[画像] 85歳の母を自宅で看取った娘が歓喜に包まれた訳


ひ孫たちと板垣さんの母親

人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、死はいつの間にか「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと、どう受け止めればいいのかがわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。

一方で悲しいけれど老いた親に触れ、抱きしめ、思い出を共有して、「温かい死」を迎える家族もいる。それを支えるのが「看取り士」だ。

心臓の機能低下で足のすねが紫色になる

看取り士の藤原利恵子は、その日が初対面の85歳の女性から、「脚が痛いのでさすってほしい」と言われた。女性宅を訪問したのは2022年11月中旬。

女性は1年前に心不全になった後、心肺機能が低下。血液中の酸素が不足して色が青みがかり、皮膚の表面も青っぽく見える「チアノーゼ」と呼ばれる症状だった。そのために皮膚も弱く、もろくなっていた。

看取り士はさすることはしない。終末期にある方の皮膚はもろく、さすると表皮剥離を起こす可能性があるためだ。

「その方も手で小さな圧を加えると、肌が内出血する危険性がありました。ですから、ご本人に必ず『おなでしましょうか』と伺い、すねなどに休み休み触れさせていただくと、気持ちよさそうな表情をされました」

藤原は手を女性の脚に置き、ゆっくりと移動させながら時間をかけて、温もりをそーっと伝えていった。

女性は60歳で脊髄小脳変性症という難病を発症。小脳が萎縮し、運動機能が低下する病気だ。歩行時のふらつきや、ろれつが回らないなどの症状が出る。幸い、病気の進行はゆるやかだったが、約1年前からは寝たきりだった。要介護度5の最高レベル。

「私からお尋ねすると、ご病気のせいか、お答えが聞きとれないことも多かったですね。それでも『触れさせていただいてもいいですか?』と言うと、私の手を温かい手でぎゅっと握り返してくださって、うれしかったです」 

藤原がZoomで、女性が娘の板倉美子(よしこ)に少し似ていると話すと、画面の外から突然、「顔は似ていません、性格は似ていますけどね」という声だけが聞こえてきた。娘の板倉の声だった。

在宅介護のぎすぎすした空気をやわらげる

母親のために、看取り士の派遣を依頼した板倉は介護福祉士。すでに父親を病院で、義父を在宅介護で看取っていて、約4年前には母親を妹宅から引き取っていた。実は、約5年前に看取り士の資格も取得していた。


藤原さん(左)と板垣さん(右)

看取りの経験が豊富で、看取り士資格も持つ板倉が、なぜ母親のために看取り士を依頼したのか。

主な理由は2つ。以前から顔見知りで、看取り士としてまだ看取ったことがない後輩の藤原に、自分の母親で経験を積んでほしいと思ったのが一つ。

もう1つは、終末期にある母と、介護する娘の不安や緊張感を減らすこと。

板倉の母親評は「甘えん坊のくせに、気が強くて、プライドの高い人」。60歳で発症した難病も確実に進行していて、最近は寝返りはおろか、頭を左右に多少動かすことしかできなくなっていた。

日中も天井を見ているしかなく、意識がはっきりしている分だけ、むしろストレスがたまっているだろうと、板倉にも想像はできた。

「頭ではわかっているんです。ですが私も昼間は働いているので、深夜に起こされるとイライラしちゃって、『あんたは寝てられるけど、私は明日仕事なんだよ!』って、つい声を荒らげてしまうんですよ」


板垣さんの母親と2人の娘さん

母親も負けてはいなかった。元気な頃は、娘に『(私を)殺せ!』と叫んだりしたこともあった。他人には言えないことでも口にしてしまえるのが家族とは言え、在宅介護の難しさだ。

板倉は家族以外の人を家に入れ、緊迫しがちな母娘間の空気を少しでもやわらげたかった。

「訪問看護師さんなどが家に出入りすると、母にも社交上の愛想笑いが生まれて、家の空気がなごむんです。私には最後まで言わなかった『ありがとう』も、母はヘルパーさんや藤原さんには何度も口にしていましたから」

板倉は苦笑しながらそう明かした。

だが、藤原の受け止め方は少し違う。彼女が初めて板倉の母親に面会した日は、奥の部屋から日当たりのいい部屋に母親が移される日だった。当日、板倉は母親に入れ歯の具合を尋ねて、歯科医に訪問治療も依頼していた。

「それから12日後に旅立たれました。最後の最後まで、お母様の尊厳を最優先される板倉さんの姿勢に、私は強い愛情を感じました。住みなれた自宅で、娘に世話を焼いてもらって過ごせる。自宅で看取られることの良さを、改めて痛感しました」(藤原)

日本看取り士会の柴田久美子会長は、在宅介護では板倉と実母のように、お互いにある程度言いたいことを口に出すほうが、「介護うつ(介護する側がうつ症状になること)」を防げると指摘する。

「親の介護を“立派な人”としてまっとうしなければと思いすぎると、ストレスが溜まった挙げ句、家族にうつ症状が出やすいんです。それを防ぐには板倉さんのように、率直な感情を時々吐き出されたほうがいいと思います」

しかし分岐点があります、と柴田会長は続けた。

「食事を口からとれなくなるとか、しゃべれなくなるとお看取りが近づいています。そこからは介護されるご家族の方々も、親御さんに対して苛立ちを言葉にするのは、我慢されたほうがいいでしょう」

板倉の話だと、それまでは茶碗むしなどを自分の口で食べていたが、亡くなるひと月前頃からそれが難しくなった。亡くなる1週間前からは誤嚥性肺炎を防ぐために、母親が好きな日本茶にとろみをつけて飲ませるだけだった。

11月下旬、藤原は板倉家を訪問。母親は目を開けていて意識はあるのだが、もう言葉を発することさえ難しそうだった。

「でも、私が『また来ますね』とお伝えしたら、最初の面会時と同じやさしい笑顔を向けてくださいました。一方で11日前と比べると明らかに衰弱されていて、明朝までに何かあったらどうしようか、と不安をおぼえました」(藤原)

翌日午前中、藤原は鳥取県米子市で、看取り学講座で講師を務める予定があった。もし不測の事態になっても、板倉家のある出雲市まですぐには駆けつけられないためだ。彼女の嫌な予感は的中する。

母親の大きな愛に包まれて感じられた「歓喜」

「はぁはぁ……、はぁはぁ……」

板倉に抱きしめられながら、うつろな眼を遠くへ向けて弱々しく呼吸する母親の姿が、板倉のスマホに残っている。加湿器が吐き出す絹雲のような水蒸気が、母親の顔を時々かすめる。藤原が面会した翌日の午前11時前だった。

板倉は右の手の甲で母親の左の頬をなでながら伝えた。

「……お疲れ様でした。もう、じゅうぶんだよ。頑張った、こんなに頑張って偉いね」

母親と口論になると歯に衣着せぬ物言いで、藤原を時々驚かせた板倉も、実は心ひそかに葛藤していた。

母親が食べ物を口にしなくなったときは、その口をこじ開けてでも食べさせたい衝動にかられた。藤原が初めて板倉の母親に面会した12日前。奥まった部屋から、日当たりのいい窓際の部屋に母親を移す際も迷いに迷った。その部屋は義父を看取った部屋だったからだ。

一連の葛藤をへて、かつて赤ん坊の自分を抱いてくれた母親を、板倉がやさしく抱きしめ返していた。

しかし、板倉はこのとき母親の愛にすっぽりと包み込まれていたという。

「もうしゃべれなくなっていた母の、『ありがとう』が聞こえた気がしました。すると、約4年間の介護中の母への不満や苛立ちなどが一瞬で色あせて、それらがちーっぽけなものに思えるほど、とてつもなく大きな愛でした」


母親を看取る板垣さん

娘の両腕の中で母親は息もたえだえなのに、なぜか同時に、娘は母親の大きな愛に抱きすくめられていると体感していた。

「私たち姉妹への愛情表現が苦手な人で、それゆえに母親への不満も多かったんです。お世辞にも仲のいい母娘ではなかった関係が、その一瞬で修復されて、まずは『○(まる)』になりました」(板倉)

嫌な記憶もいい記憶も全部ひっくるめて、それが母親の生き方だったんだとありのままを受け入れられると、新たな感覚が生まれたと続けた。

「なぜか娘である自分のことも全肯定できたんです。過去のことも介護のことでも、『あーすれば良かった』も、『こうしておけば良かった』も一切ない。そう思えると、今度は母との関係がさらに『◎(二重丸)』になりました。もう『感動』をこえて、『歓喜』というしかない心境でしたね」

見返りを求めない母の愛に気づき、板倉にも同じものが母親に芽生えたとき、あらゆるものを肯定できたのだろう。

取材時は、母親の旅立ちから約3カ月が過ぎていた。だが板倉は昨日のことのように新鮮な光景として自分の心に息づいている、とほがらかに語った。

「だから少しも寂しくないんですよ。自分がすごいパワーアップしているのを日々感じられています。なんかすごく元気だもん!」 

食事を中断して「ばあば」に触れた女の子

藤原が到着したのが、母親が他界して約6時間後。他の看取り士が代わりに対応していた。藤原が母親の手に触れると想像以上の温かさだった。

「(旅立った人の)背中が温かいとか、熱いという話を読んだり、聞いたりしたことはありました。でも、その手が本当に温かくて、最初の面会で私の手を握ってくださったときと同じくらいだったので、びっくりしました」

藤原の少し前に到着したという板倉の長男に、看取りの作法をすすめると、素直にやってくれた。看取り士が勧める、自身の左股に祖母の頭をのせて抱きしめるやり方だ。長男は「昔は近くに住んでいて、自分が一番、おばあちゃんにはかわいがってもらったと思います」と話し、昔を懐かしんだ。

やがて夕食どきになり、出前のラーメンや焼きそばなどが隣室に届けられ、その匂いが看取りの部屋にも忍び込んできた。

藤原が長男の4歳になる娘に、「大きいおばあちゃん、温かいよ。触れてみようか?」と声をかけると、隣室での食事の手を止めて近くに来て、「ばあば」と言いながら、小さな右手でその顔に触れてくれた。

昔は当たり前だった自宅での看取りも、きっとこんなふうだったんだろうなと藤原は一人想いをはせた。


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(荒川 龍 : ルポライター)