「兼任になってからは今じゃ信じられないぐらい忙しくて、所属する2チームで新公演が始まるから1カ月で36曲も覚えなきゃいけなくて、夜中までレッスンをしていました。
ファンの方に多く見てもらうことが恩返しにも繋がると思っていたのでうれしかった半面、まだまだダンスに苦手意識があったからプレッシャーもあって。チームAのほうはNMB48を代表して来ていると思っていたので、負けたくない気持ちもありましたし、いっぱいいっぱいで余裕がない状態でした」
チームAの矢倉楓子を知ってもらうことで、NMB48にも興味を持ってもらいたい。それまでAKB48しか見て来なかったファンの心を掴むことで、NMB48に貢献できるはずという思いがモチベーションだった。
「チームでセンターを経験させてもらうようになってから、自分が人気者になることが、グループの人気にも繋がると考えるようになりました。難しいなと感じたのは、チームAを兼任した時にチームMの公演が被ったんです。もちろん私に選ぶ権利はなくて、マネージャーさんがチームAを選んで、チームMの公演に出られなかったんです。
私としてはNMB48のメンバーなのに……っていう複雑な気持ちがありました。NMB48のファンからしたら、『ふぅちゃんはNMB48のメンバーなのに、チームAを選ぶんだ』ってなりますし、実際にそう思われていて、兼任って難しいんだなと悩んだりもしました。ただ兼任がきっかけで『ふぅちゃんのことが好きになったよ』って握手会に来てくれたり、NMB48の公演に来てくれたりするファンの方がたくさんいたんです」
チームAでは成長を促してくれる先輩との出会いもあった。
「渡辺麻友さんと同じチームになれたのは大きかったですね。ステージ上での立ち居振る舞いはもちろん、裏での佇まいまで間近で見て、すごく勉強になりましたし、仲良くさせていただきました。たかみなさん(高橋みなみ)にもお世話になって、お下がりのワンピースをいただいて、握手会で着させていただきました。AKB48の選抜に入らないと、選抜の方々と関わることもなかったですし、NMB48を越えた繋がりができたのはありがたかったですね」
【後編はこちら】元NMB48 矢倉楓子、社会経験のなさを痛感したグループ卒業後
- 前へ
- 2/2
外部リンクエンタメNEXT
関連情報(BiZ PAGE+)