「疲れたら休む」という当たり前のことを後ろめたく感じてしまう背景には、いったい何があるのでしょうか(写真:takeuchi masato/PIXTA)

休むことは「怠けること」という偏見


慢性的に疲れを感じているのに、なかなか休むことができない――。

残念ながら、そんな悩みを抱えている方は少なくないはずだ。「仕事や家事で忙しいから」とか、「有給休暇を申請しづらい」など理由はさまざまだろうが、「疲れたら休む」という当たり前のことをしづらい社会を私たちは生きているともいえる。

あるいは、「休むこと=怠けること」というような偏見が根強いことも影響しているのかもしれない。

しかし客観的に考えてみれば、それがナンセンスであることは明らかだ。

「休養学」という学問を提唱する『休養学:あなたを疲れから救う』(片野秀樹 著、東洋経済新報社)の著者も、そのことを危惧している。

現代人は、今まで人類が経験したことのない種類のストレスや疲労に悩まされています。肉体労働が主流だった昔と比べ、今の労働はパソコンやスマートフォンなどのデジタルデバイスを用いる、神経を使う仕事が主流になっています。そのため昔と同じ休み方をしていたのでは、疲労がうまくとれないおそれがあるのです。(「はじめに」より)

しかも、デジタルデバイスを媒介した疲れは自覚しづらいものでもある。そのため、気がついたときには自分で思っている以上に疲れが蓄積されていたということも十分に考えられる。しかしそんな状態は、長期的にみれば大きな健康リスクに結びつく可能性もあるだろう。

そこで本書では、「人はなぜ疲れるのか」という根源的な疑問を出発点として、疲労の正体、休養をとるための「戦略」、睡眠と疲労との知られざる関係など、疲労に関するさまざまなトピックスを多角的に紹介しているのである。

ただ、なかには「休みが必要だと理解はしているが、適切な“休み方”がわからない」という方もいらっしゃるに違いない。疲れたら休めばいいだけなのだが、「わかっていても、うまく休めない」からこそ、疲れで悩む人が多いとも考えられるのだ。

だとすれば多くの方に必要なのは、休みをとるための具体的なメソッドだ。そこで、ここでは本書のなかから「休み方」についてのいくつかのメソッドをピックアップしてみたい。

仕事が一段落しなくても、まず休む

仕事のスケジュールを組むとき、そこに「休養」を組み込んでいる人は限られているかもしれない。ともすれば、「スケジュールを組むのは仕事のためなのだから、そこに休養の時間を入れるのはナンセンス。余った時間に休めばいいのだ」と考えてしまいがちだからだ。

しかし、そう主張する方々も、そんなスタイルでは休みがとれないことを無意識のうちに実感しているのではないだろうか?

日本の多くの会社は3月末が年度末で、4月から新しい年度がスタートしますが、私が住んでいたドイツでは12月末日で1年が終わり、1月1日から次の年度がスタートします。
新年のはじめにまず何をするか。実は、それぞれのメンバーがその年に長期休暇をいつとるかをみんなで話し合うのです。
「あなたはいつとる?」
「私はここでとる」
カレンダーに休みを書き込むことから1年の仕事が始まります。つまり先に休みを確保しておくわけです。そして、休みが来たら何をおいても休みます。(190〜191ページより)

一方、「仕事が落ち着いたら休もう」「区切りがいいところまでやってしまおう」というように、日本では“仕事に休みを合わせる”スタイルが一般的だ。

しかも現実問題として、上記のようなスタイルをオフィスに導入することは難しくもある。とはいえ従来のやり方では、疲れ切った状態で休暇に突入することにもなってしまうだろう。

それは無計画であり、長期的に考えれば非効率的だ。

したがって、(いきなりドイツ流に切り替えることは無理だとしても)「どうやったら各人がいまより効率的に休めるか」をみんなで話し合ってみるべきかもしれない。そこで思いを共有できれば、少しずつでも状況を改善していくことはできるに違いないのだから。

これから疲れそうだから、先に休んでおく

長期休暇をとることはなかなか難しく、しかも「長期休暇をとるなら、いつにするべきか?」ということがハードルになってしまうだろう。なにしろ、正解らしきものは存在しないのだから。

そのため結局は長く休めなくなってしまったりもするのだろうけれども、著者によれば長期休暇は繁忙期の前にとるとよいのだそうだ。

この先どんな活動をして疲労するかを予見して、それに必要なエネルギーである活力をためておくのです。
疲労したから休むのではなく、疲労しそうだから先に休んでおく、といってもいいでしょう。(192ページより)

だが、これは長期休暇に限ったことではなく、毎日・毎週のスケジュール管理にもあてはまる。

たとえば、「明日は家族と出かけるから、たぶん疲れるだろう。だからきょうは早く寝て、エネルギーを蓄えておこう」とか、「今週はデスクワークが中心でそれほど体力を消耗しないだろうから、エネルギーはそれほど必要なさそうだ」とか。

予定される行動から逆算し、必要な活力を蓄えておくのだ。いまさら強調するまでもない当然のことではあるが、そんな当たり前のことができていないから疲労がたまっていくとも考えられる。

そういう意味では、「休み」に関しても原点に立ち戻る必要があるといえそうだ。

手帳を「土曜日」に開くようにするだけで

スケジュールの話をもうひとつ。

予定を、手帳やスマホで管理をしている方は少なくないだろう。しかし多くの場合、週末が終わった日曜日に手帳(やスマホのスケジュールアプリ)を開き、翌日の月曜日からのスケジュールを確認することが多いはずだ。

だが、それをやめるべきだと著者は主張している。

そのかわりに、週末がはじまる土曜日に手帳を開いて、次の月曜日からの1週間の日程を俯瞰するようにしていただきたいと思います。
次の平日5日間のスケジュールがギチギチにつまっているようだったら、この土日はとにかく攻めの休養にあててください。しっかりと休養し、活力をとりもどして100%に充電しておき、月、火、水……と少しずつ消耗しながら、金曜日でほぼ使い切る。これが理想です。(194ページより)

私たちはつい、予定をどんどん入れてしまいがちだ。

なにしろ忙しいのだから仕方がないが、スケジュール帳を埋めていく過程においては自分に残された活力量のことは考えないものでもある。

しかし、それでは予定が増えるごとにパワーが減っていくことになってしまう。

そこで、たとえばもし土曜日に「この週末はどうしても十分な休養が取れない」と判断したなら、次の平日5日間のスケジュールのいくつかを翌週に移したり、誰かほかの人に頼むなど、なんらかの調整をすることが重要な意味を持ってくるわけである。

「平日のあとの土日で休む」のではなく、「土日に休んだ分で平日働く」と考えるようにしてみればいいのだ。

すき間時間こそ休養するのにぴったり

休日について考えるとき、私たちは朝・昼・夜とか、土曜日、日曜日といったくくりを基準にしているかもしれない。 たとえば、「昨晩もちゃんと休めなかった」「次の日曜日は休みたいけれど、休日出勤になりそうだ」というように。

ところが現実問題として、一晩ゆっくり休養するとか、まるまる1日を休養にあてるというような手段はなかなか簡単ではない。

だから「また休めなかった……」と落ち込んでしまったりするのだろうが、仕事の合間のちょっとしたすき間時間でも、十分に休養にあてることができるという。

考え方を変えれば、5分、3分、それこそ1分でもできる休養はたくさんあります。
椅子から立ち上がって深呼吸をして、ついでに思い切り伸びをしてみるとか、目が合った人にほほえんであいさつしてみるとか、ちょっと空いた時間に何かつくってみるのも、立派な休養です。(197ページより)

休養というと大げさに考えてしまいがちだが、いつもの習慣を少し変えてみるだけでも心が休まり、休養の効果が望めるということだ。

とりあえず、ランチタイムにパソコンを見ながら食べていたサンドウィッチを、公園で陽射しを浴びながら食べてみるのもいいかもしれない。

疲労感をレコーディングする

アスリートは毎日、日誌を書くことによって自身のコンディションを可視化しているという。なかでも重要なのは朝。起きたときの感覚を軸としながら、体調に合わせてその日のトレーニングメニューを組むわけである。

体調がその日ごとに違うのは当たり前なので、自分自身で、もしくはトレーナーが調整することが大きな意味を持つということだ。

しかし、それはアスリートに限った話ではない。

ビジネスパーソンの皆さんも、手帳の片隅に体調を表す記号や数字を書き込んでみる、スマホにメモをするなどしてみてください。ダイエットのためにその日食べたものを記録する「レコーディングダイエット」という方法がありますが、それと同じです。ぜひ、自分で自分の体の声をチェックして、記録してみてほしいと思います。(199ページより)

レコーディングを習慣化できると、自分の疲労に敏感になり、「会社を休むほどではないけれど、さっきからミスが多いな」とか、「きょうは体調がすぐれないから、早めに帰ったほうがいいな」などと気づけるようになるだろう。

疲労は気分も落ち込ませるが、システマティックにレコーディングすることができれば気持ちも楽になるに違いない。

疲労で休むのと仮病とは違う

休むことに罪悪感があるという方も多いだろうが、休むことと怠けることは根本的に違うと著者は断言している。

たしかに本書でも繰り返し強調されているとおり、疲労とは活動能力が低下している状態にほかならない。

健康なら出せるパフォーマンスが100%出せない状態が疲労であり、そのせいで休みたいのであれば、それを仮病とはいわないのである。

これまで私たちは多少なりとも、「疲れていても無理をするのが社会人としての責任」だと思ってきたのではないだろうか?

だが、これからの時代に求められるのは、疲労をこまめに完治してこまめに対策を打ち、「疲れていないベストな状態」で仕事をすること。それこそが、社会人としての責任なのだと著者は述べている。

それでも「休んではいけない」という思いから逃れられないのであれば、次のように考えてみればいいそうだ。

会社は100%のパフォーマンスが出ることを期待して自分と雇用契約している。70%とか50%のパフォーマンスしか出せないのに出社するということは、契約の不履行になりかねない。(209ページより)

だとすれば有給を消化してでもしっかり休みをとり、100%の力が出せる状態で会社に行くことこそが会社のためになるという考え方である。

なるほどそのとおりだし、そう考えれば休むことへの罪悪感を払拭することもできるだろう。

(印南 敦史 : 作家、書評家)