年3月下旬から2ヵ月弱、ウクライナに滞在していた。

デイリー新潮編集部