中国の旧正月「春節」をコロナ禍後で初めて迎え、訪日観光客の数に弾みがついたという。延べ90億人もの人民が大移動するとの触れ込みだったが、日本国内では過去にない光景が展開されていて……。現地レポートにより各地の“大異変”をお伝えする。

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【写真を見る】「雪の中にポイ捨てゴミを隠される」 白川郷の惨状

 2月は観光業界にとって閑散期だが、全国の観光地で目立つのが海外からの観光客。インバウンドと称される訪日客の人々である。

「10日に中国ではコロナ禍が終わって初めての『春節』を迎え、大型連休を過ごす訪日観光客が増える傾向にあります」

 と、社会部デスクが言う。

「まず羽田や成田の空港から都心に出て浅草などを見学し、そこから全国を巡る周遊型のスタイルが彼らの間でははやっていますが、冬だとダントツ人気なのが北海道や東北といった降雪地帯。中国をはじめアジア系の人々は、大人でも見慣れない雪国への憧れが強いのです」

春節を迎え、インバウンドでにぎわう白川郷

人気の訪問先に岐阜が

 アジア最大級の旅行予約サイト「KKday」によれば、日本で人気の訪問先は1位が東京、次いで大阪、北海道、京都の順に続くが、5位に急浮上しているのが岐阜県だという。

「この予約サイトを利用して春節に岐阜を訪れる訪日客は、前年比200%、3倍に急増しています。世界遺産・白川郷の合掌造り集落の雪景色を楽しめる。そうした情報を、県などがコロナ禍でもSNSなどで積極的に発信し続けた成果でしょう」(同)

 訪日客は最低でも1週間、長くて1カ月近く一つの国に滞在する傾向がある。東京から富士山見物をした後、岐阜経由で京都、大阪へと抜けるコースが定番とか。

 霊峰・富士の麓ではインバウンドの狼藉が問題となっているが、果たして白川郷に住む人々は平穏無事でいるのだろうか。

カイロを便器に流す者も

 岐阜県の北部、富山と石川の県境に近い豪雪地帯に位置する白川郷。日本の原風景とたたえられる伝統的な街並みは見事に雪化粧していたが、それを見渡す展望台では外国語が多く飛び交っていた。

「当地への来訪者の8〜9割が海外の旅行者で、昨年までは欧米からの来訪者が多かったのですが、今年はコロナ明けと春節の影響か中国系の人々がずいぶんと増えています」

 と話すのは、白川郷観光協会の井高篤史氏(43)。

「中国人は香港や台湾の方を合わせれば外国人観光客の4割近く。大勢の人に来ていただくのはうれしい反面、多くの住民がトラブルに悩まされています。白川郷では入場料を徴収しておらず予算に限りがあるのでゴミ箱を設置していません。それでトイレにゴミをポイ捨てする人が増えています」

 今の季節だと、使い捨てカイロを便器に流す不届き者まで現れ、週に何度も業者を呼んで修理しなければならないこともあったそうである。

「ゴミを雪の中に紛れ込ませる人が多い」

 とはいえ、集落の路地を歩いても不思議とゴミのポイ捨てはあまり目につかない。やはり合掌造りの伝統建築を前にすればゴミで汚すなど無粋極まる。訪れた誰もがそう思うのだ、という考えは単なる幻想だった。

 合掌造りの家に泊まれることで人気の「民宿かんじや」で働く矢野智代美さん(59)が、こう明かす。

「意外とポイ捨てが少ないと思うかもしれませんけど、隠されているだけ。お団子を食べた後の串とか飲み終わったペットボトルを、雪の中に紛れ込ませる人が本当に多い。春になって雪が溶けると、そこら中がゴミだらけになるんです」

 幻想的な銀世界の村でも、「色の白いは七難隠す」なんて言葉は通用しない。

「私有地への立ち入りも本当に困る。しばしば雪かき用のスコップを勝手に持っていかれて、雪遊びに使われるんです」(同)

自宅の駐車場に無断でレンタカーが

 中日ドラゴンズ投手・根尾昂(23)の祖父で「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」元会長の治吉氏(86)に聞くと、

「私たち地域住民は奇麗な雪景色を訪れた皆さんに見せてあげたいという気持ちがありますが、どんどん観光客が雪原に入るので、たくさんの足跡で汚い雪景色になってしまう。私は白川郷が世界遺産に登録される時に『守る会』の会長をして、その時からゴミの問題もあったので『あなたの手で世界遺産を汚せますか』という看板を作って啓発したのですけどね……」

 近隣住民の上手英二さん(65)は、こう憤る。

「ちょっと車で買い物に行った隙に、自宅の駐車場にレンタカーが無断で停まっているなんてことはしょっちゅうある。注意してもどかないから困ったもんだよ。歩行者天国だとでも思っているのか、道の真ん中を広がって歩くから仕方なくクラクションを鳴らすと、逆ににらまれることもある」

 ついに住民たちも堪忍袋の緒が切れたのか。中国系と思しき観光客に注意する紳士に遭遇した。

 土産物店「めめんこ」を営む和田保雄氏(65)は、

「無断でウチの敷地に入って雪上で寝転がったり雪だるまを作り始めたりするんだけど、事故とか起きたらコチラの責任問題になる。だから注意しに行くと大体が中国系の観光客。柵をしても効果がないんですよ」

 前出の井高氏に聞くと、

「雪のある一帯は私有地が多く、雪目当ての観光客が近づけばトラブルが起きる。住民の皆さんが我慢できず注意すると、外国人観光客が“店の人に怒られた”と訴えてくる場合もあります。観光協会にいる中国系スタッフに依頼して、通訳として仲裁や謝罪をしてもらい、大きな騒ぎにならないようにしています」

買い物よりもグルメ、体験

 試行錯誤を続けている井高氏は、こうも言う。

「以前はバスで来る団体客が目立ちましたが、個人旅行者が増えている印象ですね」

 昔ながらの細い道が残された白川郷では、白タクのワンボックスカーやレンタカーで無理に進入する観光客が絶えず、事故やトラブルが増えているのだ。

 こうした状況は岐阜に限った現象ではない。コロナ禍後に中国系でも個人旅行者が増えたことで、ある“異変”が起きている。かつて彼らの代名詞だった「爆買い」すなわち家電量販店やドラッグストアなどでの大量購入、いわゆる「モノ消費」は鳴りを潜め、家族単位で日本の文化を体験する「コト消費」へとシフトしているのである。

 中国に詳しいジャーナリストによれば、

「不動産バブルの崩壊でデフレ状態の中国では、海外旅行に来られるのは富裕層に限られてきて、インバウンドの“メッカ”である浅草でさえ団体で行動するスタイルは減少し、際立った日本人とのトラブルも目にしなくなりつつあります。そんな彼らの興味は、買い物よりも日本ならではのグルメや体験なのです」

1000万円のツアー

 これを商機と捉えて早速動き出した業者もいる。

 ズバリ、中国のウルトラ富裕層に的を絞ったお値段1000万円もする日本国内ツアーを売り出したのが、mingle株式会社(本社・富山)だ。同社代表の小林智樹氏(55)に聞くと、

「競合他社がいるので場所などの詳細はお答えできませんが、プランは全部で三つ。一つ目はファミリー向けで本マグロの養殖場で一本釣り上げてもらい、加工場で解体ショーを見学後、鮨屋で職人体験をしながらマグロの食べ比べができます。2番目のプランがご夫婦向けでプロのメイクアップアーティストが全日程同行し、メイクからヘア、洋服のコーディネートまでを全部行います。3番目が最低10人からの団体向け。スキー場を丸々貸し切って遊び、夜には約100機のドローンを飛ばすプライベートショーを鑑賞します」

1万2000円のウニ丼

 すでに1件のプランが成約済で、まもなく旅行が始まる予定なんだとか。

「やっぱり中国人の羽振りはいいですよ。もともとわが社は中国人向けに日本のビジネスを学ぶツアーを扱っていましたが、福島の処理水の問題があっても、来日した中国人は“おいしい海鮮を食べたい”と言う。そこでアンケートを取ってニーズの高いものをプランにしました」(同)

 1000万円ツアーを聞いた後では安く感じてしまうが、やはり日本人では参加をちゅうちょする高額ツアーは他にもある。1万2000円のウニ丼、いわゆる「インバウン丼」で昨今話題の東京・豊洲市場では、高級マグロを買い付けた後、千駄木の料理店でさばき自ら握った寿司を食べる外国人向けツアー(主催・和旅合同会社)が、330米ドル(日本円で4万円台)で用意されているのだ。

 全国を見渡せば前代未聞のインバウンドビジネスが花盛り。ご当地グルメでいえば、日本三大ラーメンの一つにも数えられる福島・喜多方市の名物「喜多方ラーメン」が、今月20日から1杯3000円で売り出された。

キャラ弁体験は1万円

「後継者不足などでラーメン店の閉店が相次ぎ、ブランド力が少し落ちているということもあって、昨年10月から市と製麺業組合、それに市内のラーメン店らが共同して開発しました」

 そう説明するのは、「活力再生麺屋 あじ庵食堂」の店主だ。

「確かに日本人の感覚からすれば、私も高いとは思いますが、このラーメンに使う食材は全て地元産で価値あるものばかり。麺は県産小麦100%、チャーシューもふくしま会津牛を麹で熟成させ、喜多方産の漆塗りの器や箸で提供します。最初はウチを含め3店舗だけですが、今後は提供店も増えて製麺所や漆器店を巡るツアーなども行い、街全体でインバウンドを呼び込み盛り上げる予定です」

 グルメと体験を組み合わせたツアーとして、日本ならではの「キャラクター」と弁当作りを掛け合わせた「キャラ弁教室」が人気らしい。東京・赤坂で教室を運営する株式会社but art代表取締役の山口裕生氏(28)が言う。

「パンダなどの動物キャラクターをあしらった弁当を作る体験ができて、料金は2時間半で1万円。今は割引期間中で8000円です。日本人だと食材の原価を考えて高いと思われがちですが、日本文化を直接学ぶ講座は1万円超えが相場で、外国の方は玉子焼きを作るだけで新鮮な喜びがある。体験にお金を出すのを厭わないのです」

「ロシアの諜報員も」

 昔から訪日客に人気なのは「忍者体験」だが、浅草で90分1人2万5000円のサービスを提供するのが武蔵一族合同会社。その代表を務めるシバタ・バネッサ氏(71)に尋ねると、

「他社は忍者のコスプレをして手裏剣を投げて3000円で終わりだけど、ウチは山修行を10年以上こなして忍術のみならず忍者道の精神哲学を体得した講師もいるから、少し高いね。お客さんも真剣で、どうやって気配を消せるかとか知りたがる。欧米の富裕層やアラブの王族、ロシアの諜報員もいて本物を求める人ばかりです。リピーターも少なくないし、みんな満足して帰っていくよ」

 どれもが桁が幾つも飛び抜けた「コト消費」のオンパレードに見えるが、いったい日本の観光地はどこへ向かっていくのか。

 観光政策に詳しい戸崎肇・桜美林大学教授は、

「日本人が手を出せなくなり市場が二極化するという指摘はあるかもしれませんが、海外からの観光客が日本にお金を落すことで最終的に経済の好循環が起こることを考えれば、業界にとってもチャンスです。これまで日本は薄利多売で良い物を安く提供したいというサービス精神が旺盛な国だったわけですが、高い付加価値に見合った価格をつけることは悪いことではない。これを機に観光業界は価値のあるモノには適正な価格を払ってもらう方向へシフトすべきだと思います」

 海外では外国人観光客と現地人の価格を分けて販売する国もあるとはいえ、総じて日本人が旅を楽しむには財布に厳しい昨今、なんだかむしろ“貧しい国民”になったと感じられやしないか。

「週刊新潮」2024年2月22日号 掲載