インド首都・ニューデリーの空気は世界最悪の水準になった

インドの首都・ニューデリーが11月上旬頃から有害なスモッグに覆われ、4日連続で世界一大気汚染の深刻な都市となった。市街地では建物がかすむほどの濃いスモッグがかかり、大気中の粉塵の多さを物語る。

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スイスの評価団体・IQAirによると、ニューデリーの空気質指数(AQI)は640に達した。6段階のカテゴリーのうち最悪の「危険」に分類される高さだ。参考として東京の空気質指数は50程度で、最も汚染度が低い「良い」から次に低い「普通」の範囲内となっている。

青空は失われ、都市全体が褐色を帯びた霧に包まれている。英ガーディアン紙は、平常時とスモッグ発生時の比較写真を掲載している。同一の地点から同一の方向を撮影し、2枚の写真を比較したものだ。中心部の大通り「カルタヴィヤ・パス」は11月11日、道路の反対側がかろうじて見通せるほどに視界が悪化しており、かつてその向こうに広がっていた芝生は淀んだスモッグにかき消されている。

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ニューデリーを含むデリー首都直轄地域の汚染は日頃から深刻で、2022年の平均AQIは144と高い。PM2.5濃度は年間平均でWHOの年間ガイドライン値を10.7倍上回った。継続的に汚染された空気を吸うことで、肺が黒く染まっていると現地の医師が過去に警告している。また、米シカゴ大学の新たな研究によると、ニューデリーの平均寿命が大気汚染により10年短くなっているおそれがあるという。

■最大12年の寿命を失うおそれがある

有毒なスモッグに包まれたニューデリーは、一部の学校を閉鎖するなど対応に追われた。ロイター通信によると、人口2000万人を擁するこの首都の住民のあいだで、目の炎症や喉のかゆみなどの苦情が広がっている。AQI640は健康に害を及ぼすとされる大気質であり、これ以下の400〜500でも持病のある人には危険とされる。

デリーの大気質は深刻なまでに悪化している。エコノミスト紙が11月2日に報じたところによると、2022年にデリーの空気が「良好」または「満足」とみなされたのはわずか68日。デリーの大気は主要都市の中でも最悪となっており、以降3カ月は危険な状態が続くと予想されている。南アジアでは大気汚染により年間200万人以上の死者が生じており、デリーの住民は汚染により最大12年の寿命を失うおそれがあるとする調査結果もあるという。

ニューヨーク・タイムズ紙は、こうした深刻に汚染された大気には非常に細かい微粒子が含まれていると指摘し、継続的に吸い込むことで、がんや糖尿病などの疾病につながるおそれがあると強調している。

インドで深刻化する大気汚染。街がスモッグでおおわれている。(写真=Prami.ap90/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■最悪レベルの山火事に相当

比較として、カナダで最悪とされる山火事が続いた際にニューヨークで観測された汚染レベルは、微粒子の濃度が1立方メートルあたり約117マイクログラムであった。汚染が深刻だった11月3日、デリーの平均濃度は同約500マイクログラムとなっており、特定の地域では643マイクログラムにまで跳ね上がっている。山火事でも微粒子による健康被害が注視されたが、その数倍汚染された大気にニューデリーの住民はさらされたことになる。

北部のニューデリーに加え、10月下旬には西部のムンバイでも大気汚染が深刻な問題となった。当時のムンバイの大気汚染は、デリーの汚染レベルを上回る値を観測している。フィナンシャル・タイムズ紙によると、ムンバイではスモッグなどが発生し、AQI値は市の一部で300を超えた。IQAirによると、ムンバイは世界でも中国・北京に次いで2番目に汚染された都市であり、デリーも109都市中6番目に汚染された都市となっている。

■タバコを吸わない人でも肺が黒く染まる

以前には大気汚染により、非喫煙者の肺が黒く染まっていたことが確認されている。インドの著名な心臓血管・心臓胸部外科医であるナレシュ・トレハン医師は2015年、タイムズ・オブ・インディア紙に対し、ショッキングな研究結果を明かしている。

トレハン医師は、ヒマラヤ山脈に位置し比較的空気が清浄なヒマーチャル・プラデーシュ州出身の55歳住民と、デリー出身の52歳住民の肺を比較した。「彼らの肺の色の違いに、ショックを受けました」とトレハン医師は語る。ヒマーチャル・プラデーシュ州の住民の肺がきれいなピンク色をしていた一方で、デリーの住民の肺は公害によって黒く染まっていたという。

呼吸器内科の上級コンサルタントであるヴィカス・マウリヤ医師は、タイムズ・オブ・インディア紙の取材に応じ、デリーの公害がもたらす危険性を強調した。ここまでに深刻な大気汚染は、粘膜の炎症や長期的な肺障害を引き起こすおそれがあり、サイレント・キラーとして人体に害を及ぼすとマウリヤ医師は説明している。

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■一部のディーゼル車を禁止しても効果なし

デリーでは冬場になると毎年のように大気汚染がとくに深刻化しており、不安は市民に広がる。地方からニューデリーに移住し、三輪タクシーのドライバーとして家族を養う30歳男性は、「タバコを(毎日)20本から25本ほど吸っているかのようだ」と大気汚染のひどさを例えた。

濃いスモッグが街を包むなか、政府は緊急対策として学校を閉鎖し、特定のディーゼル車の走行を一時的に禁止した。原因のひとつを目される建設現場での労働も停止されている。だが、ニューヨーク・タイムズ紙は、こうした対策は市内に住む人々にほとんど役立っていないと指摘する。前掲の三輪タクシードライバーは同紙に対し、一日の仕事を終える頃には「有毒な煙が胸の中に入ってくるようだ」と感覚を語った。

■大気汚染が平均寿命を10年押し下げる

実際のところ、喫煙と同程度の悪影響があるとの指摘も出ている。医師が健康被害を警告した。ヒンドゥスタン・タイムズ紙によると、メダンタ病院のアルビンド・クマール医師は、1日に25〜30本のタバコを吸うのと同等の健康被害が生じると医学的見地から警告を発している。

「胎児から高齢者まで……あらゆる年齢層が大気汚染の悪影響を受けます」と述べている。とくに妊婦の場合、有害物質が母親の血流を通じて胎児に到達し、早産やその他の合併症を引き起こすなどのリスクがある、とクマール医師は強調している。

デリーでは大気汚染によって寿命が平均で10年近く縮んでいるおそれがあるという。BBCは、米シカゴ大学エネルギー政策研究所の調査結果を報じている。研究によると大気汚染により、インド全体では平均寿命が5年縮んでいると考えられるという。インド北部に限れば、5億1000万人が平均7.6年の寿命を失っていると推算されている。さらに、そのなかでもニューデリーに限定すると、失われている平均寿命は約10年にも達すると研究は結論付けている。

■危険レベルの空気になった原因

ニューデリーの大気汚染は、複合的な要因によって発生している。気温が低下したこと、風がほとんど吹かないこと、そして近隣地域での伝統的な農作業が組み合わさり、大気汚染物質の急増を招いた。

ロイター通信によると、パンジャブ州、ハリヤナ州、ウッタルプラデシュ州などインド北部では、10月になると農家が、作物を収穫した後に残る切り株やつるなどの「残渣(ざんさ)」を焼却しており、これが汚染悪化の大きな要因となっている。

ほか、ニューヨーク・タイムズ紙は、気温の低下も大気汚染の深刻化を招くと指摘している。インドでは毎年、気温が下がる10月から翌年1月頃までにかけ、大気質の悪化を繰り返している。気温が低いこの時期、ふだんは高度1〜2キロまで広がり地表の活動の影響を受けやすい「大気境界層」の厚みが薄くなる。通常よりも狭い領域に汚染物質が閉じ込められることで、大気中の汚染物質の濃度が上昇する。

■激増する車、急速な工業化…

より長期的な視点では、工業化も汚染拡大の要因となってきた。BBCは、インドでは過去20年間、工業化と経済発展、そして化石燃料の使用量の増加により、大気汚染レベルが急激に上昇したと指摘する。道路を走る車の数は、ここ20年間でかつての4倍にまで増えたという。

BBCはまた、これとは別の記事を通じ、ディワリ祭もスモッグを招いていると報じている。10月末から11月初旬にかけて続くこの祝祭では、大量の爆竹が使用される。10月以降、作物残渣の焼却に気温の低下、そしてディワリ祭と、大気汚染を加速する出来事が重なることで、日頃から深刻な汚染をさらに悪化させている。

■街角に巨大な空気清浄機を設置してみたが…

インド政府や自治体は数々の“奇策”を打ち出しているが、いずれも決定的な成果を上げるに至っていない。

デリーの商業地区「コンノート・プレイス」には、公害対策用に特別に設計された高さ24メートルの巨大な空気清浄棟「アンチスモッグ・タワー」が設置されている。タワーには40台の大型ファンが据え付けられており、キャノピー構造の上部から空気を吸い込み、フィルターを通過した空気を下部から放出する。いわば、巨大な空気清浄機を設け、街の空気を丸ごと浄化しようという発想だ。2020年、2億5000万ルピー(約4億4000万円)をかけて完成した。

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2021年8月23日、ニューデリーで、汚染シーズンに空気を浄化するために建設された高さ25メートルの「アンチスモッグ・タワー」の前に立つ作業員たち。 - 写真=AFP/時事通信フォト

だが、ヒンドゥスタン・タイムズ紙によると、このタワーの効果は極めて限定的のようだ。インド工科大学ボンベイ校の研究によると、空気質が顕著に改善された領域は、わずか半径20メートル以内に留まった。この範囲を出ると効果は著しく減少することが確認され、風下方向におよそ500m離れた地点では、粉塵と超微小粒子状物質の量が18%改善したに留まったという。18%の改善は吉報とも思われるが、依然としてPM2.5の濃度は217.1μg/m3と、安全基準値の5.4倍に相当する。さらに、タワーの風上方向では、改善はほぼ観測されなかった。

■インド政府は「人工の雨」を模索する

より簡易的には、「スモッグ防止銃」が都市部の空気の浄化を図っている。車載の大型放水銃から宙に向けて水を散布し、大気汚染の原因となる微粒子を吸着させ路面に落とす計画だ。インディアン・エクスプレス紙によるとニューデリー市議会は、冬季のスモッグ対策として8台を首都全域に配備する。しかし、フィナンシャル・タイムズ紙は、スモッグ防止銃の効果は限定的で、ガス状排出物や微粒子を効果的に打ち消すことはできなかったと報じている。インド国立環境工学研究所のラケッシュ・クマール氏は、この装置の影響は最小限であり、大気汚染問題の包括的な解決策ではなく、その場しのぎにすぎないとコメントしている。

インド政府はまた、「クラウド・シーディング(雲の種まき)」と呼ばれる人工降雨技術の可能性を模索している。BBCの報道によると、このアイデアは中国やアメリカ、メキシコなどでも採用または検討されており、新しいものではない。微粒子を航空機から散布し、上空の水分が凝結するきっかけを作ることで降雨を誘発する。もっとも、独立系研究者のポラシュ・ムカジー氏は、降雨により一時的に汚染を減らすことができるが、汚染濃度はすぐにリバウンドする傾向があると指摘する。

また、クラウド・シーディングはコストが高いのが難点だともムカジー氏は語る。ロイターによれば、実証実験として100平方キロメートルを対象とした塩の粒子の散布が予定されており、約1000万ルピー(約1800万円)を投じる計画だ。

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■重要な票田だから厳しい対策を打ちだせない

新規技術を通じた大気汚染対策は興味深い試みではあるものの、そのほとんどは一時しのぎ以上の効果を持たないと予想されている。根本的には農業部門や工業部門からの汚染物質排出を抑制しなければ、長期的な解決は難しいだろう。だが、ニューデリーや近郊の農家たちは政府や地方議会の議員たちにとって重要な票田であり、ゆえに厳しい対策を打ち出しにくい構図がある。

一方、大気汚染はインドの広い範囲の国民に深刻な影響をもたらしており、対策は急務だ。一夜にして清浄な空気を手に入れることは難しいが、大気汚染が平均寿命を10年も奪っているとの指摘が上がるいま、一部の改善だけでも劇的な効果が見込まれる。シカゴ大学エネルギー政策研究所による研究は、仮に大気汚染が25%改善した場合、デリーでは住民の平均寿命が2.6年延び、インド全土でも1.4年延びる可能性があると試算している。

経済成長の過程で一定の公害に見舞われるのは各国の歴史に共通しているが、インド首都の大気汚染は直ちに対策が必要なレベルに達しているようだ。

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)