連帯保証債務を負わされた家族に起きたトラブルとは(写真:タカス/PIXTA)

同族企業の事業承継・相続はなぜ難しいのでしょうか? 「税金対策だけに目を奪われると、本質を見失ってしまう」と言うのは、さまざまな事業承継・相続を見てきた石渡英敬さんです。同氏の新著『新 事業承継・相続の教科書』より一部抜粋し再構成のうえ、本稿では、経営者の突然の死、緊急事業承継で起きる問題解説します。

連帯保証債務を負わされた家族

事業承継の際に起きるトラブルの中には、経営者が突然、若くして亡くなってしまったことが発端となるケースもあります。

ここでは、私の実家の実例を基に個人保証の問題にフォーカスします。

私の祖父は大正3年生まれ。東京の蒲田で戦前に八百屋を創業し、戦後に再開してスーパーマーケットにしました。祖父母は4人の子を授かり、私の父が長男で、次男、長女、次女の二男二女のきょうだい構成。長男である私の父が2代目社長となり、次男の叔父が副社長となりました。

祖父は昭和54年、 65歳で亡くなり、祖母はその後を追うように翌年亡くなりました。祖父母が亡くなってから、私には見えないところでしたが、社長と副社長は折り合いがよくなかったようで、叔父はそのストレスもあってか、50代に入ると精神の不調を来し、大腸がんを患って、58歳で亡くなってしまいました。

祖母が亡くなったとき私は7歳、兄は16歳でした。私が中学生になるころから、父は私に、「お兄ちゃんに3代目社長を任せていくから、おまえは兄と関係のない仕事をしなさい」とよく言っていました。

兄は大手繊維素材メーカーに就職し、5年で退職して家業に入り、私は大学を卒業して広告代理店に就職しました。私たち兄弟は、父の言うとおりの道を進んだことになります。

当時、父は、私を会社に入れない理由として、「兄と弟2人で会社を継いで、もしも会社が傾いたら共倒れになってしまうから」と言っていました。確かに今から30年前、時代は小売業に不況の波が来ているころで、実家のような年商30億円規模のスーパーマーケットは、すでに先行き不透明だったことでしょう。ただ、幸いにもそのころは、まだ実家のスーパーマーケットは堅調な経営状況だったはずです。

ですから父の本音は、経営への不安よりも、自分と叔父のように、兄弟が不仲になることの不安のほうが大きかったのではないかと推測します。

叔父が亡くなったとき、ちょうど 60歳となった父は、折り合いが悪いながらも共に経営してきた実の弟を失ったことで、3代目への承継を考えるようになりました。


石渡家の家系図(画像:『新 事業承継・相続の教科書』)

自分の父親が65歳で亡くなったことを引き合いに、「65歳までは長生きさせてもらいたい」がそのころの口ぐせでした。

長男はすでに会社に入ってきているものの、店舗の現場で経験を積ませているところで、このとき33歳。あと7年、40歳になったら社長になってもらおうか。それまでの間、3代目社長は義理の弟(私の母の弟)に任せて私は会長になろう。そうすれば私が仮に65歳で亡くなっても、2人でうまくバトンをつないでくれるだろう――。こんなプランを父は立てたのでした。

小売業の不況はますます深刻になり、中小が大手に買収されたり、大手が大手を買収したりするようなことが増えていきました。そんな中、実家のスーパーは小から中の規模を維持して生き残り、兄が40歳を迎えるころ、父はまだ元気な67歳でした。

会長になった叔父の突然の死

母の弟である叔父は、社長として、会長である義理の兄と、これから4代目となる甥のことを支えてくれました。父のプランどおりに長男が40歳で社長になるころ、取引先もライバル店の方々も「石渡さんのところは上手に事業承継を進めていますね」と言ってくださったものでした。

父は67歳で相談役となり、叔父が60歳で会長に、兄が40歳で社長という体制になりました。

それから5年たったある日のことです。叔父が人間ドックの問診で心臓の軽い異常を訴え、精密検査のため検査入院しました。専門医の所見は「大丈夫です。ステントを入れましょう。手術はすぐに終わります」というものでした。しかし、日を改めて手術を受けた叔父は、それっきり帰らぬ人となってしまったのです。

病院と家族の間でどのようなやり取りがあったのかは、親戚である私にもよくわかりません。いわゆる医療事故だったのでしょうか。叔父には3人の子どもがおり、兄や私も小さいころからしょっちゅう遊んだ仲だったのですが、葬儀のとき、みんな納得のいかない表情を見せていました。

そんな事故があって、葬儀から3カ月がたったころです。私の母のところに電話が入りました。電話口の言葉に、母は驚愕します。

「弟さんの連帯保証債務が、あなたに相続されるかもしれません」

弟に先を越されて死なれてしまった喪失感の中、さらに心を切り裂くような銀行員の冷たい声……。

母はすぐに弟の妻(私の叔母)に連絡をとりました。すると、叔母はこう答えました。

「お義姉さん、私も子どもたちも、『相続放棄』をしようと思っているんです」次に母は、社長である息子(私の兄)に連絡しました。

「ちょっと、どうなっているの? 全然意味がわからないわ」

「母さんにも銀行から知らせがいったのかい? 実は数日前に叔母さんから電話があって、『なぜ会社に関係のない私たちが会社の借金をかぶらなきゃならないんですか?』って言われたところなんだよ。本当に参ったよ……」

銀行融資に経営者の「個人保証」とられていませんか

会社が銀行から借金する際に、経営者個人が保証する、つまり、「会社が借金を返せなくなったときには経営者個人が家屋敷も預金も投げうって返済すべき」という商習慣が日本には根づいています。

これの良しあしを論ずることはここでは避けますが、そのため、後継者が保証をいやがったり、銀行サイドが特に親族外承継の際などに「この方では保証にならない」という立場をとったりすることがあります。

叔父が亡くなったのは2010年のことです。経営承継円滑化法は2009年にスタートしていますので、「個人保証の問題が事業承継のネックになっている」「国としても支援策が必要だ」という認識は、この事例の2010年のころにはすでにあったはずです。

個人保証がさらにやっかいなのは、保証している人が亡くなると、保証債務として相続人に当然に引き継がれてしまうところです。

私の叔母やいとこは事業に関係のない立場であり、当時、メインバンクから会社が3億円の借入があることも知りませんでした。保証債務に関する知識ももちろんなかったため、「数億円の借金をかぶらされた!」と勘違いしてしまったのでした。

そもそも、会長となって経営は甥(創業者の直系の孫=私の兄)に任せた叔父は、なぜ保証をとられていたのでしょうか?

実は、叔父だけでなく、相談役になっていた父も保証をとられたままで、新社長になった兄も含め、3人もろとも個人保証させられている融資契約をメインバンクと結んでいたのでした。

当時はまだ「経営者保証に関するガイドライン(2014年にスタート)」もなく、経営者が保証するのは当たり前、金を貸してくれる銀行には逆らえない、という意識が兄、叔父、父にあったのかもしれません。

会長の死を知った銀行は、私の母に連絡する前に、当然、配偶者である叔母のところに連絡したわけです。夫の死(医療事故の疑い)を受け入れられずにいた叔母にとって、銀行からの電話はまさに寝耳に水。

日ごろ弁護士との付き合いもないので、インターネットで一見の弁護士さんに相談をし、「連帯保証債務を引き継ぎたくなければ、『相続放棄』という選択肢があります」と説明されたようです。それを銀行に伝えたために、銀行としては、第3順位の母のところに連絡をしてきた、という経緯でした。

※相続には順位があります。配偶者はつねに相続人となり、配偶者以下の相続人は、第1順位が子(または直系卑属)、第2順位が親(または直系尊属)、第3順位が兄弟姉妹になります。

後日、兄はこのメインバンクとの付き合いを断ち切る選択に迫られ(為替デリバティブの赤字が拡大し、十分な説明がなかったとしてメインバンクと訴訟に。当時、社会問題になっていたテーマですが、ここでは詳細は省きます)、他行への借換にトライし、成功します。

この時点で、叔父から相続された保証債務は消滅したので、叔母やいとこは相続放棄をギリギリ踏みとどまって正解でした。ただ、いったんもたらされた亡き叔父のファミリーへの衝撃は癒えることは なく、叔母やいとこと、私たちの関係までおかしなものになってしまいました。

叔父の死は、私がライフプランナーという仕事に転職して5年目のことでした。

もし、叔父の生前に、私が一言「万が一のことがあれば個人保証は相続されますよ。でも、会社が傾かない限りは大丈夫ですよ」と叔母やいとこに言えていれば、結果は違っていたはずだと後悔しました。

そもそも、当時の私も、叔母やいとこがそうであったように、個人保証というものがどういうものか、恥ずかしながら、わかっていませんでした。

「保険のセールスパーソンとして、ただ保険を売る、というだけで仕事をするのではダメだ。経営者とその家族、会社にとって、将来起こりうるリスクはどんなものなのか、それを防ぐ方法はないのかをお客さまとともに考える。そういうスタンスで仕事をしていこう」と心に誓った出来事になりました。

「経営者保証」はなぜなくならないのか?

2020年度の調査で、中小企業において「経営者保証を提供していない」割合は20%にとどまっており、「経営者保証に関するガイドライン」が策定されてから6年の成果は限定的のようです。


なぜ経営者保証が解除されないのか? または、経営者保証のない融資が実現しないのか? それは、経営者保証を求めるかどうかの最終的な判断は、金融機関にゆだねられているから。この一点に尽きると思います。「経営者保証に関するガイドライン」を策定したのは中小企業庁、つまり経済産業省です。一方で、金融機関を監督しているのは金融庁、つまり財務省です。

金融機関としては、中小企業の資金調達の円滑化に寄与したい、だから個人保証を求めざるをえない。一方で、経営者による思い切った事業展開や、保証後において経営が窮境に陥った場合における早期の事業再生を阻害する要因となるなど、個人保証が中小企業の活力を阻害する面があることも理解している。この両面を天秤にかけたときに、個人保証を求めるほうに天秤が傾くのだと思います。かつ、それが監督官庁である金融庁の指導でもあるわけです。


行政の縦割り(画像:『新 事業承継・相続の教科書』)

図をご覧ください。経営者を支援する専門家はさまざまですが、それぞれが異なる官庁の管轄におかれています。それぞれの専門家がそれぞれの論理で動かざるをえず、経営者サイドでそれらをうまく活用することが求められているわけです。

この中で、特に経営者保証の問題は、行政の縦割りの弊害で、中小企業庁によるガイドラインの成果がいまひとつのところでとどまっている、という話も耳にすることがあります。

体制を批判することは本稿の趣旨ではありません。少なくとも、金融機関の方々には、個人保証に伴うリスクについて、自ら注意喚起するクセを付けていただきたいと、当事者の親族として強くお願いしたいところです。

(石渡 英敬 : プルデンシャル生命保険エグゼクティブ・ライフプランナー)