モデル並みの美女ファイターとして注目を集める総合格闘家のケイト・ロータスが、9月10日のDEEP JEWELS 42(東京・ニューピアホール)で須田萌里と対戦する。その圧倒的なビジュアルから人気はうなぎ登りとなっているが、パーソナルな部分は意外に知られていないようだ。ミステリアスな雰囲気も漂う彼女の魅力を2回に分けてお届けしたい。
【写真】美女戦士ケイト・ロータスの撮り下ろしカット【7点】
「“ケイト”というのは本名が“恵音”だからです。そのままだとリングネームとして寂しいということで、デビューするときに所属ジムの代表が何かつけたほうがいいんじゃないかと提案してくれたんですね。私は肩に家族への思いを込めて蓮(ロータス)のタトゥーしているので、そこからケイト・ロータスとリングネームをとりました。
蓮って仏教では神聖なものとされているんですよ。花言葉は『清らかな心』。泥水の中でも綺麗に花を咲かせるという意味もあって、まさに自分にピッタリかなと思ったんです。周りからはよく『苦労もなく、チヤホヤ甘やかされた感じ』とか言われるけど、自分では泥臭く、もがき続けるタイプだと考えていまして。それはファイトスタイルも同じかな。もともと不器用な人間なので、がむしゃらに前へ進んでいくしかないんです」
最初に触れた格闘技は、伝統派空手の糸東流。兄を追いかけて、5歳のときから稽古で汗を流し始める。負けず嫌いな性格もあって、西日本大会での優勝をはじめ、輝かしい成績を残した。
「練習は週7日。テレビなんて観る暇もなかったです。学校が終わったら、道場に直行するというのが日課でしたから。しかも先生たちが尼崎のほうに住んでいたので、金・土・日の週末は先生の家に泊まり込みで朝から特訓するんですよ。毎日の練習が歯を磨くのと同じくらい当たり前で、しんどいという感情も湧かなかったですね」
まさに空手のエリート教育を受けた格好だが、中学入学時には「私だって武道以外のスポーツがしたい」という理由でバレーボール部に籍を置くことに。しかし、それも長くは続かなかった。ファイターとしての血が騒ぎ、わずか2週間で柔道部に移籍することになる。
「柔道も飲み込みはいいほうだったと思うんです。だけど、中2の夏に結構大きなケガをしちゃったんですよ。3回くらい手術して、1年くらいブランクができましたから。そうしたら、当たり前に勝てていた相手にも負けるようになっていた。後輩にも負ける有様だったから、そこで完全に心が折れちゃった。先生は『しっかりリハビリすれば、また元に戻ることができる』と言ってくれたんですけど、もう遊びの方向に一直線(笑)。
高校は柔道での推薦という話もあったんですけど、それも蹴って自宅近くの私立に通いながら、武道とは無縁の女子高生をしていました。放課後になったら遊びに行って、毎日のようにカラオケして、買い物して、恋愛もある程度して……」
厳格な兄と母は、ケイトの豹変ぶりに激怒した。門限を破ることも日常茶飯事だったが、そのたびに「お前、いい加減にしろよな!」と激怒されという。しかし、彼女にも彼女の言い分があった。「私にだって人並みに青春を謳歌する権利がある」というわけだ。それまでひたすらストイックに武道で自己を追い詰めていたが、その反動が一気に押し寄せたのだろう。
「お兄ちゃんはゴリゴリに柔道をやっていたんです。学生時代は強豪校で主将を務めていたし、今も刑務官として柔道を続けていますね。年齢的には2歳上だから、中学のときは部活でも一緒だったんです。家できょうだい喧嘩になると、柔道部の練習でわざと痛い投げ方をされたり、締め技で落とされたりしました。先生も兄が怒るときは妹が悪いことをしたときだとわかっているから、『あんまり派手にやるすぎるなよ』って黙認する感じで。
【写真】美女戦士ケイト・ロータスの撮り下ろしカット【7点】
「“ケイト”というのは本名が“恵音”だからです。そのままだとリングネームとして寂しいということで、デビューするときに所属ジムの代表が何かつけたほうがいいんじゃないかと提案してくれたんですね。私は肩に家族への思いを込めて蓮(ロータス)のタトゥーしているので、そこからケイト・ロータスとリングネームをとりました。
蓮って仏教では神聖なものとされているんですよ。花言葉は『清らかな心』。泥水の中でも綺麗に花を咲かせるという意味もあって、まさに自分にピッタリかなと思ったんです。周りからはよく『苦労もなく、チヤホヤ甘やかされた感じ』とか言われるけど、自分では泥臭く、もがき続けるタイプだと考えていまして。それはファイトスタイルも同じかな。もともと不器用な人間なので、がむしゃらに前へ進んでいくしかないんです」
最初に触れた格闘技は、伝統派空手の糸東流。兄を追いかけて、5歳のときから稽古で汗を流し始める。負けず嫌いな性格もあって、西日本大会での優勝をはじめ、輝かしい成績を残した。
「練習は週7日。テレビなんて観る暇もなかったです。学校が終わったら、道場に直行するというのが日課でしたから。しかも先生たちが尼崎のほうに住んでいたので、金・土・日の週末は先生の家に泊まり込みで朝から特訓するんですよ。毎日の練習が歯を磨くのと同じくらい当たり前で、しんどいという感情も湧かなかったですね」
まさに空手のエリート教育を受けた格好だが、中学入学時には「私だって武道以外のスポーツがしたい」という理由でバレーボール部に籍を置くことに。しかし、それも長くは続かなかった。ファイターとしての血が騒ぎ、わずか2週間で柔道部に移籍することになる。
「柔道も飲み込みはいいほうだったと思うんです。だけど、中2の夏に結構大きなケガをしちゃったんですよ。3回くらい手術して、1年くらいブランクができましたから。そうしたら、当たり前に勝てていた相手にも負けるようになっていた。後輩にも負ける有様だったから、そこで完全に心が折れちゃった。先生は『しっかりリハビリすれば、また元に戻ることができる』と言ってくれたんですけど、もう遊びの方向に一直線(笑)。
高校は柔道での推薦という話もあったんですけど、それも蹴って自宅近くの私立に通いながら、武道とは無縁の女子高生をしていました。放課後になったら遊びに行って、毎日のようにカラオケして、買い物して、恋愛もある程度して……」
厳格な兄と母は、ケイトの豹変ぶりに激怒した。門限を破ることも日常茶飯事だったが、そのたびに「お前、いい加減にしろよな!」と激怒されという。しかし、彼女にも彼女の言い分があった。「私にだって人並みに青春を謳歌する権利がある」というわけだ。それまでひたすらストイックに武道で自己を追い詰めていたが、その反動が一気に押し寄せたのだろう。
「お兄ちゃんはゴリゴリに柔道をやっていたんです。学生時代は強豪校で主将を務めていたし、今も刑務官として柔道を続けていますね。年齢的には2歳上だから、中学のときは部活でも一緒だったんです。家できょうだい喧嘩になると、柔道部の練習でわざと痛い投げ方をされたり、締め技で落とされたりしました。先生も兄が怒るときは妹が悪いことをしたときだとわかっているから、『あんまり派手にやるすぎるなよ』って黙認する感じで。
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